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2011-03-15

乾本に属する諸本の関係(上田万年・橋本進吉『古本節用集の研究』第三章 第四節) 乾本に属する諸本の関係(上田万年・橋本進吉『古本節用集の研究』第三章 第四節) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 乾本に属する諸本の関係(上田万年・橋本進吉『古本節用集の研究』第三章 第四節) - 国語史資料の連関 乾本に属する諸本の関係(上田万年・橋本進吉『古本節用集の研究』第三章 第四節) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント



第四節、「乾」本に属する諸本の関係

 乾本、即、易林本類に慶する諸本中、平井版易林本と別版易林本とは、復刻の際、不用意に生じた差異を除けば、全然同一である。草書本は内容体裁とも、殆、易林本に等しく、唯其の本文を草書平仮名とし、其の付録中に存する十幹十二枝十二時の異名をシ部数量門の終に移し、易林の跋を除き去り、少し語の順序を更へ、幾分か註を簡単にしただけであつて、易林本から出たものである事疑無い。

 慶長十六年本は、易林本の本文を草書に改め、傍に楷書を附して、所謂真草二行としたもので、一見した所では、草書本を基とし、傍に楷書を加へたやうに思はれ、且註の有様など草書本に似た点もあるけれども、仮名は、草書本と違つて、総て片仮名であつて、其の異体仮名を用ゐた箇所までも、殆全く易林本に同じく語の順序も、草書本よりも寧易林本一致する所が多いから、此の本は、主として易林本に依り、傍、草書本を参照して取捨して作つたものと考へられる。此の本は、易林本の付録に存する十干十二支十二時の異名数字の異體とをシ部数量門に移し、五山の條をコ部数量門に収め、新に廿四節并漏刻を付録に加へたのみならす、又、本文にも変更を加へて居る。即、卜部とエ部には食服門の次に新に器財門を立て、チ部には人倫門の次に新に官位門を立てた。此等、新加の門に存する語は、新に加へたものではなく、易林本の卜部及びエ部の食服門井にチ部の人倫門中にあるものであつて、其の語の意義から觀れば、これを併せたのは分類当を得ないので、別門とした方が正しいのである。さうであるから、此等は、慶長十六年本の方が原本の面目を存するもので、易林本は誤つて混同したのではあるまいかとの疑も起るのであるが、其の門所収の語の順序によつて観れば、慶長十六年本のヱ部器財門所収の語は、易林本では食服門の最後にあるから、もとあつた器財門の名を易林本に於て誤つて脱したものとも見られるけれども、ト部食服門及びチ部官位門所收の語は、易林本では食服門及び人倫門中処々に散在して居て、唯門名を脱したのみとは思はれない。寧、易林本の混乱して居たのを、廃長十六年本に於て所に門を立てゝ整理したものと見るべきである。

 又、易林本のカ部言語門を見るに、初に漢字二字の語があり、中頃に一字の語があり、終に又二字の語が出て居る。これは言語門に於て、二字の語を先にし一字の話を後にするといふ易林本一般の通則に合はないのである。然るに、此の本の四十一丁と四十二丁とを入れ換へて、四十丁から直に四十二丁に続くものとすれば。一字の語は、皆一字の語の先に来る事となつて、一般の例に適ふのみならず、四十丁の終の「嘉端」から四十二丁の最初の「嘉祝」「嘉例」に続く事となつて同じ頭字を有する熟字を続け挙げるといふ此の本の通則にも合ふやうになるのである。依って想ふに易林本の四十一、四十二の二丁は、多分、丁付を誤つて前後したのであらう。草書本も亦此の誤を襲ひ、殊に、丁の分ち目が易林本一致しないから、其の誤の起つた所以を知る事困難となつて居るが(此の事実に依つても、草書本の易林本から出たものである事明である)、慶長十六年本に於ては、語の順序は易林本と違つた所も間々あるけれども、二字の語を総て一字の語の前に置いて、もとの正しい形に復して居る。けれども、易林本の第四十一丁の最初にある「干戈」といふ語は、現在の板本に於てこそ第四十丁最後の「嘉端」と続いて居るけれども、丁の順序の誤を訂して易林本本来の面目に復すれば、当然、第四十二丁の後に來つて、「嘉端」と一枚ばかりも隔つべき筈であるのに、慶長十六年本に於ても、やはりと「嘉端」の直上に在つて其の傍を離れないのを以て観れば、慶長十六年本も、やはり順序の錯つた易林本版本に基づいたものである事疑無い。此の外にも、易林本の語の順序の乱れたのを、慶長十六年本に於て訂した所もあり(例へばシ部数量門の中に於て「七」で始まる語の處々に散在して居るのを一個所に集めた

など。但、これは草書本に於ても大体正しくなつて居る)、又、一二語を増加した所も見える。

 要するに、慶長十六年本は、易林本に整理を加へ、更に幾分の語と付録とを増加したものである。併しながら、かやうに改めたのは此の本が最初ではなくして、此の本出版の前年、即、慶長十五年に刊行した二種の節用集(第一章付載一⑦及び⑧)の内、何れかに於て、既に行はれて居て、此の本は、唯、之を模したのみであるかも知れない。殊に慶長十五年草書本は、舊刻書目解題によれば、本文を草書とし、之に片仮名を付け付録には五山の條なくして片假名伊呂波があるなど、慶長十六年本と特徴を同じうする所があるから、慶長十六十年本は此の本に基き、本文の左に楷書を加へ、付録に廿四節並漏刻等を加へたものかとも考へられる。さすれば、上述の如き変改は、既に慶長十五年草書本に於て施されて居たかも知れないが、未だ實見しないから、何とも斷言し難い。

 かくの如く、乾本、即、易林本諸本は、総て場林本から出たものであつて、易林本は、あらゆる乾本の原本である。

     草書

 易林本 

     慶長十六年

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