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2007-06-22

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從五位上能登守源朝臣順者其先出自

弘仁帝帝生定賜源姓號之楊院大納言

定生至仕擢從四位下左京大夫所謂天

下之好色者也至生攀々生順々爲人博

聞強記識字屬文賦詩又詠倭歌比壯擧

名進士直弉學院邑上帝天暦五年詔順

及大中臣能宣清原元輔紀時文坂上望

城於昭陽舍撰後撰和歌集二十卷時人

謂之梨壷五人順爲之最侍中亞將謙徳

公爲撰和薮所別當順爲之文其略曰雄

劍在腰拔則秋霜三尺雌黄自口吟又寒

玉一聲世以爲美談是年冬十月順依藏

人少内記大江澄景奉宣而作禁制撰和

歌所〓入文先是萬葉集傳于世久矣然

自沙門勤操空海造以呂波字而后人皆

赴簡便而不讀萬葉萬葉書體殆漸廢弛

順懼其古風之委地而以國諺爲之訓點

至今學和歌者大率頼之順之功居多八

年春之月順編橘在列集七卷在死者爲

延長承平之詩人後薙髮于天臺山改名

尊敬者也順平曰好誦在列詩故及此焉

康保年中補總州員外郎又除戸部郎中

圓融院天延四年正月謂依和泉國功補

淡路守不許天元三年正月請依和泉所

濟功勞次第任伊賀伊勢守不許順嘗在

上野守大王亭賦詩其序有云有好學而

無益者前泉州刺史順也一生貧而樂道

徒繼原憲之前蹤九年沈於散班空添〓

舍之左鬢盖述其懷也順同時有善吏童

王才子源澄源文藤勤橘正通慶保胤之

輩皆以文而會者也順又與貞上人淨闍

梨爲方外之交或時入棲霞寺應李部王

之教或時遊白河院添藤武衞之興賦紫

藤於嵯峨院詠紅葉於源氏宅平生詩文

甚繁其後順任能登國守將行時赴右監

門藤將軍亭慶保胤在坐餞順勸醉惜別

曰雖三百盃莫強辭邊土是不醉郷此一

兩句可重詠北陸豈亦詩國順又著倭名

類聚鈔語在其自序中倭名有詳略二本

今所新刊者是爲詳本那波道圓來告刻

梓事且問順世系余於是記事其迹之少

概以贈之吁古稱楊子雲識字然九原不

可作也源順者吾邦千歳之子雲乎熟知

倭名者旦暮遇之

 元和三年丁巳冬十一月 日 羅浮

 散人洗筆於雲母谿清處

新刻倭名類聚鈔凡例

一是書篇帙有多少少者世多傳焉多

 者纔存一部而已但恐其久而亡故

 命工新刻焉

一舊本騰寫之脱誤重複行無高低字

 無細大憂其混淆而難見故考諸書

 而訂正者不少矣且其第十之卷末

 九葉脱失者乃以別本而補之

一訛謬猶遺者今欲正焉然以

 本朝古書之不多傳而無可以爲之

 證故疑以傳疑不敢容易改焉

一部類之數與其自序異者郡類與郷

 類相矛楯者皆姑依舊矣蓋存古也

一校書如風葉塵埃隨掃隨有古猶然

 况今傳寫之多誤活字之牴牾不遑

 悉考者乎見者自擇可也

  番陽那波道圓識


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