国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2010-02-15

[]日本随筆索引 五十音 日本随筆索引 五十音 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 日本随筆索引 五十音 - 国語史資料の連関 日本随筆索引 五十音 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 五十連音(晤語上ノ一)

  経緯(北邊?一ノ九)

  五十音の配字(松筆?一六ノ一五)

   國音五十母子(藝苑?二ノ一ヨリ三六)

  五十音、第六行第十行の音(老牛下ノ一四、一五)

  五十音の本源(碩鼠?一ノ一)

  五十音圖悉曇に本づく(難江三ノ八〇)

  五十字文(海西?一ノ二八)

  明了房信範記(如蘭?二三ノ九)

  五十音和蘭人に唱へさせたる事 (玉か?二ノ四二)

   「コオ」語音* 「イロ」いろは 「カナ」假字 「モン」文字ヲモ見ヨ

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2007-07-04

[][]有坂秀世唐音に反映したチ・ツの音價」(部分) 有坂秀世「唐音に反映したチ・ツの音價」(部分) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 有坂秀世「唐音に反映したチ・ツの音價」(部分) - 国語史資料の連関 有坂秀世「唐音に反映したチ・ツの音價」(部分) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 國語のチ・ツ及びヂ・ヅが奈良朝時代に於て各ti, tu, di, duの音であつたこと、又それらが室町末期の頃既にtʃi, tsu, dʒi, dzuの音になつてゐたことは、今日既に定説になつてゐる。私がここで考へて見ようとするのは、その變遷時期が大體何時頃であつたか、といふことである。

 考證の材料としては主に支那關係の資料を用ゐなければならないので、まづ支那語に於ける舌音齒音の變遷を略述しておきたい。(但し、舌音の中でも、鼻音のことは今問題外とする。)まづ、舌頭音は古來t, d(dental)の音であつて、殆ど變遷が無かつた。舌上音は、隋唐時代には未だ純粹の破裂音であつて、その調音位置は恐らく現代英語のtʃɔis(choice)dʒɔi(joy)のtʃ, dʒに近いものであつたらう。併し、中原音韻では既に正齒音と同じアフリカータに轉じてゐる。正齒音は古來、tʃ , d 類のアフリカータであつた。詳しく言へば、隋唐時代には二等?cerebral三等?palatalであつたが、中原音韻では既に皆cerebralになつてゐる。齒頭音は古來ts, dz類のアフリカータであったが、現代北京官話ではi, yの前では口蓋化されてゐる。

 さて、我が國の天台宗及び眞言宗に傳へられた漢音は、平安朝初期(第九世紀?)の頃北支那から借入されたものであるが、普通の漢呉音に於けると同様、支那語のts,dz(齒頭音)tʃ,dʒ(正齒音)類のアフリカータをすべてサ行ザ行の形で傳へてゐる。蓋し、當時は日本語のチ・ツ・ヂ・ヅの頭音がなほt,dに近い形であり、未だアフリカータ化してゐなかつたからである。舌上音タ行ダ行の形で現れてゐる、これは當時の支那原音では未だ純粹の破裂音であつた。

 次に、院政初期(第十一二世紀の交)の人明覺は、悉曇要訣に於て、「杭州」の宋音をアンシウ、「行者」の宋音をアンシヤと記してゐる。ここでも、正齒音(tʃ)字たる州・者の音は未だサ行假名で表されてゐるのである。

 鎌倉時代に入ると、この期に輸入(一一九一年以降)された臨濟曹洞系の唐音は、今もなほ禪寺で経文・回向文等を誦するのに用ゐられてゐるが、それに於ては、漢呉音の場合と同様、支那語のts,dz(齒頭音)tʃ, dʒ(正齒音)類のアフリカータをすべてサ行ザ行の形で傳へてゐる。日本語のチ・ツ・ヂ・ヅの頭音が此の頃までも未だ單純な破裂音であつたことを知るべきである。但し、支那語舌上音は當時既にアフリカータ(tʃ,dʒ)化してゐたので、臨濟曹洞系の唐音ではそれをもすべてサ行ザ行の形で傳へてゐる。知客(シカ)直歳(シツスイ)竹箆(シツペイ)火箸(コジ)のやうな古い唐音語に於て、漢呉音タ行ダ行の音を持つ字がサ行ザ行の音で讀まれてゐるのも、此の故である。知客(シカ)の唐音讀みは、仙覺萬葉集註釋卷一(文永六年、一二六九)に既にその證を見出し得るものである。又、大體蒙古襲來(一二七四、一二八一)頃の作と推定される塵袋には、「畜生」の宋音をシクサンと記してゐるので、第十三世紀?末にはチは未だtiに近い音であつたことが證明される。

