国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2011-01-13

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「省」は「セイ」と読むときは「かえりみる」、「ショウ」と読むときは「はぶく」の意である。

旺文社編『高校受験の国語』昭和37.4.1) p.379

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2007-09-29

[]切韵序 切韵序 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 切韵序 - 国語史資料の連関 切韵序 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

昔開皇初、有儀同劉臻?等八人、同詣法言門宿、夜永酒闌、論及音韻、以今聲調、既自有別、諸家取捨、亦復不同、呉楚則時傷輕淺、燕趙則多傷重濁、秦隴則去聲爲入、梁益則平聲似去、又支(章移切)脂(旨夷切)魚(語居切)虞(遇倶切)共爲一韻、先(蘇前切)仙(相然切)尤(于求切)侯(胡溝切)、倶論是切欲廣文路、自可清濁皆通、若賞知音、即須輕重有異。

 呂靜韻集夏侯詠韻略周思言音韻李季節音譜?杜臺卿韻略等、各有乖互、江東取韻、與河北復殊、因論南北是非、古今通塞、欲更捃選精切、除削疏緩、蕭顏多所決定、魏著作謂法言曰、向來論難、疑處悉盡、何不隨口記之、我輩數人、定則定矣、法言即燭下握筆、略記網紀、博問英辯、殆得精華。

於是更渉餘學、兼從薄宦、十數年間、不遑修集。今返初服、私訓諸弟子、凡有文藻、即須明聲韻。屏居山野、交遊阻絶、疑惑之所、質問無從。亡者則生死路殊、空懷可作之歎、存者則貴賎禮隔、以報絶交之旨。遂取諸家音韻、古今字書、以前所記者、定之爲切韻五卷。剖析豪氂、分別黍累、何煩泣玉、未得縣金、藏之名山、昔怪馬遷之言大、持以蓋醤、今歎揚雄之口吃。非是小子專輒、乃述群賢遺意。寧敢施行人世、直欲不出戸庭。于時歳次辛酉、大隋仁壽元年也。


訥言?曰此製酌古沿今無以加也然古傳之已久多失本源差之一畫詎惟千里見炙從肉莫究缺由輙形聲固當從夕及其晤矣彼乃乖斯若靡馮焉他皆倣此頃佩經之隙沐雨之餘楷其紕繆畴茲得失銀鉤創閲晉豕成群盪櫛行披魯魚盈貫遂徴金篆遐沂石渠略題會意之辭仍記所由之典亦有一文兩體不復備陳數字同歸惟其擇善勿謂有増有減便慮不同一點一畫咸資別據其有類雜竝爲訓解傳之不謬庶埒箋云于時歳次丁丑大唐儀鳳二年


前費州多田縣丞郭知玄拾遺緒正更以朱箋三百字其新加無反音皆同上音也


陳州司法孫愐唐韻

蓋聞文字聿興音韻乃作蒼頡?爾雅爲首詩頌次之則有字統?字林?韻集韻略述作頗衆得矢互分惟陸生切韻盛行於世然隨珠尚纇和虹玉仍瑕注有差錯文復漏誤若無刊正何以討論我國家偃武修文大崇儒術置集賢之院召才學之流自開闢以來未有如今日之盛上行下效比屋可封輙罄諛聞敢補遺缺兼習諸書具爲訓解州縣名號亦據今時字體從木從才著彳著イ施殳施支安尓安禾竝悉具言庶無紕繆其有異聞奇怪傳説姓氏原由土地物産山河草木鳥獸蟲魚備載其間皆引憑據隨韻編紀添彼數家勒成一書名唐韻蓋取周易周禮?之義也及案三蒼爾雅字統?字林?説文玉篇石經聲韻聲譜九經諸子史漢三國志?晉宋後魏周隋陳宋兩齊書本草姓苑風俗通古今注賈執姓氏英賢傳王僧孺百家譜周何潔集文選諸集孝子傳輿地志及武徳已來創置迄開元三十年竝列注中等夫輿誦流汗交集愧以上陳天心又有元青子吉成子者則汝陽侯榮之曾孫卓爾好古博通内外遁祿巖嶺吐納自然抗志鈐鍵棲神梵字淡泊無事希夷絶塵倏忽風靈雲炎怡懌考窮史籍廣覽群書欲令清濁昭然學之上有終日而忘食有連宵而不寐案搜神記?精怪圖山海經?博物志?四夷傳?大荒經?南越志?西域記?西壑傳漢纂藥論證俗方言御覽字府及九經三史諸子中遺漏要字訓義解釋多有不載必具言之子細研窮究其巣穴澄凝微思鄭重詳思輕重斯分不令恩糅緘之金篋珍之寶之而已哉寧辭阻險敢不躬談一訴愚心克諧雅況依次編記而不別番其一字數訊則執優而尺之劣而副之其有或假不失元本以四聲尋譯冀覽者去疑宿滯者豁如也又紐其脣齒喉舌牙?部件而次之有可紐不可行之及古體有依約之竝采以爲證庶無壅而昭其馮起終五年精成一部前後總加四萬二千三百八十三言仍篆隷石經勒存正體幸不譏繁于時歳次辛卯天寶十載也

