国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2011-11-02

詩学第二則(授業編) 詩学第二則(授業編) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 詩学第二則(授業編) - 国語史資料の連関 詩学第二則(授業編) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

学業は、読書にあるよしは、既に云おけり。詩も亦学業の一なり。されば専ら詩の為にすると云にはあらで、ひたすら読書を勤むる中には、知見もひらけ、材殖も出来て、詩も作らば、作らるべきと思はるゝ時節を待て、人々心のゆく方を、句に作り、章をなすは、即詩は志を言にて、是詩を学ぶの正路なり。もっとも詩をも学ばんと思はゞ、其読書の中に打まぜて、詩集詩話をも時々読て、古人の詩をも相応に記憶し、其義をも探り求めて、会得する事あれば、自然と詩は出来るなり。往年天竜寺中某院の弟子僧、相国寺の梅窓禪師のもとへ至り、詩を学びたきよしをいふ。梅窓いふ、汝古人の詩をいかばかり暗記せる。其僧いふ。多くは暗記せず。たゞ唐詩選絶句、数十首を記せるのみ。禪師いふ、左様の事にて、いかでか詩を作得べき。其僧いふ。いかほど暗記せばよからん。禪師いふ。いかほどゝ定りたる事なし。大抵三千ばかりを記し得べしと。其僧其ころ余に語れり。余が如きは記憶うすく、又古詩を暗記せんと勤めたる事もなく、老来は、たま/\記得せしをも、過半は忘記して、いかほども記し得ず。されど俗にいふ、はしりまわる詩は、首一句を人の吟ずるをきけば、其あとは大抵は記得せり。今の書生輩などは、無下に古人の詩をおぼえず。詩の出来がたきは理なり。されば梅窓も、左様に云へるなるべし。

さて前条にいへる如く、詩は平仄をあはすの。韻を押のといふ事有り。吾邦の人にありては、詩は学ぶ初に、大ひなる難事あり。一詩の中に、定りたる平仄のまくばり、二四不同、二六対、下三連をきらふなどの事は、三重韻の末にも、其図を出し、又先年より書生輩のとりあつかふ、林周父が纂せる、詩則などの中にも、亦図式ありて、童子輩も知れる事なれば、此には略す。さるにても、ありふれたる文字平仄を、あらましに覚ゆる事は、詩を段々作るにしたがひ、いつとなく、次第に覚ゆるなり。急におぼえんとしては、無益のいとまを費して、其功反って少なし。漸を以て、覚ゆるにしかず。今の人詩を作るを卑下して、僅に平仄をおぼえたるばかりなりといふは、不案内の言なり。もし平仄を委しくおぼえん事は、至て難し。其上、一字にても、用ひ方にて、平にもなり、仄にもなる、それらの事までを、細かにわきまえ知らんは、容易ならず。かくいふ余も、委しき事はおぼえず。されば初心の徒、詩を案ずるにあたり、平仄の疑はしきは、急度これを正してのち用ゆべし。孟浪にすべからず。不たしかながら用ゆるは甚だ悪し。後来大に害あり。一字々々に、平仄のしるしをつけたる、杜律、三体詩の小冊、又伊呂波韻などいふ類ひの書もあるよしなり。字毎に人へ問尋ねらるゝものにもあらねば、至て初心の徒は、右体の書にて、わきまえ知るもよし。

さて韻字は童蒙の時より心がけ。大抵詩に用ゆべき。はしりまはる字は暗記すべし。児輩小生、読書の余力、夜中のなぐさみながら、打こぞりて、何れの韻にても、一韻をさだめ、其韻中にて、暗記せる字を、各紙に書付、多少をくらべ、勝負をあらそふなどの事をも、時々なして試るもよし。さて韻字を覚ゆるは、平声のみにあらず。上声去声入声仄韻も、平声に準じて、相応におぼえ置くべし。此編の序説に云る如く、余は学業にとりかゝる事おそかりし故に、右体の事をなす暇なく、是に因て韻字を多く記せず。仄韻はなをさら記せず。大に不自由なり。其訳は、尊貴の前にありて、詩を作るなどの時、韻書をとり出し、検閲すること、体面みぐるしく、又夜臥、枕頭の構思、昼間杖頭の吟歩、韻書も見るべからざる折、たま/\一句一聨を得る事ありても、韻字を多く覚えざるに坐して、章をなさず。やむ事多し。仄韻を覚えざる、もっともさしつかえ多し。

さて韻字をおぼゆるには、前々よりありふれたる三重韻を便なりとす。いかにとなれば、其門を分ちて、類似せる字を、一所に聚るを以てなり。たとへば一東の韻には、何れの字かあると尋思するに、乾坤門にては、東の字あり。虹の字あり。風の字あり。空の字あり。と云やうに、思ひ出しやすし。又字を検索するにも、かゝる字は何れの門にあるべしと、其所を検視して、早速に知れやすし。余が幼年のころまでは、大抵世間一同に、三重韻を用ひたり。其後さま%\韻書も出、詩韻輯要、佩文詩韻も行はれ、又掌中詩韻などいふものを携えもち、三重韻を所持する人殊に少なし。其説にいふ、三重韻はあやまり多しと。げにも三重韻はあやまり多し。其略をいはゞ、濃の字は、二冬の韻字なるを、一東にも出し、槐の字は、十灰の韻字なるを、九佳にも出すの類、なを多し。一一には擧論ぜず。往時東涯先生などをはじめ、先哲の詩にすべてあやまり用ひたるは、全く三重韻によりてあやまるなり。是また知らずんばあるべからず。然れども。其あやまりと云も、数十字の多きにいたると云にも非ざれば、正しき韻書と引合せ、誤りを正し置もよし。余がいふ所も三重韻がよろしきと云には非ず。たゞ初学の韻字を多く暗記するには便なりといふ事なり。余近年は老て眼力うすく、細字小冊の韻書は見がたき故、文字肥大なるをとり得に、頭書の大冊の三重韻を常に左右に置て、検閲に供す。少年輩など是を見て、あるまじき事のやうに思ひ、あやしみて問ものあれば、右の次第を語りきかす。彼頭書三重韻といふものは、数十年手にとりて見る人もなく、京都の書林の舗さきに、古本きはめて多かりしに、近年誰求むるともなく、古本少なくなりたりといふ。さればわれも人も聊か言論にも、気をつけて、かの人の子をそこなわぬやうにすべきことなるにや。なを韻の押やうの心得は、此末に論列す。

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