http://uwazura.seesaa.net/article/82129213.html

2007-06-30

[][]有坂秀世「諷經の唐音に反映した鎌倉時代の音韻状態」(部分) 有坂秀世「諷經の唐音に反映した鎌倉時代の音韻状態」(部分) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 有坂秀世「諷經の唐音に反映した鎌倉時代の音韻状態」(部分) - 国語史資料の連関 有坂秀世「諷經の唐音に反映した鎌倉時代の音韻状態」(部分) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/arisaka/on-insi/12.pdf

 ここに私が述べて見たいのは、主として唐音資料に反映した所の、鎌倉時代國語音韻状態である。

 鎌倉時代唐音資料としては、當時の文獻に見える唐音語彙は勿論重要には相違無いが、その數が極めて僅少である。それらに比すれば、質の正確さに於ては勿論劣るが、量に於て豐富なものに、禪宗寺院で諷經に用ゐられる唐音がある。言ふまでもなく、それらは久しい間口から口へと傳誦されて來たものであり、文字に書き留められたのは、大部分は江戸時代に入つてからのことである。その音韻状態は既に全く日本化して居り、無論傳誦の間に生じた訛も少からす混じてゐることとは思はれるが、これは陀羅尼なり回向文?なりの全文を唐音で誦するのであるから、單語の場合の如く断片的ではなく、その傳來時代に於けるその支那方言?音韻組織の全貌を髣髴たらしめるに足るものがある。從つて、一般の經文讀誦の奥書天台眞言兩宗所傳の漢音などと等しく、國語及び支那語音韻史料としては極めて重要なものであるのに、その言語學的研究が今日まで等閑に附せられてゐたのは遺憾なことである。

(二七) 史學雜誌第四十八編第八號所載森克己氏「日宋交通と日宋相互認識の進展」に據る。

(二八) 支那人の側から日本語を觀察Lた例を求めて見ると、まづ、鎌倉最初期日本安覺(備中の人)の發音を南宋人羅大經?(江西省盧陵の人)が漢字音譯した例が、鶴林玉露人集卷四に出てゐる。その中に日本語のクチ(口)を「窟底」と記してゐるのであるが、「底」は端母(t)の字であるから、安覺のチは多分tiに近い音であつたらう。次に、元末明初の人陶宗儀(浙江省黄巖の人)は、書史會要卷八の中に、日本僧克全大用?(傳未詳)から教はつた「いろは」の讀み方を記してゐる。その中に、「ち」を「啼又近低」と註し、「つ」を「土平聲又近屠」と記してゐる。その中「低」は清音のチに、「啼」は濁音のヂに、「土」は清音のツに、「屠」は濁音のヅに充てられたものと思はれるが、これらの文字はすべて舌頭音(t d)に屬するものであり、從つて克全大用?のチ・ツ・ヂ・ヅは寧ろti tu di duに近い音であつたらしく思はれる。但し、此の克全發音が果して當時の標準的發音であつたかどうかは判明しない。

(二九) 江戸時代に於ては、ヒヤウの假名とヒヨウの假名とは音韻的には等價であつた。〓は小叢林略清規にはヒヨウと振假名されてゐるけれど、ヒヤウ・ヒヨウの間に音韻上の區別の有つた室町以前の時代ならば、恐らくヒヤウと書かれたであらう。

(三〇) Giles字書に記された輝の寧波音hweiは、系統から言へば文言音系に屬する。


(三二) 趙元任氏著「現代呉語的研究聲母表參照。


(三五)黄檗文献では、例へばイ゜(於・于・語)キ゜(去・居・懼)イ゜ン(云・雲・運)等の如く、イ列仮名の右肩に小圏を付することによって[y]母音を表すことがある。「慈悲水懺法」(寛文十年)巻末の国字旁音例の中に「凡旁音有用小圏於上者矣。如イキ字須撮脣舌居中而呼之也」と言ってゐる通りである。然るにまた一方では、「如パピ等字先閉脣激而発音余倣此」と言ってゐる如く、同じ右肩の小圏が半濁点としても用ゐられてゐるので、ピのやうな字形は、pi p`i 又はhüの何れとも解せられることとなる。黄檗清規が虚にピ又はピイと振仮名してゐるのは、無論、piやp`iではなくて、hü類の音を意味するものである。



