国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2013-01-10

[]東京の言葉口語法別記 端書) 東京の言葉(口語法別記 端書) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 東京の言葉(口語法別記 端書) - 国語史資料の連関 東京の言葉(口語法別記 端書) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

東国言葉わ、昔わ、京都の人からわ賎しめられて居つた、源氏物語の宿木、東屋などに、東国言葉を、「あづま声」と云い、平家物語に、斎藤実盛の言葉を、「坂東声」と云つてある、拾遺集に、「あづまにて、養はれたる、人の子は、舌だみてこそ、物は言ひけれ」。とあるのでも分る。然るに、東国武士の勢が盛になり、鎌倉室町の世に、東国言葉が、京都言葉を襲って、江戸の世となつて、又、新に、江戸言葉が、出来て、今でわ、江戸言葉が、日本口語の目当となるようになつた。

江戸わ、もと、空漠とした地に、新に、町を開いたものであるから、土地の者も居たろうが、畿内、東海道筋の町人が、多く集つて来たものであつて、江戸の言葉わ、その初わ、甚だ混沌としたものであつた。然るに、一方に、武士といふ者があり、戦国時代の余習で、旗本奴の大小の神祗組、又わ、男逹、町奴の六方組、白柄組、などいうものが、盛に出て来て、是等が、関東の荒くれた気風を、言葉の上にも及ぼして、上方言葉のなまぬるいものを変じて、強く急なものとして、芝居の荒事狂言の上にも用いられ、それが広がつて、遂に、一つの江戸言葉というものが、成立つたものと思う、是が、元禄頃に至つて、一定したので、つまり、関西関東との言葉が、雑つて出来たものである。

京都言葉わ、東西南北に広がつて、遠くなるに随つて、段々に変わるが、その変り目わ、色のぼかしのようで、はつきりと境目が分らぬが、江戸言葉は、四里四方の内に限つて、其境を出ると、四方は、元の武蔵の言葉であるから、海中の島のようである。これが俄に出来た都であるからである。

しかし、江戸時代にわ、同じ江戸言葉の中で、町人言葉でも、山の手言葉下町言葉、神田の職人言葉吉原言葉、佃島言葉など、それ/゛\違つて居た。武家の言葉の方でも、幕府の旗本言葉、御家人言葉、又わ、諸国から勧番する者わ別として、諸大名の江戸定府の家来の言葉などが、又異なつて居た。明治の世となつて、それが、大分混合して、諸国の侍などが、集つて常住するようになつても、皆、江戸言葉に化せられるようになり、そうして漢学書生が、多く、政府の官員となり、学校の教員となつたから、漢語を遣う事が大に行われ、漢文訓点書き下しの文語などが、口語にまじるようになり、遂に、今の東京言葉となつたのである。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1870070/32
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2012-04-03

[]東京弁変化和辻哲郎「自叙伝の試み」東京弁の変化([[和辻哲郎「自叙伝の試み」]]) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 東京弁の変化([[和辻哲郎「自叙伝の試み」]]) - 国語史資料の連関 東京弁の変化([[和辻哲郎「自叙伝の試み」]]) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

従兄の潔は何に刺戟されたのか、わたくしに「江戸ッ児を使って見せようか」と耳打ちして向うのベンチの方へ近づいて行ったのである。そこには下町のおかみさんらしい女の人が、天神への参詣をすませたらしく、腰かけて休んでいた。わたくしたちも並んで腰かけ、従兄はごく自然にそのおかみさんに話しかけた。多分天気のことか桜のことであったろうと思うが、話題ははっきりとは覚えていない。がとにかくそのおかみさんのきれいな江戸弁に対して、従兄があまり方言の癖も出さず、調子よく応対しているところを、この湯島天神の鏡内で見せてくれたわけなのである。

 東京下町を初めて見渡した時の印象と、この江戸弁のこととが、結びついて記憶に残っているのは、或は偶然のことではないかも知れない。あの頃にはまだ下町には江戸弁が鮮明に残っていた。そうしてそれが田舎者にとって何かあこがれの的のような意味を持っていた。勿論それはすべての田舎者にとって同様であったとは言えないかも知れぬ。郷里の方言に特別の愛着を持つ人、郷里のものには方言で話しかけないと情がうつらないと感ずる人、なども、決して少くはなかった。しかしわたくしたちはそれほど方言に対する愛着は持っていなかった。わざわざ「江戸ッ児を使って見せようが」などという位であるから、お互の間では郷里の方言で話していたに相違ないが、しかしそれは単なる惰性であって、方言を固守しようとする意識によるのではなかった。だから方言の癖は、強いて直そうと努力しなくても、おのずから少くなって行ったように思う。それと共に、何時の間にか郷里の方言を純粋にしゃべることも出来なくなってしまった。がそういう変化は、東京弁そのものにおいても認められる。わたくしなどと同年輩で、東京下町で育って」かなり純粋な江戸弁を使っていた筈の人たちが、いつの間にかいろいろな地方弁に感染して、妙な言葉を使っているという場合も決して少くはない。東京弁全体がそういう風に変って来たし、また東京弁が地方へ浸潤すると共に、その地方からいろいろな訛り逆輸入せられるという関係もあって、変化は一層促進せられているように見える。だから、東京の「町の姿」が震災と戦災との二度の破壊によって変ってしまったと同じ程度の変り方は、東京の「言葉」の上にも現われて来そうである。言葉は建物と違って地震や火災から直接の影響を受ける筈はないのであるが、しかしあの二度の災害は、東京の住民の住所を著しく変えたであろうし、住民の移動はその土地の言葉変化として現われずにはいないのである。

