国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2012-05-01

[]明治10年代の小学校教育津田左右吉「自叙伝」明治10年代の小学校教育([[津田左右吉「自叙伝」]]) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 明治10年代の小学校教育([[津田左右吉「自叙伝」]]) - 国語史資料の連関 明治10年代の小学校教育([[津田左右吉「自叙伝」]]) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 學校の初年級で何を教へられたかは、ほとんどおぼえてゐないが、たいていは本を讀むことであつたらしい。その本には「小學讀本」といふのがあつたに違ひないが、一般に知られてゐる如く、それはアメリカ讀本の翻譯めいたものであつた。もちろんその時にそんなことを知つてゐたのではない。算術のけいこには、横はゞの三尺くらゐもある日本のそろばんの大きなものを、黒板の上にかけて敦へられた。珠が赤や青で染めてある四角な形をした小さいものもあつたが、これは先生が生徒に見えるやうに手にもつて使はれた。昔ふうのお草紙で手ならひもした。お手本は先生が書いて下されたやうだが、何が書いてあつたかは忘れてしまつた。たゞ初めから漢字ばかりであつたやうに思ふ。千字文を習つたおぼえがあるが、それはもう少し上級になつてからのことかもしれぬ。

 本をどういふふうに教へられたかは、よくおぼえてゐないが、まつ素讀のやうな讀みかたをしておいて、次にその講釋をして聞かされたかと思ふ。その講釋は口語でせられたであらうが、それがどんないひかたであつたかは、忘れてしまつた。土地の方言ではなかつたやうに考へられるが、それならば、どんなことばつかひであつたかといふと、それがわからないのである。本にはかなりむつかしい漢字があつたに違ひないが、その漢字を音で讀むばあひ、特に熟字には、一々それに日本語をあてることになつてゐたらしいから、いま思ふと、そのためにむりないひかたのせられたことがあるやうである。例へば、「國民」といふ文字があると、それを「コクミン」と讀んで「クニタミ」と講釋するのである。しかし「クニタミ」がどういふ意義であるかはわからずにすましてゆく。(これは假りに設けていつたのみである。その時の讀本などに「國民」といふ文字が用ゐてあつたかどうかは、はつきりしない。)今ならば音で讀むだらうと思はれる文字を、そのころにはで讀むぱあひもあつたので、本の標題の下に「なにがし編」とあると、その「編」を「あむ」と讀んだことをおぼえてゐる。そのころは、後年のごとく漢語がそのまゝに口語としては用ゐられなかつた時代である。かういふ讀みかたや講釋のしかたは、たぶん、漢籍の教へかたがそのまゝうけつがれたのであらう。ついでに書いておく。そのころの「官員」の地位に「屬」といふのがあつて、階級によつて一等屬とか二等屬とかいはれてゐた。その「屬」をサクワンと讀むやうに教へられたと思ふ。むかしの令の官制の稱呼によつたのであらうが、世間一般にさういつてゐたのか、たゞしはわたしの學校の先生のだれかの考であつたのか、よく知らぬ。

津田左右吉「自叙伝」「子どもの時のおもひで」『全集』24 pp.12-14

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