(三七) 橋本進吉先生「波行子音の變遷について*(岡倉先生記念論文集)の御説に據る。

(三八) 韻尾の〔m〕〔n〕の區別は、宋末元初の頃、北方官話?ではなほ保存されてゐた。併し、當時の呉方言ではどうであつたか、不明である。

(三九) 火箸の箸の假名遣について、大言海は、下學集(下、器財門)の 「火箸《コジ》」を引きながらもそれに從はず、却つて「正韻『箸、治據切、音|宁《チョ》』ナレバ、こぢナリ」と主張してゐるが、この論據は不適當である。何故なら、正韻近代支那音に基いたもので、その切字には澄母牀母との區別が無いからである。火箸の假名遣は、宜しく下學集温故知新書運歩色葉集室町時代辭書類の記載の一致する所に從つてコジとなすべきである。

(四〇) 黄檗宗や心越派?(曹洞宗?)の諷經唐音、その他江戸時代に輸入された唐音資料については、拙稿「江戸時代中頃に於けるハの頭音について*(國語と國文學昭和十三年十月號所載)の中で説明しておいた。

http://www62.atwiki.jp/kotozora/pages/9.html

2007-06-29

[]開合(『林永喜仮名遣書』) 開合(『[[林永喜仮名遣書]]』) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 開合(『[[林永喜仮名遣書]]』) - 国語史資料の連関 開合(『[[林永喜仮名遣書]]』) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

此わかち、むかしはさたなく候を、定家卿より此かたあらためらるゝよしうけたまはり候、しかれども、かきうつしのあやまりにや、定家のかなづかひにもたがひめおほく御座侯、此い、ゐ、へ、ゑ、を、お、などはすこしたがひても、御じやうらうしうなどはくるしからざる事にて御座侯、ただ口のひらくかな、すはるかな、あそばしちがひ候は、わろき事にて侯。くちのひらくじ、すはるじ、おほかたさだまりたる事にて候、くちのひらくじは、ただ十御座候、あかさたなはまやらわ、此十の字ばかりひらくとおほしめし候へば、のこりはみなすはりて能御座候、たとへば、あう、かう、さう、たう、なう、はう、まう、やう、らう、わう、此たぐひはいつれもひらき候。



國語學書目解題

橋本進吉「国語音声史?」(『国語音韻史』)

迫野虔徳東国方言オ段の開合

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2007-03-24

[]上田萬年  清濁 上田萬年 	清濁 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 上田萬年 	清濁 - 国語史資料の連関 上田萬年 	清濁 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

茲に帝国文学会第二総会を開かるゝに当り、幹事の君まづ予が家を訪ひたまひて、是非とも此折に一席の演説を為すべしと所望せらる。されど予は此程漸く地方の巡回を終りて帰京せし事とて、其後公に私になにやかやと猶為す事多かれば。得難き名誉とは知りながら、残惜さを堪へ忍びて幾度か断りまゐらせしに一度も聴したまはず、やがては心ならずも此清濁音といふ題にて、敢て諸君の清聴を煩す事となりぬ。従て予が今述ぶる所は兼々予が抱ける意見の一斑をば、まこと一時の責塞ぎのために、御話致すに過ぎざる者にて、其詳細なる研究にいたりては、猶他日を期す者なれは、此段は幾重にも諸君の御含み置きを冀ひ奉るなり。


扨て日本語の上にて、清濁音に就きて研究せんとする者は、三箇の異りたる観察の方面ある事を忘るべからず。即ち第一言語学上の観察第二心理学上の観察、第三審美学上の観察これなり。


第一 言語学上の観察

日本語学の開けてより以来、最早短からぬ年月をば経たれども言語の躰形に関する研究に至りては、今も昔も殆ど仝様にて、誠に未開の域にありていはざるべからず。試に清濁音のみに就きていふ、此区別を本質の上より確知し居る文法家は、但に二三に止るべく、其他は大概夢中に法を説く者なるが如し。此等の所謂文法家が、清濁音の定義を下すを見るに、清音とは清みたる音なり、濁音とは濁りたる音なり、半濁音とは半濁りたる音なりといひ、而して又、清音は軽し、濁音は重し、半濁音は急促の強音なりなど注解す。然れど、一層巌密に質問して、清みたりとは何をいふか、濁りたりとは何をいふか、何故に全く濁らねばならぬか、何故に半濁らねばならぬかと問へば、彼等は単に濁点を打たぬ者即清音なり、濁点を打てる者即濁音なり、而して小環を打てる者即半濁音なりと答ふる外、其道を知らざる者なり。一言にていへば、彼等は字の上の区別を知りて、音の上の区別を知らず、字の上の区別を示す事、即音の上の区別を示すなりと迷信し居る者なり。