 この東京弁変化と同じようなことは、大阪弁京都弁、その他各地方の方言においても起っているのかも知れない。特にラジオの普及後には、放送に使われている言葉使いが、各地方に強い影響を及ぼしているであろう。それと共に、各地方に出現した工業都市が、著しい住民の移動によって、その地方の方言に強い影響を与えているであろう。それほどに変化しても、方言そのものは中々消滅しないかも知れぬが、しかしこれまで半世紀の間の変化の様子から推測すると、これからの半世紀の間には、方言の差がよほど少くなって行くであろうと思われる。そういう著しい言語の変化時代に、非常に美しい話し方という風なものが、強い魅力を以て大衆の耳を捕えるということになれば、日本語の前途にとってはまことに幸福であろう。眼に訴え文章の達人は明治以来幾人か輩出した。耳に訴え話し方の達人が今は特に待望される。

和辻哲郎『自叙伝の試み』「半世紀前の東京

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2010-03-10

[]今に東京詞の生粋は失ってしまうでしょう(岡鬼太郎) 今に東京詞の生粋は失ってしまうでしょう(岡鬼太郎) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 今に東京詞の生粋は失ってしまうでしょう(岡鬼太郎) - 国語史資料の連関 今に東京詞の生粋は失ってしまうでしょう(岡鬼太郎) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

貰って来た雑誌小説を、少し読み掛けて見ると、それは/\大変だらうぢゃないか、江戸ッ子の職人だとか云ふ若造が、二言目には「ベランメエ」さ、然うかと思うと、「内らにはそんな者は居ねえ」とか、「何う為すった」と云ふ事を「何うなした」だとさ、丸で舌ッ足らずなんだよ、だもんだから馬鹿/\しくって、それから読む気にならなかったが、知らない事は止すと好いネ、本当に聞いた風な附焼刄は冷汗が出るよ。

みき『何うも諸国入れ込みなんだから仕方がありませんよ、われ/\仲間にだって、音の違った江戸ッ子が幾らもあるんだから。

辰『場違ひの癖に江戸がられた日には目も当てられないのさ、それぞも其変挺な詞が偽物だと知れない中が花さ。

みき『お客様も九分は田舎だから、今に東京詞の生粋は失って了うでせうよ。

辰『情ないネ、オキャアセ種の安売流でなけりゃア、カラキシ駄目と云ふ世々界《よせかい》ては、お前逹も考へ物だ。

蝶『オキャアセって云ふのは名古屋ネ。

辰『アヽ、お前も東京生れだから駄目だよ。

蝶『然う。

みき『嘘だよ、阿母さんの云った事は冗談さ、幾ら東京者だって、アラやアだッてな事を云ってさへ居れば好いのさ。

辰『今時のお酌の詞なんて来たら、丸で女学生だ、紅葉館の京都ッ坊が幅をするんだもの、首ッ玉へ髭ッ面を擦り付けられてもジッとして居るぐらゐの度胸が無けりゃア、銭のある客は付かないよ。

岡鬼太郎「昼夜帯」明治39年

http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/887247/16


言及

「幾ら東京者だッて、「アラやァだ」ッてな事を云ってさへ居れば好いのさ」

吉川泰雄『近代語誌』p.217

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2007-05-03

[][]太宰春台「独語」 太宰春台「独語」 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 太宰春台「独語」 - 国語史資料の連関 太宰春台「独語」 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント


都て男女の風俗、詞つかひ、物の名まで、近比は京に似たること多し。(略)三十年この方は、江戸の人、京の風俗をまねぶ故に、武士の心も昔にかはれり。


真田信治標準語の成立事情

徳川宗賢(1978)『日本人の方言?筑摩書房 p83

徳川宗賢『叢書日本語の世界 言葉・西と東中央公論社 p105

中田敏夫風来山人言語描写」『ユリイカ』1988.04 特集平賀源内

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2007-05-02

[][]「平生説話の言語「平生説話の言語」 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「平生説話の言語」 - 国語史資料の連関 「平生説話の言語」 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

神田孝平文章論ヲ読ム」

明治一八年二月「東京学士会院雑誌

言語文章とを一致せしめんと欲せは、作る所の文章を朗読し聞く者をして直に了解す可からしむへし。聞く者をして直に了解せしめんと欲すれは、平生説話の言語を用ひさる可らす。平生説話の言語を以て文章を作れは即ち言文一致なり

山本正秀「言文一致」『国文学 解釈と鑑賞』196801明治事物起原事典

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