国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2009-01-13

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幸田露伴「音幻論」

日本人は平常足利期あたりからずつと徳川期の終りまで行書草書體を公私ともに用ゐたものです。それはその方が筆にし易いからですね。だから被爲在侯などといふやうな今から考へればどうも難かしい字體が用ゐられたのだが、明治になつてからは公文書楷書體になつたのです。それで「々」の字みたいなものも出來て來た譯ですね。一體誰が拵へた字で何といふ字だ、そんな不都合な字はないと言ったところで、雨といふ字の點は二つでも四つでも構はないといふ理屈と同じで、やはりそれで通用して居る。俺が作つた贋金ではない、皆が受取つて皆が使って居る金だから、ホントの金で無くつたつて、マンザラ贋金でも無いんだらうといふ謂ですね。

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