国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2013-06-03

柳田国男「蝸牛考」言語時代差と地方差 柳田国男「蝸牛考」言語の時代差と地方差 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 柳田国男「蝸牛考」言語の時代差と地方差 - 国語史資料の連関 柳田国男「蝸牛考」言語の時代差と地方差 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 國語の成長、即ち古代日本語現代語にまで改まつて來た順序と、方言の變化即ち單語語法との地方的異同と、この二つのものゝ間には元來どういふ關係があるのか。それを私はやゝ明かにして置きたい爲に、幾つかの最も有りふれたる實例を集めて見た。現在保存せられてある多量の記録文學は、其著述の時處が知られて居る限り、又其傳寫に誤謬改作が無かつたことが確かめられ得る限り、何れもそれ/\に過去言語現象の、前後相異なることを語るものではあるが、その飛び/\の事實の中間の推移に至つては、概ねなほ不安全なる臆測を借らねばならぬ上に、それが何故に甲から乙丙丁へ、進み動くべかりしかの原由は説明してくれない。ところが方言は我々の眼前の事實であり、今も一定の法則によつて繰返されて居る故に、いつでも其觀察者に向つて自分の性質を告げようとして居る。もし比較によつて幸ひに發生の順序を知り得べしとすれば、それが同時に亦我國語の歴史の爲、史料の年久しい缺乏を補ふことになりはしないか。我々の兄弟が族を好み、田舍の物言ひのをかしさに耳を傾け心を留めたのも、千年以來のことであつた。殊に明治に入つてからは、之を調査する爲に大小種々の機關さへ設けられた。しかもこの大切なる總論に於ては、なほ將來の探險者に期待すべき區域が、斯様に廣々と殘つて居たのである。

 私たち民間傳承の採集者は、實は殆と皆言語學の素人ばかりであつた。單に文籍以外の史料から、過去の同胞國民の生活痕跡を見出さうとするに當つて、あらゆる殘留の社會諸事相の中でも、特に言語の現象が豐富又確實なることを感じて、豫め之を分類整頓して、後々の利用に便ならしめんとして居たのである。さうして其方法が未だ明かで無い爲に、源に溯つて幾分か自ら指導するの必要を見たのである。既に專門家の技能を學び得なかつた故に、この自己流は甚だしく迂遠であり、又勞多きものであつた。到底職業ある人々の再び試みるに堪へざるものであつた。從うて其申間の經過を報告することは、一方に同情ある批制者の忠言に由つて、自身今後の研究を有效ならしむると共に、更に他の一方には若干の利用するに足るものを集めて、次に來る人々の準備の煩を省くことになると信ずる。著者の結論もしくは現在力支せんとする假定は、一言に要約すれば次の如きものであつた。曰く

 方言の地方差は、大體に古語退縮の過程を表示して居る。

 さうしてこの一篇の蝸牛考は即ち其例證の一つである。

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