かゝる迷信は、一層能く彼等の母韻論上に現はれ居るなり。彼等はいはく、アはよろづの親声なりと、其故を問へは五十音の頭にあればなりといふ。又いはく、日本語にはアイウエオの音を以て終ることばなしと、其故を問へば、アイウエオの字决してことばの下に来ることなければなりといふ。


総して所謂文法家が言語の躰形を論ずる事は極めてポエチカルには相違なきも、仝時に亦不条理的なりと評するも、誣言にはあらざるべし。こは言語学を待ちて始て知るまでもなく、苟もコムモンセンスを有する人は、夙に承認し居る所なるべし。

故に茲に清ぬ音に就きて、一応其言語学上の説明を為すことも、决して無益の事にはあらざるべしと信ず。たゞし所謂清音なる者の中には非常に多くの種類ありて、一々これを説明する事は、音韻学の大半を講ずる事ともなるべけれは、今は仮りに濁音を有し得るだけの清音につきて説明せんと欲す。然らばまづ、かゝる清濁音には若干の種類ありやと問ふに、普通には四種なりといヘども、事実は必ずしも然らざるが如し。


第一、パ行ファ行ハ行清音)とバ行(濁音)と、P.F.H.=B

此行の清音につきては、古より沿革しば/\ありて、現に最近の発音法即わいうゑをと発音する者を合せては、P f h wの四期あるなり。こは正しく帰納的に証明し得らるゝなり。之に反し、濁音は第一期の清音即P音の濁音通りに、いつも不変に残りたるが如し。たゞし方言研究の事其歩を進むる暁には、此上に、多少の例外を見出すに至るやも知りがたし。猶パ行を半濁音と称する事の全くいはれなきは、後段の説明を見て知るべし。

第二、タ行清音)とダ行濁音)と、T=D

今日の発音法によれば、チとツとは共に此行中に入るべきものにはあらず。此二音は、今は全くタテトの如き、古より存する性質を失ひたる者なればなり。

第三、カ行(清音)とガ行(濁音)と、K=G

濁音には、地方によりて鼻にかゝるものあり。たとへば東京語のうぐひす、むごいなどに於けるぐごの如し。是等の語を九州人の発音する時は全く純粋の濁音なり。予輩は,この鼻にかゝる濁音を示すに、かりにか`き`く`け`こ`の字を以てす。これをローマ字にて書けば即ngなり。

第四、サ行清音)とザ行濁音)と、S=Z

サ行に於けるシも、亦此行中に入るべきものにあらず、是亦チツト仝じく、今は全く他の価直を有するに至りたる者なればなり。

以上はこれ普通に文法家の区別する四種の清濁なる者なれどゝ、其中の例外を取り来りて、予輩は左に猶三種を附加し得べし。


第五、チャ行(清音)とヂャ行(濁音)と、CH=JH

   たとへば、チヤン/\チュー/\チョク/\ヂヤン/\などの如し。


第六、ツァ行(清音)とヅァ行(濁音)と、TS=DS

   たとへばオトッツァン、ヅッシリ、ヅブロクなどの如し。


第七、シャ行(清音)とジャ行(濁音)と、SH=ZH

   たとへばシヤッポ、シャツ、ジヤー/\、ジュバン、ジョサイなどの如し。


以上列挙する所の清濁音は、抑も如何にして生じ来る者なるか、これ予が次に説明せんと欲する所の者なり。


清濁音(承前)

清音とは、呼息が声帯の支障を蒙らずして、単純に口内を過ぎて流出するに際し、其一部にて特に支障を蒙むるより生ずるものなり。仮令は両唇にて支障を蒙むる者をP或はF音とし、硬口蓋及び舌端にて支障を蒙むる者をS或はT音とし、軟口蓋及び舌後にて支障を蒙むる者をK音とするが如し。其他CH TS SH音の如き、皆其支障

を蒙むる時の、舌及び口蓋の部位如何に由りて其差を生し来る者とす。音韻学の上にては、過常此等の音を密閉音摩擦音の二種に別つ、即ちPTKの三音は密閉音にして、F S CH TS SH等の音は摩擦音なり。たゞし此等の事を明晰に叙するには、多少解剖図の挿入をも要すべく、かた/\あまりにくた/\しければ、今は総て他日出版せんとする拙著日本音韻学に譲る事とせり。


