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2011-03-12

乾本節用集上田万年・橋本進吉『古本節用集の研究』第二章第三) 乾本節用集(上田万年・橋本進吉『古本節用集の研究』第二章第三) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 乾本節用集(上田万年・橋本進吉『古本節用集の研究』第二章第三) - 国語史資料の連関 乾本節用集(上田万年・橋本進吉『古本節用集の研究』第二章第三) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

    第三 「乾」本

これに屬する諸本は、イ部乾坤門が「乾」で始まる。


     第十類 易林本

此の類の諸本は、何れも卷數二卷であつて、「や」部以下を下卷とし、部數は四十七であつて、「ゐ」「お」「ゑ」の三部は「い」「を」「え」と分って別に立てゝある。門は、乾坤、時候、官位、人倫、人名、支體、氣形、草木、食服、數量、紳祗、名字、器財、言辭の十四であつて、中に神祗名字の二門あるを特徴とする。


 二四 平井版易林本  刊本二卷合一册

              東京帝國大學附屬圖書館

 美濃紙形、丈九寸五分、幅六寸八分五厘、一面七行上と下と綴目の方との三方に細い單線の欄界(丈七寸八分、幅五寸九分五厘)があり、折目には「節用集上」「節用集下1」と丁數を記してある。上卷は六十八丁、伊部から久部までを收め、第一丁の初に、自字で「節用集」と標し、下卷は七十二丁、也部から寸部までと附録とであつて、卷頭には題目が無い。附録は

 十幹十二枝及び十二時異名 數字の異鱧

 京師九陌横竪小路

 名乘字(春より頭に至る八十五種。伊呂波順であるが、少し亂れて

 分毫字樣(凡二百四十八字)及び證疑

 南瞻部州大日本國正統圖(日本國郡名、諸國の州名、郡數、廣袤風土)

 天竺震旦、京城、鎌倉及び尼寺の五山

附録の次に左の跋がある。

 |有《リ》レ客|携《ヘテ》鉅|卷《テ》臼|此《ノ》節用集十、字|九《ハ》皆|麌《ガン》也|正《ケザせ》諸於韻會禮部韻|諾則命《ニせハノ》

 レ工|刻梓焉《昌 一、ンシニ》如|二《キ》愚夫|一《カ》弄|肇《シヤウ》何|辨二《ソ せノ》字,畫之|誤一哉《リヲヤ》惟|取《ア》二定家|卿《ノ》假名|遣《テ》一|分《チ》妻|伊《ノ》

                          二

 爲越於江惠之九.隔段.玖.返日之。云岩慶長二酊易林

 此の跋の前、五山の條の最後「通玄寺也」とある下に、黒地に自字で

   洛陽七條寺内平井

   勝左衞門休與開板

と刻してある。開版の年代は明確には知り難いけれども、易林の跋によつて、慶長二年頃と認められる。今、易林の跋と出版者の名とに依つて、之を平井版易林本名づける(平井休與は本願寺准如上人【光昭、寛永七年寂】の俗臣である事、京都佛教大學圖書館古寫古版目録及略解題に見えて居る)。

 舊刻書目(酉山堂編、舊刊書目とも舊板書目ともいふ)には、此の平井休與開版の識語ある本を活字版と云つて居るけれども、此の本は活字とは見えない。又、此の整版本出版した平井休與が、別に又活字版のを出したとも考へられないから、活字といふのは誤であらう。

 此の本は全部楷書片假名假名には「弋」(サ)「T」(マ)など、異體も見える。各部の名は、楷書萬葉假名を自字にあらはして之を標し、伊部から與部までは、之に一行を與へてあるが、太部以下は、其の下から直に本文を續け書いてある。爲於惠の三部は、伊遠江とは別に部を立ててある。門名は、白字で横行にあらはし、初の方は、門毎に行を改めてあるけれども、後の方は、直に續け書いたのが普通となつて居る。門は

 乾坤 時候 官位 人倫 人名 支體 氣形 草木 食服

 數量 神祗 名字 器財 言辭

の十四にわかれて居るが、中に、官位を官名(ヰ部)食服を衣食(イロハの三部)又は衣服(ク部)器財を財珀(リヲ兩部)言辭を言語(イロハ及びホよリタに至る各部)とした所がある。ナ部に「南面」の註「帝位」を門名のやうに標したのは、勿論、誤である。所收の語は少くないが、註は少く、且多くは甚簡單である。

 此の東京帝國大學圖書館藏本は一册になつて居るが、もと二册のものを合綴した形跡があり、且、内閣文庫の藏本は二册に分れて居るから、恐らく元來は二册であつたのであらう。又、此の大學圖書館本には、表紙