論曰切韻者本乎四聲豈以雙聲疊韻欲使文章麗則韻調精明於古人耳或人不達文性便格於五音爲足夫五音者五行之響八音之和四聲間迭在其中矣必以五音爲定則參宮參羽半徴半商引字調音各自有清濁若細分其條目則令韻部繁碎徒拘桎於文辭耳

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2007-07-04

[][]有坂秀世唐音に反映したチ・ツの音價」(部分) 有坂秀世「唐音に反映したチ・ツの音價」(部分) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 有坂秀世「唐音に反映したチ・ツの音價」(部分) - 国語史資料の連関 有坂秀世「唐音に反映したチ・ツの音價」(部分) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 國語のチ・ツ及びヂ・ヅが奈良朝時代に於て各ti, tu, di, duの音であつたこと、又それらが室町末期の頃既にtʃi, tsu, dʒi, dzuの音になつてゐたことは、今日既に定説になつてゐる。私がここで考へて見ようとするのは、その變遷時期が大體何時頃であつたか、といふことである。

 考證の材料としては主に支那關係の資料を用ゐなければならないので、まづ支那語に於ける舌音齒音の變遷を略述しておきたい。(但し、舌音の中でも、鼻音のことは今問題外とする。)まづ、舌頭音は古來t, d(dental)の音であつて、殆ど變遷が無かつた。舌上音は、隋唐時代には未だ純粹の破裂音であつて、その調音位置は恐らく現代英語のtʃɔis(choice)dʒɔi(joy)のtʃ, dʒに近いものであつたらう。併し、中原音韻では既に正齒音と同じアフリカータに轉じてゐる。正齒音は古來、tʃ , d 類のアフリカータであつた。詳しく言へば、隋唐時代には二等?cerebral三等?palatalであつたが、中原音韻では既に皆cerebralになつてゐる。齒頭音は古來ts, dz類のアフリカータであったが、現代北京官話ではi, yの前では口蓋化されてゐる。

 さて、我が國の天台宗及び眞言宗に傳へられた漢音は、平安朝初期(第九世紀?)の頃北支那から借入されたものであるが、普通の漢呉音に於けると同様、支那語のts,dz(齒頭音)tʃ,dʒ(正齒音)類のアフリカータをすべてサ行ザ行の形で傳へてゐる。蓋し、當時は日本語のチ・ツ・ヂ・ヅの頭音がなほt,dに近い形であり、未だアフリカータ化してゐなかつたからである。舌上音タ行ダ行の形で現れてゐる、これは當時の支那原音では未だ純粹の破裂音であつた。

 次に、院政初期(第十一二世紀の交)の人明覺は、悉曇要訣に於て、「杭州」の宋音をアンシウ、「行者」の宋音をアンシヤと記してゐる。ここでも、正齒音(tʃ)字たる州・者の音は未だサ行假名で表されてゐるのである。

 鎌倉時代に入ると、この期に輸入(一一九一年以降)された臨濟曹洞系の唐音は、今もなほ禪寺で経文・回向文等を誦するのに用ゐられてゐるが、それに於ては、漢呉音の場合と同様、支那語のts,dz(齒頭音)tʃ, dʒ(正齒音)類のアフリカータをすべてサ行ザ行の形で傳へてゐる。日本語のチ・ツ・ヂ・ヅの頭音が此の頃までも未だ單純な破裂音であつたことを知るべきである。但し、支那語舌上音は當時既にアフリカータ(tʃ,dʒ)化してゐたので、臨濟曹洞系の唐音ではそれをもすべてサ行ザ行の形で傳へてゐる。知客(シカ)直歳(シツスイ)竹箆(シツペイ)火箸(コジ)のやうな古い唐音語に於て、漢呉音タ行ダ行の音を持つ字がサ行ザ行の音で讀まれてゐるのも、此の故である。知客(シカ)の唐音讀みは、仙覺萬葉集註釋卷一(文永六年、一二六九)に既にその證を見出し得るものである。又、大體蒙古襲來(一二七四、一二八一)頃の作と推定される塵袋には、「畜生」の宋音をシクサンと記してゐるので、第十三世紀?末にはチは未だtiに近い音であつたことが證明される。

http://uwazura.seesaa.net/article/82129213.html

2007-06-30

[][]有坂秀世「諷經の唐音に反映した鎌倉時代の音韻状態」(部分) 有坂秀世「諷經の唐音に反映した鎌倉時代の音韻状態」(部分) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 有坂秀世「諷經の唐音に反映した鎌倉時代の音韻状態」(部分) - 国語史資料の連関 有坂秀世「諷經の唐音に反映した鎌倉時代の音韻状態」(部分) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/arisaka/on-insi/12.pdf

