島津重豪

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
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島津重豪

 シマヅ シゲヒデ 島津重豪  鹿児島藩主,重年の子初め久方忠洪と稱す、延享二年鹿児島に生る.父重年、宗信が嗣となる時重豪を止めて家臣久季の嗣たらしめ寳暦四年八月重年の嗣となる.五年父の卒去により七月遺領を継ぎしも年十一なりしを以て祖父繼豊政事を輔佐す.此時勢内及び琉球國の地圖、國中の故事、奮跡、物産を記して地志要略と名づけ之を墓府に獻ず.八年四月初めて將軍家重に謁す.六月御前に於て元服し重豪と改め從四位下少將に任じ薩摩守を兼ね信國の刀を賜ふ.室は刑部卿一橋宗尹の女.十年十月曾組父繼豊卒す.十一年四月入國の暇を賜る.十二年二月邸宅火あり金二萬兩を貸與へられ参府を延期せらる.明和元年十一月從四位上左近衛中將に叙任す.琉球國の賀慶使讀谷山王子を携へて登營す.安永二年十二月浄岸院御方逝去す.後祖光久の遺志をつぎ造士館演武館を設けて文武の道を講ぜしむ.八年また明時館を建てて忠久の時傳ふ庭の暦法を修めしむ.天明四年九月登營の時大廊下の末に居ることを許され十二月五節句には白書院月次は黒書院に謁見す可き命を蒙る.五年九月琉球の飢謹により米一萬石金一萬兩を貸與へらる.六年十月若年寄太田資愛を以て將軍家治の遺物清眞の御脇差を賜ふ.七年正刀致仕し晦日上総介に改む.文政七年十一月八十の賀を祝し將軍家慶夫人より和歌を賜はる「浪風も沿る國に杖つきて千代をともなふ和歌の浦松」天保二年正月從三位に叙し四年二月三日歿す年八十九、南島譜.中山入貢紀略、南山俗語考,鳥名便覧の著あり(寛政重修諸家譜,續徳川實紀)

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/si/si052.html

PDD図書館獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。
http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm

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書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。