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2007-05-01

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三田村鳶魚江戸文学

   言葉の上の詮義

 近世文学の特徴として、文語から口語に移って行く傾向のことは、先程も申しましたが、江戸の言葉がいわゆる江戸語らしくなったのは、宝暦度からで、元禄あたりまでは、京都言葉と三河言葉地方言葉との混然雑然としていだのが、江戸の言葉であったのです。都会が出来てから百年たって、はじめてその土地の言葉が定るといわれているのも、決して嘘ではありません。それが寛政前後になりますと、江戸の人間が江戸語を自慢するようになり、更に文化文政になれば、諸国の言葉を軽蔑して、お笑い草にするところまで進んでおります。この時分には、もう田舎言葉は勿論、上方言葉にしましても、わからなければわからないでいい、ということになったのです。

 それですから西鶴の書いたものなども、宝暦頃までは、江戸の人間でも大体わかりましたろうが、精しいところまではいかがでしたろうか。今日西鶴文章は難解であるというので、皆さんが言葉の詮義をやられるようですが、中には今日でも、上方の諸君には何でもないことで、われわれには知れにくいことがあります。徴に入り細を穿った解釈に至っては、その当時といえども、やはりそれぞれの通に聞かなければ、わからないことが多かったのではないかと思われます。

三田村鳶魚全集 第23巻

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