  易林/合類節用集〓 全

と書いた題簽が附いて居るが、此の名は何に基づいたものか明でない。多分、後人が、推し當てに、つけたものであらう。

 此の書は、其の跋によつて明なる如く、易林といふものが、改訂を加へたものであるが、其の易林とは何人であるかと云ふに、小山田與清は松屋筆記(卷之六、第十一項)に朝山意林菴の墓碑銘を舉け、之に

與清按に意林菴或は彜倫菴とも易林菴とも書けり閑散餘録諸家人物志先哲叢談などに見えし人也清水物語二冊此意林の作也慶長節用集の跋に易林誌とあるも同じ人也

と附記して、此の易林を朝山意林菴素心と同人と説いて居る。此の説は、群書一覽引用した申齋隆徳の|反古攫《ハウコツカミ》に

朝山意林菴素心は大佛邊に住す節用集てつたひし人也(群書一覽、二、八十丁裏)

とあるにも叶つて甚宜しいやうに見えるりれども、文學博士三浦周行氏も既に指摘せられた如く(史學雜誌第廿三編第四號「後光明天皇の御好學と朝山意林菴」參照)意林菴は天正十七年に生れたので、節用集の跋に見える慶長二年には、年僅に九歳であるから、どうしても、此の節用集の改訂者とする事は出來ないのである。イリンと稱するものは意林菴素心の外にもあつて、言經卿記、天正四年二月十二日の條に

太刀ウリ上風呂町宗珍ト云僧庵于イリント云者侖吾講尺云々

立寄令聽聞了

と見えるものがあるが、これが果して此の節用集の改訂者であるか如何は明でない。しかのみならす、易林の字も、之をイリンと讀むが正しいか、エキリンと讀むが正しいかさへも不明であつて、唯、此の字面のみから見れば、寧、古來の読の如く、エキリンと讀む方が正しくはあるまいかとも考へられるのである。易林を以て、林宗二の孫、宗愽に擬する節用集考の説も、亦何等の憑據なきもので、もとより信じ難い。


 二五 別版易林本 刊本二卷合一册

          東京帝國大學文科大學國語研究室藏

 美濃紙形、丈九寸二分幅六寸六分、一面七行、内容外形共に平井版易林本と同一である。唯之と異なる所は、易林の跋の前にある「洛陽七條寺内平井勝左衞門休與開板」の文字が全く無いのと、欄界が彼よりも太く、且、上下の間の距離が各丁一定せす、時に甚しい差異がある(七寸三分五厘から七寸九分までもある)のと、ハ部氣形を誤つて氣服としたのとだけである。

 此の書、國語研究室の本も、東京帝國大學圖書館の藏本も共に一册であるけれども、何れも、もと二册であつたのを合綴した痕跡著しく、現に、帝國圖書館及び黒川眞道氏の藏本は、何れも二册に分れて居るから、本來は二册であつたものと考へられる。

 此の版本の事は、日本古刻書史(百六十八頁)に見えて居て、同書に、先、平井版易林本の事を述べ、次に「やゝ晩れて卷尾の平井休與開版の顯名を削去して再摺せる後摺本」と云つて居る。これによれば、此の本は平井版と全く同一の版木を用ゐたやうであるが、此の本と平井版との間には、前述の如く、欄界の太さ及び高さに相逹あるのみならす、字畫の同じくないものも、處々にあるから、決して同版ではない(字畫の同じくないものは、例へば、平井版にヲ部「財〓」とあるのを、此の本に「財〓」とし、キ部「乾坤」とあるのを、此に「乾坤」としたなど)。

故に、今、別版易林本名づける。其の刊行の年代は不明であつて.舊刻書目に「コノ書紙ノ時代寛永頃ニ摺出シタル樣ニモ思ハルヽ也」とある如く、紙は稍新しいやうにも見えるけれども、古來、慶長の版本と信ぜられて居る。平井版との年代の前後も確實にはわからないが、此の書の方が後ではあるまいかと思はれる。

群書一覽(二、八十丁裏)に

 節用集活字本  二卷

  (上略)又一本活板にて奥に慶長二年易林の名あるもの有

とあり、節用集考にも

第六は眞字活字本二卷その卷末に慶長二[丁酉]易林誌と見えたる本なり

と見え、桂林漫録(桂川中良著)にも

活字節用集一册を得たり慶長二年易林なる者の校正せる本なり

とあつて、易林の跋ある活字本があつたやうに見えるけれども、群書一覧にも節用集考にも、別に整版の本を舉げないのを以て觀れば、此の本か又は平井版を、活字版と誤認したのではあるまいかと疑はれる。

