江村北海

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
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江村北海

ホクカイ 北海(江村) 詩人。名は綬、字は君錫、通稱傳左衛門。伊藤龍洲の二子。宮津青山侯に仕へ、致仕して京師に居る。天明八年二月二日歿す。年七十六。著、北海詩抄、北海文抄?日本詩史日本詩選、樂府類解?

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kensaku/hagayaiti/haga0910.html

 ◎江村綬は君錫と字し、傳左衛門と通稱し、北海と號す。初め俳詣を學ぴ、後、京に還りて始めて儒に志し、遂に父龍洲に代りて経史を講説す。兄伊藤錦里、弟清田君錦と共に伊藤家の三珠樹と稱せらる。後宮津侯の文學江村毅庵の後を繼て文學となり、これより江村氏を稱す。はやく致仕して詩文を娯む。時に江戸入江北海、浪華の片山北海、京の江村北海三都の三海と稱せらる。著書は本書の外に、日本詩史日本詩選詩選續編、七子詩集譯説?、樂府類解?、著述蟲諌?北海詩抄、北海文抄?等あり。天明八年戊申〔二四四八〕二月二日、七十六にて歿す。洛東善正寺に葬らる。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/kokusyokaidai/s2/kokusyo_si128.html

 エムラホクカイ 江村北海 有名の詩人、名は綬、字は君錫、北海は其の號、傳左衛門と稱す 伊藤龍洲の二子、母は赤石の藩士河村氏の子なり 故を以て北海九歳より十八歳に至るまで舅氏の許に生長し未だ嘗て學を知らず 好みて俳諧を作り頗る其奥を究む 一日梁田蛻巖告げて曰く子の才氣を以て若し能く之を藝文に移さば聲譽遠近に揚らん 然るに方俗十七言の俚歌に苦患するは豈に惜からずやと 北海其の言に感じ乃ち京に遷り始めて學に就く 晝夜憤勵すること四歳、父龍洲に代り經史を講説して生徒に教授す 時に兄伊藤錦里、弟清田君錦と並に令聞あり 世目して伊藤氏の三珠樹とす 後出でて宮津の青山侯の文學江村毅庵の後を繼で文學となる 因て姓江村氏を冒す 時に年二十二なり 三十に至りて擢んでられて京邸の留守と爲り兼て錢穀の出納を掌る 公廉明察事々宜しきを得、人皆な其の能に服す 幾くもなく侯封を美濃の郡上に移す 時に北海を召して大に之を用ひんと欲す 果さすして卒す 則ち致仕して室町、四條下街に樹梢館を下築し(一説には侯移封の頃北海疾に罹るを以て致仕すとあり)翰墨を以て自ら娯しむ 後ち諸侯の聴聞あるも悉く辭して應ぜず 平生自ら他の姓を冒すの古道に非ざるを憾み敢て儒を以て自ら居らす 詩文を以て業とす 其詩文を作るや法格を護持し務て軽薄を戒しむ 而して最も詩を善くす 當時大阪片山北海江戸入江北海を合して三都の三海と稱す 而して京師の江村氏を以て最とす 毎月十三日を以て諸名士及門人子姪を賜杖堂に集めて詩を賦す 曾祖専斎の時より北海に至るまで既に四世、百有餘年断絶するなし 世人之を錫杖堂?の詩盟會と謂ふ 天明八年二月二日歿す、年七十六、洛東善正寺に葬る 著述蟲諌?北海詩抄、北海文抄?日本詩史日本詩選、詩選続篇?、七子詩集譯説?授業篇、樂府類解?なり(近世叢語、事實文編?先哲叢談後篇、近代名家著述目録?)

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/U/u092.html

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%B1%9F%E6%9D%91%E5%8C%97%E6%B5%B7/

新潮日本文学大辞典 佐久節

岩波日本古典文学大辞典 宗政五十緒

国史大辞典 梅谷文夫


PDD図書館獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。
http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm



えむらほっかい

名は綬、通称伝左衛門、字君錫。

一七一三(正徳三年)~一七八八(天明八年

江戸時代漢学者漢詩人京都在住の福井藩儒伊藤龍洲の次男として、母の実家である明石に生まれる。兄は伊藤錦里、弟が清田儋叟。宮津藩儒の江村毅庵の養子となり、宮津・京・江戸にあった。藩主の美濃郡上への転封の後五一歳で致仕し、京に詩社錫杖堂を開いた。漢詩人として知られたほか、日本における漢詩の歴史を書いた『日本詩史』、江戸時代の漢詩集である『日本詩選』があり、また漢学の学び方などについて記した『授業篇』はよく知られている。多くの漢学者と交友があるが、富士谷成章、「皇国韻鏡」の木崎幸敦、「音韻断」に序を寄せる太田玩鴎などとも交流があった。『授業篇』には、訓点呉音漢音四声五音韻鏡反切唐音といった漢字学に関わることや、漢学者言語生活に関わることなども記されている。

参考文献

高橋昌彦江村北海の前半生」『国文学論考』26(都留文科大学)

多治比郁夫「詩人の誕生」『日本近世12文学と美術の成熟』中央公論社

長沢規矩也江戸時代支那学入門解題書集成 第三集』汲古書院

書籍からの画像で注記のないものは、著者の著作権が切れ、刊行後五十年以上経っているものである筈です。