 ここに私が述べて見たいのは、主として唐音資料に反映した所の、鎌倉時代國語音韻状態である。

 鎌倉時代唐音資料としては、當時の文獻に見える唐音語彙は勿論重要には相違無いが、その數が極めて僅少である。それらに比すれば、質の正確さに於ては勿論劣るが、量に於て豐富なものに、禪宗寺院で諷經に用ゐられる唐音がある。言ふまでもなく、それらは久しい間口から口へと傳誦されて來たものであり、文字に書き留められたのは、大部分は江戸時代に入つてからのことである。その音韻状態は既に全く日本化して居り、無論傳誦の間に生じた訛も少からす混じてゐることとは思はれるが、これは陀羅尼なり回向文?なりの全文を唐音で誦するのであるから、單語の場合の如く断片的ではなく、その傳來時代に於けるその支那方言?音韻組織の全貌を髣髴たらしめるに足るものがある。從つて、一般の經文讀誦の奥書天台眞言兩宗所傳の漢音などと等しく、國語及び支那語音韻史料としては極めて重要なものであるのに、その言語學的研究が今日まで等閑に附せられてゐたのは遺憾なことである。

(二七) 史學雜誌第四十八編第八號所載森克己氏「日宋交通と日宋相互認識の進展」に據る。

(二八) 支那人の側から日本語を觀察Lた例を求めて見ると、まづ、鎌倉最初期日本安覺(備中の人)の發音を南宋人羅大經?(江西省盧陵の人)が漢字音譯した例が、鶴林玉露人集卷四に出てゐる。その中に日本語のクチ(口)を「窟底」と記してゐるのであるが、「底」は端母(t)の字であるから、安覺のチは多分tiに近い音であつたらう。次に、元末明初の人陶宗儀(浙江省黄巖の人)は、書史會要卷八の中に、日本僧克全大用?(傳未詳)から教はつた「いろは」の讀み方を記してゐる。その中に、「ち」を「啼又近低」と註し、「つ」を「土平聲又近屠」と記してゐる。その中「低」は清音のチに、「啼」は濁音のヂに、「土」は清音のツに、「屠」は濁音のヅに充てられたものと思はれるが、これらの文字はすべて舌頭音(t d)に屬するものであり、從つて克全大用?のチ・ツ・ヂ・ヅは寧ろti tu di duに近い音であつたらしく思はれる。但し、此の克全發音が果して當時の標準的發音であつたかどうかは判明しない。

(二九) 江戸時代に於ては、ヒヤウの假名とヒヨウの假名とは音韻的には等價であつた。〓は小叢林略清規にはヒヨウと振假名されてゐるけれど、ヒヤウ・ヒヨウの間に音韻上の區別の有つた室町以前の時代ならば、恐らくヒヤウと書かれたであらう。

(三〇) Giles字書に記された輝の寧波音hweiは、系統から言へば文言音系に屬する。


(三二) 趙元任氏著「現代呉語的研究聲母表參照。


(三五)黄檗文献では、例へばイ゜(於・于・語)キ゜(去・居・懼)イ゜ン(云・雲・運)等の如く、イ列仮名の右肩に小圏を付することによって[y]母音を表すことがある。「慈悲水懺法」(寛文十年)巻末の国字旁音例の中に「凡旁音有用小圏於上者矣。如イキ字須撮脣舌居中而呼之也」と言ってゐる通りである。然るにまた一方では、「如パピ等字先閉脣激而発音余倣此」と言ってゐる如く、同じ右肩の小圏が半濁点としても用ゐられてゐるので、ピのやうな字形は、pi p`i 又はhüの何れとも解せられることとなる。黄檗清規が虚にピ又はピイと振仮名してゐるのは、無論、piやp`iではなくて、hü類の音を意味するものである。



(三七) 橋本進吉先生「波行子音の變遷について*(岡倉先生記念論文集)の御説に據る。

(三八) 韻尾の〔m〕〔n〕の區別は、宋末元初の頃、北方官話?ではなほ保存されてゐた。併し、當時の呉方言ではどうであつたか、不明である。

(三九) 火箸の箸の假名遣について、大言海は、下學集(下、器財門)の 「火箸《コジ》」を引きながらもそれに從はず、却つて「正韻『箸、治據切、音|宁《チョ》』ナレバ、こぢナリ」と主張してゐるが、この論據は不適當である。何故なら、正韻近代支那音に基いたもので、その切字には澄母牀母との區別が無いからである。火箸の假名遣は、宜しく下學集温故知新書運歩色葉集室町時代辭書類の記載の一致する所に從つてコジとなすべきである。

