国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2014-01-01

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ドーン/\/\ドドドヽー/\プー/\プウプウプツプー

何處でか大層大砲が鳴てソシテ喇叭の聲が聞え升が何事ですかネ。

「今日は丁度明治一百七十三年三月三日で國會の祝日では御座らぬか。

「左様/\、ソシテ本年度の議事院も今日開會に爲るとか聞ましたが、丁度一百九十年の祝日に當り何よりお目出度ことサ 天皇陛下も群臣を率て議場へ御臨幸になると云ふことですから、定て上下、兩院の議員は盛な儀式を備て、陛下を奉迎し萬歳を祝する事で御坐らふ。

「お互に此繁榮の世の中に生れ、安樂に老年を過のは誠に仕合な事で御坐る。此四方四里餘りの東京は一面に煉瓦の高樓となり、電信は蛛の巣を張るが如く、汽車は八方に往來し、路上の電氣燈は宛ら白晝に異らず。東京港には萬國の商船を繋で商賣の盛大なる龍動や巴里も三舍を避け陸に数十萬の強兵あり、海に数百の堅艦を泛べ、世界中日章國旗の飜らぬ場處もなく、教育全國に普及して、文學の盛なる、萬國其の肩を比ぶる者なく、其上政事上の有様を視れば、上に至尊至嚴なる帝室有りて、下には智識と經驗に冨む國會があり、改進保守兩黨の競爭によりて、滑に内閣を交代し、憲法確定して法律能く整ひ、言論も集會も盡く自由にして、更に其弊害なきは古今の歴史上に於て比類なきことと思ひ升。百年前迄は亞細亞中貧弱の邦國と云れて、歐米諸國の爲めに輕蔑せられし者が、暫時の間に國勢の一大進歩を爲したのは、畢竟 天皇陛下が聖明の君主にましまし、夙に立憲政體を立るの 聖詔を下し、遂に明治廿三年の本月本日に、國會を設立し給ひしより、次第に世運も進歩して、今の樣に成たのだから、御互に子々孫々迄 皇室に忠義を盡さねば成ぬ譯サ。「誠に君の仰の通に相違ない。去乍ら私が幼少の時分祖父抔から聞て居るには、明治十三四年の頃には、政府と人民の間に種々の軋轢があり、十六七年より八九年に掛ては、世間が大不景氣で民聞に政事思想がなくなつて仕舞たト云ふことで、丁度其の時分の人が書た廿三年の未來記と云ふ書を讀で見るに、夢に托して政事社會の有樣を示し、不完全なる國會が立つに違ないと斷言してあるが、如何して其事情が一變して、此く目出度世の中に成た者か、古い事だからサツパリ私共には分りません。

「御尤もの御不審で御座る。百年前の歴史も世に傳はらぬ者が多から、當時の事實を尋るには、太だ不都合だが、古語にも云ふ通り、隱顯有v時で、私は不思議なことで國會開設前後の事が精細に分る奇書を得ました。

「ハテ夫は妙で御座る。

「マアお聽下さい。先日の大雨で上野博物館の後に當る鶯谷の崖が崩ると、其中から一の石碑が出ましたのを、繪入朝野新聞で電氣銅版に冩して掲載しました。久しく地中に埋つて居たト見え、碑文には磨滅した處が多いが、篆額の鶯溪先生之碑ト云ふ處丈は明白に讀ました。ソコデ記者鶯谷と云ふは、此石碑から名を得た者で有ふト説を付ましたが、是は大なる間違で、明治維新よりも前に出來た書物に上野の鶯谷と書てあり升から、百四五十年以來の地名とは思はれません。今こそ此地は大厦高樓の軒を接する繁盛の塲所なれ共、昔は隨分閑静の地で有たト云ことですから、國會開設に盡力した人が功成り名遂げ、此地に隱て鶯溪と號し其後有志者が有て、紀念の爲に石碑を立た者と思はれ升。今日の新聞でも往昔の事を論ずるには、兎角附會の説が多くて容易に從れません。貴君は其新聞を御所持ですか。

「茲に在升から御覽なさい。

「ハテ、繪入朝野新聞第四萬九千五百卅號、能く古から續た者だ。ト云乍ら懐中より眼鏡を取出し、大なる洋紙四折の新聞を披て視れば、細密なる挿畫が幾ツも有て、其間に古碑の寫眞を掲たり。

「ナル程、これは妙だ。文體と云ひ、書風と云ひ、百年前のものに相違御座いません。殘念なことには闕文があるので、何分にも讀めぬ處が多い樣なれども、前後を推して考へれバ、鶯溪と云ふ人は、如何にも豪傑の士で、夫婦ながら社會の爲めに盡力したものと思はれます。何かして此の人の傳記を見たいもので御坐います。ダガ、○野とあれバ、兼て祖父などから承つて居る國會開設前後に有名な先生のことでは無いか知らん。

「左樣で御坐る。此の碑文中に先生の事蹟は雪中梅花間鶯の二書とあつて、其の上の一字が闕けて居りますが、多分載の字か詳の字でありませう。此の書があれバ、定めて當時の事情が分るであらふと思ひ、方々聞き合せて見ましたが、何分にも古いことだから知つて居るものが御坐いません。ソコデ不圖考へ付き、上野の書籍館へ參り、色々と捜索して、ヤット見附けましたから、數日筆耕者を頼んで先づ雪中梅丈を寫し取らせました。其の文章も中々面白く、ソシテ談話の摸樣をありの儘に書たものだから、能く人情を冩し、明治廿三年前の政事社會を眼前に見る樣で、名士賢女が種々の艱難を忍び、國會の設立に盡力する處は、時代の違ふ今日の人にまで感動を與へますから、貴君に御目に掛けやうと思つて持參しました。

「ソレは有難い。ナニ雪中梅鐵膓居士著ト。然れバ矢張り、彼の二十三年未來記の著者と同人ですな。定めて國會開設前の有樣が善く分りませう。何樣國會百五十年の祝日にあたつて、此の樣な古書が手に入ると云ふも、誠に不思議なことで御座る。はテ目録漢文で書てありますナ。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/887009/11
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