 前條の平井版易林本と、此の別版易林本とは、其の内容全然同一であつて、唯、複刻の際に生じた文字の差異があるのみであろから、今、之を總稱して易林本名づける。


 二六 草書本 刊本二卷合一册

          東京帝國大學文科大學國語研究室藏

 美濃紙形、丈八寸八分幅六寸四分、一面七行、折目の方を除いた外の三方には太い單線の欄界があり(其の丈七寸四分内外幅五寸七入分)、折目の所には「節用集上l」「節用集下i」と丁數を記してある。上卷は、すべて六十九丁、伊部より久部までを收め、卷頭には「節用集」と白字で標してある。下卷は、總て七十二丁、也部より寸部までと附録とを收めてあるが、卷頭には題目が無い。附録は

 京師九陌横竪小路    數字の異體

 名乘字(春より頭まで八十五種。易林本のに全同)

 五山之沙汰

 分亳字樣(凡二百四十八字)及び證疑

 南瞻部州大日本國正統圖(日本國郡名、諸國の州名、郡數、廣袤、風土)

以上の附録で卷が終り、後には跋も出版の年月等も無い。

 此の書は全部行草書平假名、但、附録中の分亳字樣と證疑は楷書片假名である。各部の名は、行草書萬葉假名を白字にあらはして之を標し、其の下から直に本文を續け書いてある。門名は白字で横行に標し、門がかはつても行を改める事は無い。門は

 乾坤 時候 官位 入倫 人名 支體 氣形 草木 食服

 數量 紳祗 名字 器財 言辭

の十四に分れ、官位を官名食服を衣服又は衣食、器財を財寳.言辭を言語とした所が有る事、及び其の箇所等も、平井版易林本と同樣である。但、平井版易林本に於て、ナ部に「帝位」を門のやうに標したのは、此の本に於て訂正してある。

 其の他、部門の數及び順序の如きも、全く易林本と同じく、内容も、語の順序、註の詳畧(此の本の方が稍簡略である)などに小異ある外は、殆全く之と同樣である。唯、著しい差異は、彼は楷書片假名であるのに、此は草書平假名である事、彼に附録中にある十幹十二枝十二時の異名が、此にはシ部數量門の終にある事、彼に附録の最後にある五山の條が、此には分毫字樣の前に在る事、及び彼にある易林の跋が此には無い事である。

 此の國語研究室の本は一册であるけれども、もと二册であつたのを合綴した痕跡がある。其の開版の年月は明でないが、慶長頃のものである事疑無い。

 又、此の國語研究室の本には、最後に紙二丁を綴ぢ加へて、初の一丁には、平井版易林本の最後の一丁(即、五山の條と、平井休與開版の語と、易林の跋と)を行書假名に改めたものを寫し、次の一丁には、左の跋を記してある。

 夫節用集饅頭屋宗二之所著也宗二林和靖之後胤家號鹽瀬永

 正天文比之人也好和歌源氏物語之説於三條西内大臣實隆公

 而著林逸抄五十四卷焉斯節用集慶長年中鏤版行于世久矣而至

 磨滅近年屡改刻於是後入猥増減文字或冠雜事於策頭或加畫圖

 於篇間而有逹舊本者也爰今不慮得此慶長二年之舊刻本焉珍重

 不淺因茲書數語於卷尾云

  安永七年戊戌秋七月十三日

              伊勢平藏貞丈跋

  此節用集板行ノ年慶長二年ハ豐臣秀吉公ノ時代也今年足利

  將軍義昭公薨同三年秀吉公薨同五年關ケ原ノ御陣アリ慶長

  二年ヨリ今天明元年マテ百八十五年ヲ歴タリ

此の版本は、最後の丁の最後の行の終まで文字が滿ちて居て、少しも餘白が無いから、或は、元來、此の後に猶一二丁あつたのであつて、此の國語研究室本に於て、書寫して附加した部分は、他の完全な版本に依つて補つたのではなからうかとの疑も起るのであるが、文學愽士狩野亨吉氏所藏の本も此處で終つて居る上、國語研究室本の書き加へた部分にある五山の條は、此の本では既に分毫字樣の前にあるから、若し、此處にあるとすれば重複となるのであるし、開版の識語と易林の跋とは、必しも要用でないから、省き去つたとして考へて見れば、此の書き足した部分は全く蛇足であるから、もとより無かつたものと認められる。想ふに、此の國語研究室本は、版本の末尾が、易林本の最後から二丁目の終に同じくして、易林本と較ベて見れば、最後の一丁だけ足りないやうに見えるところから、五山の條が、此の版本には既に前に出て居るに心付かす、其の缺を補ふつもりで、平井版易林本の最後の一丁を草體に寫して、綴ぢ加へたものであらう。

