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2011-06-10

松下大三郎『改撰標準日本文法』第一編 總論 第一章 言語 第二節 説話構成の過程(4) 松下大三郎『改撰標準日本文法』第一編 總論 第一章 言語 第二節 説話構成の過程(4) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 松下大三郎『改撰標準日本文法』第一編 總論 第一章 言語 第二節 説話構成の過程(4) - 国語史資料の連関 松下大三郎『改撰標準日本文法』第一編 總論 第一章 言語 第二節 説話構成の過程(4) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント



 斷定 斷定は事柄に對する主觀の觀念的了解てある。例へば火事を見て「火事だ」と了解すればその了解「火事だ」は一つの斷定である。又警鐘を聞いて「何だらう」と思ひ或は「火事かな」と思つたとすると、不完全な了解ではあるがやはり了解であるから一つの斷定である。

 斷定は思想の單位である。思念は唯觀念であるだけでは之を一つの思想といふことは出來ない。思念が思想たるには斷定といふ階段を踏まなければならない。斷定といふ階段を踏んて始めて思想となるのである。

 斷定はその了解され方に由つて思惟性斷定と直觀性斷定との二つに分たれる。

 思惟性斷定とは判斷の作用に由る了解である。事柄に對する概念が他の概念と比較されてその間に共通點が發見され、前者の觀念が判斷の對象となり後者の觀念が判斷の材料となり、二者が同一意識内に統覺されたものである。例へば人が花を見たとする。花の本體や形や色や美醜は合體したま丶一つの觀念となる。それが分解されて「此の花」といふ概念と「美」といふ概念との二つとなり「此の花」といふ概念が判斷の對象となり「美」といふ概念が判斷の材料となると、この二概念が統覺されて「此の花は美しい」といふ斷定となる。こういふ斷定は判斷の作用に由つて生じたもので即ち思惟性斷定である。

 右の樣な思惟性断定は判斷の對象も概念であつて題目となつてゐるから之を有題の思惟性斷定とする。

 所が判斷の材料だけが概念となつてゐて判斷の對象が概念とならずに寫象のまゝでゐる場合がある。例へば「天氣」を見て「雨が降りさうだなあ」と思ったとすると、これはその場合の「天氣」を對象として判斷を下したのであるが、その對象は概念となつてゐない。こういふのを無題の思惟聖斷定とする。

 直觀性斷定とは判斷の作用に依らず即ち事柄に對する觀念が判斷の對象と材料とに分解されずに直觀のまゝ了解された斷定である。例へば突然地震に遭つて驚いて「あら」と叫んだとする。この「あら」に依つて表された思念は何等の判斷を下したものでもなく、その直觀がそのまゝ了解されたものである。こういふのが直觀性斷定であるが概念になつてゐないから此れは主觀的(非概念的)の直觀性断定てある。又驚いて「地震!」と叫んだとする。こういふ場合の斷定は「地震」といふ概念を材料とする了解であるから之を概念的の直觀性斷定とする。そうして地震といふことは分つても「此れは地震だ」といふ風に判斷的に分るのではなく、地震に對する寫象が直に地震の概念を喚起したのである。

 以上の考察に由つて言語の内面たる思念が思想を構成する過程は略わかつたと思ふ。これからこれに關聯して説話の構成上に於ける言語の斷句、詞、原辭の三階段を論じようと思ふ。

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