国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2012-02-20

[]六日は「むゆか」(夏山雑談・巻三) 六日は「むゆか」(夏山雑談・巻三) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 六日は「むゆか」(夏山雑談・巻三) - 国語史資料の連関 六日は「むゆか」(夏山雑談・巻三) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

   ○むゆか

六日は「むゆか」なり。源氏物語にもみへたり。「むいか」と云ふはあしゝとなり。



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2011-12-22

[]新らしい言葉二つ三つ 坪内逍遙 新らしい言葉二つ三つ 坪内逍遙 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 新らしい言葉二つ三つ 坪内逍遙 - 国語史資料の連関 新らしい言葉二つ三つ 坪内逍遙 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

新らしい人の書いたものを讀むと、一ペイジに一つ位は其の人一家の新造語が出て來る。

 東京の一部で使つてゐる「カツチリ」と「ガツシリ」と上方語の「ガツチリ」とを三つ混同したものもある。

「しつッこたらしい」と云ふのは「しつッこいやうな」の義であらうか。小説の中にあるのだが、立派なお嬢さんに「すてき」だとか「すばらしい」とか云ふ言葉を使はせたのも出て來る。婦人の日常語も變つたものだ。

 「うれしみの餘り」「青草原に寝轉んで」と云ふ句もあつた。「夙寐」と書いて「早寢」と讀ませたのもあるが、どう云ふ必要から斯んな字を使ふのであらう。

 呉の字に「れ」を送つたり、度の字に「く」を送つて使ふのも、昔の手紙假名を避けた習慣の餘弊である。

 「肘鐵砲」とか「焼餅」とか云ふやうな言葉が立派な演説に使はれたり、眞面目な新聞記事の中に使はれたりしてゐるが、是も新鮮な刺激を與へる目的なのであらう。

 新刊新語字典と云つた種類の字引を讀んで見ると、「シイク」があつて「イット」「カール」「ルンペン」が無く、殊に服飾の語「スエータ」「ズロース」「タキシード」が無いのがある。「プロレタリアート」に注を「プロレタリア藝術」と附けたのもある。

 片假名を用ゐないと讀んでくれる人が無からうと思つて、私も最近「中央公論」に寄稿したものにはは一つ二つ使つて置いた。(七月二十一日)

  附記。七月の「中央公論」に正宗白鳥氏が本誌前號の坪内博士談話*1引用してゐられるが、筆記である爲に博士の眞意を十分に正宗氏始め一般讀者に傳へ得なかつた事は遺憾であり、博士に對して陳謝する所である。博士は今「演劇博物館」と云ふ月刊册子に毎號「柿の蔕」と題する追憶的随筆執筆中である。明治文學史の正確なる資料として甚だ貴いものである。册子が特種のものである爲に世に廣く讀まれてゐないらしいのは私かに遺憾とする所である。博士は又機を待つて同誌に、文字言葉に關する所見を發表されるとのことで、其の準備として、今夥しく材料を蒐集してゐられる。本號に載せた談話の斷片は私の備忘録を抄出したに過ぎぬものである。博士に或は累を及ぼすことを恐れて、寛恕を仰ぐ次第である。          種亮

『校正往来』第二輯 昭和六年五月)


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2011-03-02

[]1926年のパパママ問題(佐藤春夫) 1926年のパパママ問題(佐藤春夫) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 1926年のパパママ問題(佐藤春夫) - 国語史資料の連関 1926年のパパママ問題(佐藤春夫) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

台湾では台湾籍民の子供たちに小学校内で土語を使うことを厳禁し、時にはこれを犯したものに鞭を与えた事実さえあったというのに、それほど国民と国語との権威を知っている為政者なら、何故、今日中流以上の日本人の子供たちがパパ、ママと呼ぶことを厳禁し処罰しないのでしょう――とさえわたしは思うのです。

「今までわれわれ文学者のなかにもわたしと同意見を発表した人もありました」

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2011-02-26

[]1934年のパパママ問題 1934年のパパママ問題 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 1934年のパパママ問題 - 国語史資料の連関 1934年のパパママ問題 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 つい近頃の新聞に、松田文相とかの意見で、此頃東京の家庭で若い夫婦のものが、子供に自分逹をパヽさん、マヽさんと呼ぱせるのは不都合だから、其稱呼を廢させるとか、禁止するとか載つてゐた。

 それについて色々の學者の賛否兩方の意見を載せた新聞もあつた。

西村眞次『随筆多角鏡』「パパさんママさん」(昭和九、九、二) p.445


【パパ】

【ママ】

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2011-02-18

[][]【お疲れ様】飯沢匡1961[[【お疲れ様】]](飯沢匡1961) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - [[【お疲れ様】]](飯沢匡1961) - 国語史資料の連関 [[【お疲れ様】]](飯沢匡1961) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 次に、もっと不思議、いや私が、ゾツとするくらい嫌いなのは「お疲れさま」という挨拶だ。

 これは芝居が終って(中略)別れる時に私が「サヨナラ」とか「お休み」とかいうと、新劇人は必ず「お疲れさま」という。何でも「様」さえつければ敬意を表せると考えた愚かな表現の、この「お疲れさま」には、ひどく封建的なものを感じるのである。(中略)

 私は歌舞伎の菊五郎劇団や吉右衛門劇団にも脚本を提供したことがあるので、そこで、これと同じ言葉を聞いたこともあるが、その時は、何ら反撥は感じなかった。

 その場の雰囲気にぴったりとしたものがあった。なぜなら、そこには私の想像してる江戸時代があったからだ。

 彼らが、インギンというより、やや卑屈に小腰をかがめて「お疲れさま」というと、私はチョン髷を結ってる作者になったような錯覚に陥った。

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