国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2015-01-07

[]薄田泣菫「茶話」 薄田泣菫「茶話」 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 薄田泣菫「茶話」 - 国語史資料の連関 薄田泣菫「茶話」 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 店員は精々《せい/゛\》京都訛りを出さないやうにして、詳しく新案の談話《はなし》をした。この店員は自分の有《もの》を他人《ひと》に取られまいとする時には京都弁を使ふが、他人《ひと》から何か貰ひ受けたいやうな折には、努《つと》めて京都訛りを押し隠さうとする。

広告新案」大正6.8 冨山房百科文庫 p.349

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2015-01-06

[]正宗白鳥坂本龍馬正宗白鳥「坂本龍馬」 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 正宗白鳥「坂本龍馬」 - 国語史資料の連関 正宗白鳥「坂本龍馬」 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

私は讀み乍ら、東北人たる作者が、西國の人と土地を書いてゐることを感じた。眞實に即した立場から云ふと、西國の地方色や西國人らしい情調に乏しいと云つていゝ。默阿彌の『島千鳥』の松島千太と明石の島藏とには、大まかながらも、東北人と中國人との面目が現はれてゐる。徳富蘆花の『黒潮』に出て來る肥後人や長州人にも、何處となくその出生地の面影が見られる。眞山氏の新作の人物には『土佐つぼ』らしいところや、長州人らしいところが、さう現はれてゐないやうである。言葉土佐訛り薩長土語を殆んど用ひなかつたのは、取つて付けたやうに所々に用ひるよりも、却つてサッパリしていゝのであるが、それにしても、臺詞に土の臭ひがない。田舍の青武士が一知半解の理窟を振り廻してあばれてゐるにしては、臺詞が調ひ過ぎてゐる。中村吉藏氏『井伊大老』などの幕末物の西國武士の無器用な、締りのない臺詞に、どことなくあの頃の若い下級の武士らしい趣きがあつたやうに思ふ。

(『文藝時評』中央公論)

真山青果全集月報 第十号(1941)第八巻


真山青果「坂本龍馬」


中村吉蔵「井伊大老の死」第四幕など

2015-01-05

[]汽車が逢阪山のトンネルを西へ抜けると、大阪弁が急に耳に押し寄せてくる(宇野浩二汽車が逢阪山のトンネルを西へ抜けると、大阪弁が急に耳に押し寄せてくる(宇野浩二) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 汽車が逢阪山のトンネルを西へ抜けると、大阪弁が急に耳に押し寄せてくる(宇野浩二) - 国語史資料の連関 汽車が逢阪山のトンネルを西へ抜けると、大阪弁が急に耳に押し寄せてくる(宇野浩二) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

「僕は昔からかなり毛ぎらいをしたもんで、美校(美術学校の意)にいた時分なども、かなり友人たちを毛ぎらいしたもんで、殊に自分が大阪もんだけに、大阪人を非常に嫌がったもんや。東京から夏休みに帰る時など、汽車が逢阪山のトンネル(山城と近江の境)を西へ抜けると、ぱッと世界があかるくなるのは愉快やが、わッと大阪弁が急に耳に押し寄せてくるのんが何よりもむッとする。考えてみると、それは自分が大阪のまん中で生まれた生粋の大阪人であるので、尚更にがにがしい気がするんかと思う。それやから、学校にいても、大阪から来てるやつとは殆んど言葉をまじえんことにしていた。それは、日本人西洋に出かけると、日本人に出あうことを申し合わしたようにいやがるのと同じようなもんや。」

 ざっとこういう意見を古泉が述べた時、島木は心から同感の言葉を放ったものである。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1135816/148

宇野浩二「枯木のある風景」

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2015-01-04

[]「地方言はきゝぐるしければ、普通の言に直しつ。」和辻哲郎(少年時代) 「[[地方言]]はきゝぐるしければ、普通の言に直しつ。」和辻哲郎(少年時代) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「[[地方言]]はきゝぐるしければ、普通の言に直しつ。」和辻哲郎(少年時代) - 国語史資料の連関 「[[地方言]]はきゝぐるしければ、普通の言に直しつ。」和辻哲郎(少年時代) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

