国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2012-11-26

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津軽の士と薩摩の士とが出会い、お互の話す言葉が分らないので、武士の嗜みとしていた謡のことばで話をしたという笑話がある。

大沼晴暉『図書大概』「四、図書表記」p.73

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2009-07-01

[]辻邦生 辻邦生 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 辻邦生 - 国語史資料の連関 辻邦生 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

明治維新の折、東北弁薩摩弁では話が通じないので、謡をうたってやっと意思を伝えたという笑話が残っているが

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2009-03-18

[](八戸) (八戸) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - (八戸) - 国語史資料の連関 (八戸) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 ご家中言葉に代表される八戸の丁寧語は、藩政時代、藩士に謡曲を奨励したことに始るとされています。

 謡曲は、当時の諸国に通じる共通語の役割を果たしていたようで、参勤交代の殿樣の出府に際し、お供の江戸詰の藩士が、方言で苦労しないようにとの配慮があったと伝えられています。

館光子『ことばのごもず』八戸地域社会研究会 1983.12

p27

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2009-01-26

[]タカクラ・テル タカクラ・テル - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - タカクラ・テル - 国語史資料の連関 タカクラ・テル - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 むかし,仙臺の侍と鹿兒島の侍とが,江戸のまんなかで出あった。道を聞いたが,さっぱりことばが通じない、やむをえず,謠で用をたした。

「いかにものをおたずね申し候。」

「おたずねとは何ごとにて候ぞ?」

「番町へはいかに參り候やらん?」

「さん候。この坂をのぼられ,右に參らりょうずるにて候。」

タカクラ・テル「ニッポン語再建」中央公論1937.7(タカクラ・テル『青銅時代』ASIN:B000JBBTKU所収)

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2007-07-02

[]〈浄瑠璃言葉〈浄瑠璃の言葉〉 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 〈浄瑠璃の言葉〉 - 国語史資料の連関 〈浄瑠璃の言葉〉 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

司馬遼太郎『菜の花の沖』第二巻(文春文庫 昭和62.3.10 p307)

司馬遼太郎『菜の花の沖』第六巻あとがき 昭和57.9(文春文庫 昭和62.5.10 p395)

〔商人は浄瑠璃言葉、武士は狂言言葉とする〕(堀畑正臣氏の御教示による)


浄瑠璃記」(『この国のかたち一』文春文庫 isbn:4167105608)にも。


司馬遼太郎井上ひさし『国家・宗教・日本人』講談社文庫 *

江戸時代の武士は少年のときに教養として謡を学んで、いざという掛け合いごとのときに謡の調子でひとりしゃべりをする。大坂の町人は丁稚に入ればもう浄瑠璃を習って、それが掛け合いごとに行くときにやはり役に立つんですね。(p105)

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