文字文化のなかで、むかし海外にあったが途絶えてしまったり、最初からなかったようなもので、日本で現在専売的に製作しているものはいくつかある。座談会に新聞連載小説。ほか思いつくままに書き出せば、今日「エッセイ」と呼ばれる文体に、大学の紀要と、そして最近、民放テレビの画面にひしめく夥しい数のテロップ文字、のようになる。
ロバート・キャンベル「エッセイの湾曲部」(1999)
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役所内相互ニ言語等懇意過、卑俗ニ流れ候様ニ而者 如何ニ候間、同輩者互ニ殿付、支配向をハ都而呼捨ニいたし、惣体右ニ准し可申候、私用之文通たりとも、大凡平様之字用ひ、文談等右ニ准し可申候
幕末御触書集成 第三巻
四十二 諸役人組支配勤方等之部
二四一九 天保十二年丑六月 p.149
『どうか、お願い』という意味で、『すみません』をよくつかうようになったのは、戦後ではないかと思う。それも女性たちが、しきりにつかいだして、だんだん男たちにも感染したのではなかっただろうか。
古波蔵保好「すみませんが――」『言語生活』213(1969.6)
演説会 敬忠*1 思ふ事 顕はしがてに みゆるかな まだいひなれぬ 人多くして 明治開化和歌集
演説会 敬忠*1
思ふ事 顕はしがてに みゆるかな まだいひなれぬ 人多くして
『新日本古典文学大系明治篇4和歌 俳句 歌謡 音曲集』p.123
和歌・俳句・歌謡・音曲集 (新日本古典文学大系 明治編 4)
*1:小宮敬忠
年賀状廃止が唱へられはじめた数年前の事、ある若い人から「年賀御遠慮申上候」という挨拶状をうけとって私は驚いた。 澤瀉久孝『玄米の味』p.76
年賀状廃止が唱へられはじめた数年前の事、ある若い人から「年賀御遠慮申上候」という挨拶状をうけとって私は驚いた。
澤瀉久孝「年中行事その他」 文藝春秋22-2 昭和18.12.8夜稿了