濁音とは、呼息が豫め声帯の支障を受けて韻的性質を帯び、然る後清音に於けるが如く、ロ内の一部にて再び支障を蒙むるより生ずるものなり。従って濁音の有する騒音的性質は、毫も其清音に於ける者と異ることなしと知るべし。仮令ばBのPに於ける、DのTに於ける、GのKに於ける、ZのSに於けるが如し。


濁音を発するに当り、ウビュラ能く口腔鼻腔間を密閉せざる時には、予輩は所謂鼻濁音なるものを有するに至る。この鼻濁音中にて、普過我国語上に現はるゝ者をWの音とす。其他は梅毒患者にて俗に鼻の障子のぬけしなど、いふ人の言語に、此類の音を多く認むべし。


以上陳述するが如く、清濁音の区別は全く生理的及び物理的に、声帯の作動如何楽音騒音の性質如何等より論究すべきものとす。かくの如くせざる以上は、予輩は到底其本質を甄別し難しと謂はんと欲す。其例証は今日までの国語学者が、如何に此上に一種曖昧の説明を附して、自ら甘ぜざるを得ざりしか悔ても知らるべし。

殊にその好き例はP音の上にあり。今日までの国語学者は、ハ行を以て唇音なりといへり。然れども今日のハヒヘホ等の音は、决して唇音にはあらざるなり。而して実際発音上のBの濁音に対する清音はP音にして、このP音は五十音図製作上の模範たりし悉曇韻学?の上よりいふも、又支那韻学?の上よりいふも共に純粋なる清音の地位に措かれ居るを以て見れは、今は何の疑ふべき処も論ずべき点もなし。然るに何時の頃よりかなりけむ我国にてはこれを半濁音と称するに至りぬ、甚しきに至りては、これを反濁音など書き換ふるに至りぬ。勿論此音が近代国語上にて、連想上トボケたる、或は野鄙なる事柄を指示するは事実なれども、さりとてそのために溷雑とか紆曲とかいひて、茲に一の別称を与へしとせばこは極めて謂はれなき次第と評せざるべからず。況してハの字に小圏を附するが故に、ハの字に二点を施して示すバの濁音に対して、これを半濁音と称すといふが如き説明を試むる語学者に至りては、予輩は寧ろ小癪にもこざかしくも、アナロヂーの論理を弄する者なり、

と断言するに躊躇せざるべし。猶此上には波行発音考あり、不日公にすべければ一読を賜はらんことを冀望す*1


言語学上より日本語に於ける此清濁音を観察せば、猶ほ他に論ずべき事、研究すべき事多かるべし。仮令ば

一、本濁の事、古代の日本語にて本濁音?を有する語の統計の事。

二、連濁の事、何故に連濁日本語上に現はれ来りしかの事。

三、TS SH CH及び其各濁音日本語に発達し来りし年代の事。

四、G或はNGが、現今の日本語にては如何なる地方にて、区別して発音せられ居るかの事。

五、SHI TSI CHI TI等の濁音は、何処に現存し居るかの事。

六、漢呉音等の支那音上にある清濁音が、如何に日本語に影響せしかの事。

七、清濁音に関する研究の歴史の事。

其他列挙せば猶数多の項目を得べしと信ず。さてはあまりに長引くべければ、今は一先づ第二の観察点に移るべし。


第二 心理学上の観察

予が心理学上の観察と称するものは、清濁音が連想上予輩に一種奇異の感覚を与ふるを研究するにあり。而して此研究に入るには、先づ言語発達の時別には、声音上より三期を画し得べき事を忘るべからず。三期とは即ち、

  第一期 オノマトポエチック時期、即ち初代の人類が万物自然の声音を万物其物の符牒とせし時期。

  第二期 シムボリック時期、別ち第一期に於て普通に用ゐたる幾多の声音の上より一種の音を抽象的に抜萃し来りて、これを使用して複雑に発達しゆく予輩の観念を代表せしむる時期。

  第三期 アイディヤル時期 即ち声音の特質に斟酌なく、全くこれをば思想を顕表する奴隷的機械として用ゐる時期。


今予の論ずる所は、主として第一第二の時期に属するものにして、第三期の言語にては、寧ろかゝる連想上の主義は珍重せざるものとす。故に一種の極端的論者には、左に掲ぐるが如き語をば、野蛮時代言語の遺物なりなど評するものあり。さはれ予は茲に言語の優劣を論ずるものにあらざれば、単に事実のみを陳べて、他は凡て諸君の高評に任ぜんと欲す。


