国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2007-06-09

[][]「世之反切人名者。亦何知韻鏡之所以為韻鏡乎」(太宰春台斥非』) 「世之反切人名者。亦何知韻鏡之所以為韻鏡乎」(太宰春台『[[斥非]]』) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「世之反切人名者。亦何知韻鏡之所以為韻鏡乎」(太宰春台『[[斥非]]』) - 国語史資料の連関 「世之反切人名者。亦何知韻鏡之所以為韻鏡乎」(太宰春台『[[斥非]]』) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

近時韻鏡之書。盛行于世。則有下反切人名之事其法。於人之二名者以上字為切母下字為韻。従韻鏡帰成一字。因視其字美悪、美則已。悪則改其名、以為所帰之美悪。而終身之吉凶禍福係焉。此事不知起於何時、始於何人、毋論中国、雖我大東、自古迨吾国初、実所未有也。蓋自寛永間以来也。在今日則自王公以下至庶人未有不反切其名者也。己不学其事、則必仰人。於是問諸能者、糈糒従之。諸知反音者。因言其吉凶、猶卜師也。故儒者若浮屠中。有業此以致富者焉。夫中国人多一名。固無以反切、此方人必二名。雖有一名者、則千万人中一人耳。故可以反切、好事者、因制之法、以欺愚俗也。此事若巫祝陰陽之徒為之。則固其所也。不足責也。苟為儒而読聖人之書。聞中夏之道者。豈宜不知其非哉。如不知其非、是至愚也。知其非而為之。是誑人也。至愚可羞也。誑人可悪也。有一於此、不可以為儒矣。憶。世之反切人名者。亦何知韻鏡之所以為韻鏡乎。

日本詩話叢書*

日本思想大系徂徠学派』p148


韻鏡による姓名判断。(太宰春台『経済録』http://kokugosi.g.hatena.ne.jp/kuzan/20070604/にもあり)


古事類苑 姓名部九「名下」「反切人名

http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=41016883&VOL_NUM=00281&KOMA=72&ITYPE=0

湯沢質幸唐音の研究』

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