国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2010-02-16

[][]日本随筆索引 手習 日本随筆索引 手習 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 日本随筆索引 手習 - 国語史資料の連関 日本随筆索引 手習 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 手習といふは漢語なり(一話四一ノ二一)

  手習は阪に車を押す如し(松筆七七ノ三二)

  いろはの出來ぬ前は手習始に難波津の歌と淺香山の歌を教へし事(南窓一ノ三九四)

  依勅書伊呂波(卯花一ノ三〇九)*

手習師匠

 手習師匠多くなる(飛鳥九)

  雷師匠(忘れ下ノ四六三)

  江戸手習師匠に無筆多し(塵塚七九)

  「テラ」寺小屋ヲモ見ヨ

手習

 若宮の手習始(鹽尻四三ノ六八八)

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2009-01-12

[][]江戸時代楷書(岡本綺堂江戸時代の楷書(岡本綺堂) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 江戸時代の楷書(岡本綺堂) - 国語史資料の連関 江戸時代の楷書(岡本綺堂) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

岡本綺堂『風俗江戸物語』河出文庫p.126

 楷書を教えなかった手習師匠

 上方《かみがた》では手習《てならい》を教えるところを寺子屋と唱えていましたが、江戸では寺子屋とは言いません。単に手習師匠といっていました。

 この時代には、手習師匠のところで教える文字は、仮名草書行書の三種類だけで、決して楷書《かいしよ》は教えなかったのです。その当時は楷書というものを現今の隷書《れいしよ》のように見なしていたので、普通一般には使用されなかったのです。

 むしろ楷書を実用的の字として認めないくらいであったのです。現今の人達が隷書を知らぬといっても少しも恥にならないのと同じように、昔の人達は楷書が書けないといっても、決して恥にはならなかったのです。

 公文書、その他の布達なども、必ず草書、即ち御家流《おいえりゆう》が用いられ、出版物には多く行書が使用されていました。従って楷書というものは一種の趣味として習うくらいのもので、別に書家について習わなければなりませんでした。

 手習師匠と書家とは、全然別種のものであることはいうまでもありません。

藤田眞一氏「〈書家〉蕪村」(大阪大学国語国文学会 2009.1.10)の指摘による。

岡本綺堂『風俗江戸東京物語』河出文庫 ISBN:4309406440





今井金吾古書の楽しみ(20)都路往来と木曽路往来」(日本古書通信776(1994.3))

岸井良衞「手習いの師匠」*1

*1:岸井良衞『江戸雑稿』毎日新聞社,1977 asin:B000J8YO5U

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2007-11-29

[][]素読を習う(露伴) 素読を習う(露伴) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 素読を習う(露伴) - 国語史資料の連関 素読を習う(露伴) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

手習いの傍、徒士町の會田という漢学の先生に就いて素読を習いました。一番初めは孝経で、それは七歳の年でした。元来其頃は非常に何かが厳重で、何でも復習を了らないうちは一寸も遊ばせないという家の掟でしたから、毎日々々朝暗いうちに起きて、蝋燭を小さな本箱兼見台といったような箱の上に立てて、大声を揚げて復読をして仕舞いました。そうすれば先生のところから帰って来て後は直ぐ遊ぶことが出来るのですから、家の人達のまだ寝ているのも何も構うことは無しに、聞えよがしに復読しました。随分迷惑でしたそうですが、然し止(よ)せということも出来ないので、御母様も堪えて黙って居らしったそうです。此復読をすることは小学校へ往くようになってからも相替らず八釜敷いうて遣らされました。併しそれも唯机に対って声さえ立てて居れば宜いので、毎日のことゆえ文句口癖に覚えて悉皆暗誦して仕舞って居るものですから、本は初めの方を二枚か三枚開いたのみで後は少しも眼を書物に注がず、口から出任せに家の人に聞えよがしに声高らかに朗々と読んで居るのです。而(そ)して誰も見て居ないと豆鉄砲などを取り出して、ぱちりぱちりと打って遊んで居たこともある。そういうところへ誰かが出て来ると、さあ周章(あわて)て鉄砲を隠す、本を繰る、生憎開けたところと読んで居るところと違って居るのが見あらわされると大叱言を頂戴した。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card1443.html

幸田露伴「少年時代



前田愛「音読から黙読へ」文句口癖に覚えて悉皆暗誦して仕舞つて居るものですから、本は初めの方を二枚か三枚開いたのみで、後は少しも眼を書物に注が」

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2007-07-11

[][](貝原益軒) (貝原益軒) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - (貝原益軒) - 国語史資料の連関 (貝原益軒) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント


六歳の正月、始めて数の名と我邦の仮名を習しむべし、伊呂波は益少し。あいうえお五十字を教ふべし、和語に通ずるに利あり。(略)

八歳は(中略)漢字草書を習はしむべし。

十歳(中略)真字を習はしむべし。


芳野兵作『座右之銘』 明治33 増補訂正七版

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