予の考ふる処によれば、我国語に於ける清濁音には、左の連想的特質ありと信ず。尤も語の上には、二三或は三四の特質、互に相連合して顕はるゝ事常なりと知るべし。


   清音の連想的特質 濁音の連想的特質

(一)小なる事、    大なる事、

(二)少き事、     多き事、

(三)強き事、     弱き事、

(四)軽き事、     重き事、

(五)鋭き事、     鈍き事、

(六)陰なる事、    陽なる事、

(七)明なる事、    暗なる事、

(八)壮なる事、    老なる事、

(九)速き事、     遅き事、

(十)淋しき事、    騒がしき事、

(十一)有る事、    無き事、

(十二)静なる事、   動く事、

(十三)美しき事、   醜き事、

(十四)優しき事、   ぶしつけなる事、

(十五)賢き事、    愚なる事、

(十六)善き事、    悪き事、

猶ほ考へなば数種を得べし。仮令はチーチャイホソィなどいふ時と、デッカイドエライなどいふ時には、如何程の差あるかを見るべし。トン/\ハタ/\、ホト/\などいへば、如何にも物を軽く寂しく静に優にたゝく事と聞ゆれど、ガラン/\ガタピシ ドン/\ ドサ/\ バタ/\などいへば、何かむさくろしき奴が無器用にもいぎたなく、立ち振舞ふ状を思ひ出づべし。


コーンと鳴り、ゴーンと響く鐘の音、ホンノリ又はホノ/\と明くる暁の空、ボンヤリドンドリと照る春の夜の月、キッパリ、シッカリ、サッパリとした意気な事、グズ/\ グニャ/\としたドヂ、ベラボー、バカ、ブショーモノ、其他父といひヂヾーといび、母といひバヾーといひ、ウツといひブツといひ、フケルといひボケルといふ類ペチャ/\しゃべるオチャッピーに於ける、べチャ/\どなる山神に於ける、或はオホと笑ふ美人、シト/\あゆませたまふ淑女、或はゲタ/\ゲラ/\笑ふ田舎者、ザハ/\ゾハ/\とする浮気娘、切り果すといへば奇麗にあらずや、胴切りにする、プッパナスといへば、きたなくまづくをかしきにあらずや、ありてとあらで、なすとせず、皆此上にいへる連想上の関係と有せざるものなし。

かくの如き例を、思ひ出るまゝ書きゆかば、限りなからむ。しかれども、これを筆にする時は、これを口にする時よりも、其語勢を失ふ事多ければ、煩しき割に読者は其興味を感ぜらるゝこと少からんと信し、他は敢て茲に割愛す。


第三 審美学上の観察

我国にては母韻なり子音なりが、それ/\詩歌の上にて、如何程の力を有するかに注目し、この上の統計をとり、此上に規則を立てんと企てしもの、殆んどなきが如し。况んやまた清濁音の上に於てをや。よし一歩を譲りて、仮りにこれ有りとするも、其説は広く世間の承を経たるものにありざるは論なし。勿論音義説を主張する一派の文法家には、五十音図にかけて一種奇異の解釈を試むるものあれども、それとて歌学の上にまで論及したりしか疑はし。


故に予は今日以後の語学者に対ひ、切にこの上の研究を促さんとするものなり。而してその上に最も幸福なる結果の、一日も早く現はれ来らむことを渇望するものなり。


たとへばゲーテ?がミニヨン?の詩に於ける、

Kennst du es wohl ?

Dahin ! dahin

Moecht' ich mit dir, o mein Geliebter, ziehn!

U(ウ)及びO(オ)の音が、如何に曇りたる、秘密なる、涙もろき感情を予輩に惹起せしめ、またI(イ)の長音が、如何に鋭く、切なる、而して又落着かざる感情を、予輩に惹起せしむるかを見よ。

其他SPR STRの両音が勢強き運動を示し、GRの音が薄黒きこと或は不吉などを示す等、総てこの種の事を独乙にてはクラングマーレラィ(音画)と称し、研究極めて盛んなり。


詩入は声音の有するこの力を、分析的に研究する必要を認めざるべし。然れども詩人たるもの苟もこの力を感得するにあらずんば、よし思想上の美のみは現はし得べしとするも、思想及び言語の和一的美は到底描き出し難からむ。


謹みて清聴を賜はりたるを謝す。

(完)

帝国文学』第一巻

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