(四〇) 黄檗宗や心越派?(曹洞宗?)の諷經唐音、その他江戸時代に輸入された唐音資料については、拙稿「江戸時代中頃に於けるハの頭音について*(國語と國文學昭和十三年十月號所載)の中で説明しておいた。

http://www62.atwiki.jp/kotozora/pages/9.html

2007-06-27

[]音の五行を知る歌 音の五行を知る歌 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 音の五行を知る歌 - 国語史資料の連関 音の五行を知る歌 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

アワヤ土 ハマ水 サ金

 タラナ火ぞ

 カは木なれども土につくあり

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の影響下にあるもの。


高井蘭山『名乗字引』寛政三年序

『本朝名乗字引』

高井蘭山輯・清間齋刪補『日本史同外史/名乗字引』(慶応四年増補再刻、竹山塾)

熊崎健翁『生命の神秘』昭和三五年十四刷(昭和二五年に改訂版の序)、紀元書房p126

田口二州『よい名前の付け方』昭和四五年、鶴書房*p35(漢字をまじえず、すべて平仮名で記す。田口二州『愛児の名前のつけ方』有紀書房、昭和五〇年*も同じ。p78)

福田有宵『幸せをよぶ姓名判断』一九八六年、新星出版社p58

石川雅章(一九七八)『愛児の為のすてきな名前』昭和五三年、日本文芸社p137

「あ」「わ」「や」土 「は」「ま」水 「さ」金 「た」「な」「ら」火ぞ「か」は木なれども土につくなり

(選名研究会『姓名学顧問』大正二年、雙文館* p105,p140)

アワヤ土 ハマ水 サ金 タナラ火ぞ カは木なれども土につくあり

(窪田久徳『応用姓名学』大正三年、永楽堂* p40)

アワヤ土カは木なれども土につくサ金ハマ水タナラ火としれ

(『増補/名乗字引』明治五年、敦賀屋為七ほか)

(片岡義助『新選名乗字引』明治十年)

アヤワ土 サ金 ハマ水 タラナ火ぞ カは木と定め 音に從ふ

   (根本圓通『名前の附け方字引』昭和四年、二松堂 p83)

アヤワ土 サ金 ハマ水 タナラ火ぞ カは木と定め 音に從ふ

   (徳田浩淳『姓名学読本』昭和一三年、巧人社 p38)

アヤワ土 サ金 ハマ水 タナラ火ぞ カは木と定め 音に從ふ

   (根本圓通『姓名学大鑑』昭和一六年、河野成光館* p108)

アヤワ土 サ金 ハマ水 タナラ火ぞ カは木とさだめ 音にしたがう

  (吉川博永『良い名前のつけ方』昭和三七年 協文社 p89)

  (吉川博永『よい名前のつけ方』昭和四五年 高橋書店* p57)

  (吉川博永『名前のつけ方』昭和五一年 高橋書店 p57)

アヤワ土 サ金 ハマ水 タナラ火ぞ カは木と定め 音にしたがう

  (吉川博永『赤ちゃんの名づけ方』昭和四五年 永岡書店p86)

アヤワ土 サ金 ハマ水 タナラは火 カは木と定め 音にしたがう

  (吉川博永『よい名前の条件と改名法』昭和五一年 日本文芸社 p64)

非「アワヤ」

ハマは水タラナは火なりカは木なりサシは金なりアワヤ土なり

(馬場信武韻鏡諸鈔大成』宝永二年)

ハマは水タラナは火なりカは木なりサシは金なりアヤワ土なり

鶴峯戊申『名判集成』文政三年 大正八年の刊記を持つ版本による。湯沢論文の〈五音歌〉Eと共に載る*1。)

ハマは水、タラナは火にて、カは木也、サシは金性、アワヤ土ナリ、

天理本『韻鏡反切秘講』請求番号821-697 写本 石橋顕忠

非「五音歌」系

毛利貞斎韻鏡秘訣袖中抄愚蒙記』(元禄八年)

韻鏡袖中秘伝抄』巻七

喉(のど)は土(つち)。牙(きば)は木(き)なるぞ。歯(むかば) 金(かね)。水唇(くちびる)に。舌は火と知れ。



河合元韻鏡調』(寛政七年刊)下巻

達音?『三國音訓通辯鈔?』文久癸亥序

喉は土 牙は木にして 歯は金よ 唇は水 舌は火としれ


要調査

「音の五行」で占うペットの名前

「音の五行」で占うペットの名前

*1鶴峯戊申磨光韻鏡口授』(東北大学)にも、〈五音歌〉Eが載る。

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