 此の國語研究室本には、「饅頭屋節用集」と書寫した題簽が附いて居り、木ロにも亦さう書いてあるが、此の書は世に云ふ饅頭屋本とは全く違つたもので、之を饅頭屋本と稱した證は一も無いのである。想ふに、此の名は、此の本の終なる貞丈の跋に「夫節用集也|饅頭屋宗二之所著也」とあるから出たもので、恐らく誤であらう。又、國語學書目解題には此の書を「行書易林本」と名づけて居るが、此の本は、勿論易林本に基づいたものであるけれども、其が爲に之を易林本名づければ、此ど内容の甚近い慶長十六年の版本其の他、易林本と稱すべきものが多くなつて煩はしいから、今は之を草書本とのみ名づけ、昜林本の稱は易林の跋あるものに限る事と定めた。又、草書本の名も、國語學書目解題行書易林本名づけたのと齟齬するやうであるけれども、此の本は、國語學書目解題にも「行草書」とある如く、行書も混じて居るけれども、又草體の字も多く、後代の眞草二行節用集と題する諸本の草體に比して、寧、一層草書に近いから、之を草書本と名づけたのである。


 二七 慶長十六年本  刊本二卷二冊

                 東京帝國大學附屬圖書館

 美濃紙形、丈九寸二分五厘幅六寸三分、廣い行と狹い行とが交互にある八行の罫がある。四方の欄界は稍太い單線で、其の丈七寸八分五厘、幅五寸五分、柱には「節用集上ー」「節用集下1」と丁數を記してある。上卷は伊部より具部に至る百十四丁、第一丁の最初には、最上に「伊」の字、其の下に「節用集卷上」の字を何れも白字であらはしてある。最後の丁の裏面は一面に黒く、其の中に、白字で、上方には片假名伊呂波を七行に竝べ、下方には乾坤以下の門名を一つ一つ扁平な圈内に横書したものを五段三行に列ねてある。下卷は屋部より須部までと附録とであつて、總て百三十八丁、卷頭の體裁は上卷に准じ、最初に「屋」の字、其の下に「節用集卷下」の字がある。附録は

  京師九陌横竪小路

  帚王、院、東宮、親王、后宮、將軍の稱號

  名乘字(春より頭まで八十五種)

  分毫字樣(凡二百四十八字)及び證疑

  南瞻部州大日本國正統圖(日本國郡名、諸國の州名、郡數、廣袤、風土)

  廿四節井漏刻

 以上で第百十六丁裏面以下を占めて居る。此の部分は、一面の行數六行、八行、或は九行などあつて、一定しない。最後に

   慶長拾六年九月日

  洛下烏丸通二条二町上之町刊之

と記してあ1る。即、慶長十六年刊本である。依つて慶長十六年本と名づける。

 本文は行草書片假名、其の左の狹い行には.本文の文字に當る楷書を舉げてある。各部の名は、草體の萬葉仮名を黒地に白くあらはして之を標し、其の下から直に本文を續け書いてある。「ゐ」「お」「ゑ」の三部は、「い」「を」「え」とは別に立てゝある。門名は白字で横行にあらはし、門がかはつても行を改めない。門は易林本と同じく

 乾坤 時候 官位 人倫 人名 支體 氣形 草木 食服

 數量 紳祗 名字 器財 言辭

の十四に分れ、官位、食服、器財、言辭を、官名、衣食叉は衣服、財寶.言語とした箇所も易林本一致するが、各部に就いて精査すれば小異がある。帥、此の本は、卜部食服の次に器財を立て、チ部人倫の次に官位を立て、ヱ部器財を食服に併せ、又、コ部言辭を言語としてある。附録は、此の本の方が少いが、十干十二支十二時の異名及び數字の異體はシ部數量門にあり、五山の條はコ部數量門にあつて、唯、在る場所が逹つただけで、省いたのではない。却つて、廿四節并漏刻が加はつて居る。

 所收の語は易林本より一二増加した所もあり、順序も之と等しくない所がある。同じ字に始まる熟字は、易林本では、多くは一つだけを本文とし、他を註としてあるが、此の本には、皆、本文中に列ねてある。

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