子供 地方言はきゝぐるしければ、普通の言に直しつ。

子供の動作

▼子供の食事

 九月十七日の夕、僕は膳の前に坐つた。妹(五つなり)も母の側に座をしめてをる。

 御馳走はやき松茸であつた。ところが妹の膳の上にある松茸には、下女が醤油をかけるのを忘れてゐた。すると妹は直ぐ大声に、御母さん御醤油と叫んだ。つゞいて食事しながら、

  「アノね、御母さん、今目○○さんや○○さんと初茸とりに行つたの。○○さんは沢山取つてあたし等に見せびらかしてね、喜こんでいらつしやつたのに、ふと籠を松の木に当ててとり落しなすつたの。それで初茸はあちらへもこちらへも転がつてしまつたのですよ」

 とさも得意に話しては食ひ/\、母さんにもつと静かにと云はれてしばしばしきりに箸を動かして居たが、今度は少し眠くなつて駄々をこね始めた。

和辻哲郎『初旅の記』新潮社 pp.87-88

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2015-01-03

[]「我國は東と西とに各一大中心を有して、其言語風俗劃然として二大系をなすを見る」(田岡嶺雲東京大阪」) 「我國は東と西とに各一大中心を有して、其言語風俗劃然として二大系をなすを見る」(田岡嶺雲「東京と大阪」) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「我國は東と西とに各一大中心を有して、其言語風俗劃然として二大系をなすを見る」(田岡嶺雲「東京と大阪」) - 国語史資料の連関 「我國は東と西とに各一大中心を有して、其言語風俗劃然として二大系をなすを見る」(田岡嶺雲「東京と大阪」) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 今東京を出で、靜岡を過ぎり、濱松を經て、而して既に名古屋に至らば、言語風俗頓に面目を異にするものあるを見ん。盖し參以東は東京の感化之に及び、尾以西は大阪の感化之に及ぶ、實に我國は東と西とに各一大中心を有して、其言語風俗劃然として二大系をなすを見る。今地圖をとり來て遠と參との國境線を延長して、我國を東西の兩大部に分てば、線以東は則ち東京を中心として之に屬し、以西は大阪を中心として之に屬す。東京大阪とは各東西に鎭して我國の二大中心たるものたるなり。而して其風尚の夐かに相異なれるものを見る。東京が政治の都たるが如く、大阪は商業の市なり。東京は文華の中心にして、大阪は工業の地なり。而して大阪は京畿優柔の風をうけて、東京は昔日東夷剽悍の俗を存す。此は關八州任侠の面影を今にのこして、人氣寛濶に、短慮に、淡白に、憤易くしてまた涙に脆ろし。彼は浪花津の昔より馴養せる財利の計に敏ければ、人氣侫諛言に巧みにして情に薄く、憤易からざれともまた涙に乏し。從て大阪は實用を尚ぶ、東京は華文を喜ぶ。故に世俗的なり、美の如きは彼等の解する所にあらず。食倒れの語の明かに之を證するが如く、唯物質的に心神を滿足さすを知るのみ。文學の彼地に榮ざるものもとより其人なきによるなきに非ずと雖とも、文學の事の商業と相容れずして、職として大阪の人士文學を解する能はざるに由らずんばあらず。故に吾人は敢て大阪文學の盛に興らざるを咎めずと雖ども、彼地に在る文士の作の、一種の俗臭を帶ぶるを見る毎に顰蹙せずんばあらず。概して之をいへば大阪に在る文士の作は、一種の俗氣を帶びて清楚瀟洒の趣に乏し。盖し大阪人士の實用を尚び、世俗的なる、從て其の嗜好野卑に傾かざる能はず、此野卑なる嗜好に投じて、此俗氣ある風俗を寫さんとす、此俗土に生れざるの人たらしむるも、尚其作俗氣を帶びざる能はず。南翠、霞亭の筆の如何に俗了せられたるかを見よ。而して彼俗氣芬々たる京阪の間に生れたるもの、來つて東京にありと雖ども、猶上方贅六的の俗臭を筆頭より滌ひ去ること能はず。青軒、仰天等の筆の、猶一種のいやみあるを見よ。上方贅六は由來文學を解し得るものに非ず。いやみあり、ダレ氣味あり、銅臭あり、俗氣あり、氣魄なく、活氣なく、優柔媚嫵にして婦女的なるものを上方文學の特徴となす。吾人は寧ろ此の如きの文學を厭ふ。

田岡嶺雲『嶺雲揺曳』

http://school.nijl.ac.jp/kindai/YMNK/YMNK-00420.html
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