国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2007-03-24

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茲に帝国文学会第二総会を開かるゝに当り、幹事の君まづ予が家を訪ひたまひて、是非とも此折に一席の演説を為すべしと所望せらる。されど予は此程漸く地方の巡回を終りて帰京せし事とて、其後公に私になにやかやと猶為す事多かれば。得難き名誉とは知りながら、残惜さを堪へ忍びて幾度か断りまゐらせしに一度も聴したまはず、やがては心ならずも此清濁音といふ題にて、敢て諸君の清聴を煩す事となりぬ。従て予が今述ぶる所は兼々予が抱ける意見の一斑をば、まこと一時の責塞ぎのために、御話致すに過ぎざる者にて、其詳細なる研究にいたりては、猶他日を期す者なれは、此段は幾重にも諸君の御含み置きを冀ひ奉るなり。


扨て日本語の上にて、清濁音に就きて研究せんとする者は、三箇の異りたる観察の方面ある事を忘るべからず。即ち第一言語学上の観察第二心理学上の観察、第三審美学上の観察これなり。


第一 言語学上の観察

日本に語学の開けてより以来、最早短からぬ年月をば経たれども言語の躰形に関する研究に至りては、今も昔も殆ど仝様にて、誠に未開の域にありていはざるべからず。試に清濁音のみに就きていふ、此区別を本質の上より確知し居る文法家は、但に二三に止るべく、其他は大概夢中に法を説く者なるが如し。此等の所謂文法家が、清濁音の定義を下すを見るに、清音とは清みたる音なり、濁音とは濁りたる音なり、半濁音とは半濁りたる音なりといひ、而して又、清音は軽し、濁音は重し、半濁音は急促の強音なりなど注解す。然れど、一層巌密に質問して、清みたりとは何をいふか、濁りたりとは何をいふか、何故に全く濁らねばならぬか、何故に半濁らねばならぬかと問へば、彼等は単に濁点を打たぬ者即清音なり、濁点を打てる者即濁音なり、而して小環を打てる者即半濁音なりと答ふる外、其道を知らざる者なり。一言にていへば、彼等は字の上の区別を知りて、音の上の区別を知らず、字の上の区別を示す事、即音の上の区別を示すなりと迷信し居る者なり。


かゝる迷信は、一層能く彼等の母韻論上に現はれ居るなり。彼等はいはく、アはよろづの親声なりと、其故を問へは五十音の頭にあればなりといふ。又いはく、日本語にはアイウエオの音を以て終ることばなしと、其故を問へば、アイウエオの字决してことばの下に来ることなければなりといふ。


総して所謂文法家が言語の躰形を論ずる事は極めてポエチカルには相違なきも、仝時に亦不条理的なりと評するも、誣言にはあらざるべし。こは言語学を待ちて始て知るまでもなく、苟もコムモンセンスを有する人は、夙に承認し居る所なるべし。

故に茲に清ぬ音に就きて、一応其言語学上の説明を為すことも、决して無益の事にはあらざるべしと信ず。たゞし所謂清音なる者の中には非常に多くの種類ありて、一々これを説明する事は、音韻学の大半を講ずる事ともなるべけれは、今は仮りに濁音を有し得るだけの清音につきて説明せんと欲す。然らばまづ、かゝる清濁音には若干の種類ありやと問ふに、普通には四種なりといヘども、事実は必ずしも然らざるが如し。


第一、パ行ファ行ハ行清音)とバ行(濁音)と、P.F.H.=B

此行の清音につきては、古より沿革しば/\ありて、現に最近の発音法即わいうゑをと発音する者を合せては、P f h wの四期あるなり。こは正しく帰納的に証明し得らるゝなり。之に反し、濁音は第一期の清音即P音の濁音通りに、いつも不変に残りたるが如し。たゞし方言研究の事其歩を進むる暁には、此上に、多少の例外を見出すに至るやも知りがたし。猶パ行を半濁音と称する事の全くいはれなきは、後段の説明を見て知るべし。

第二、タ行(清音)とダ行(濁音)と、T=D

今日の発音法によれば、チとツとは共に此行中に入るべきものにはあらず。此二音は、今は全くタテトの如き、古より存する性質を失ひたる者なればなり。

第三、カ行(清音)とガ行(濁音)と、K=G

濁音には、地方によりて鼻にかゝるものあり。たとへば東京語のうぐひす、むごいなどに於けるぐごの如し。是等の語を九州人の発音する時は全く純粋の濁音なり。予輩は,この鼻にかゝる濁音を示すに、かりにか`き`く`け`こ`の字を以てす。これをローマ字にて書けば即ngなり。

第四、サ行(清音)とザ行(濁音)と、S=Z

サ行に於けるシも、亦此行中に入るべきものにあらず、是亦チツト仝じく、今は全く他の価直を有するに至りたる者なればなり。

以上はこれ普通に文法家の区別する四種の清濁なる者なれどゝ、其中の例外を取り来りて、予輩は左に猶三種を附加し得べし。


第五、チャ行(清音)とヂャ行(濁音)と、CH=JH

   たとへば、チヤン/\チュー/\チョク/\ヂヤン/\などの如し。


第六、ツァ行(清音)とヅァ行(濁音)と、TS=DS

   たとへばオトッツァン、ヅッシリ、ヅブロクなどの如し。


第七、シャ行(清音)とジャ行(濁音)と、SH=ZH

   たとへばシヤッポ、シャツ、ジヤー/\、ジュバン、ジョサイなどの如し。


以上列挙する所の清濁音は、抑も如何にして生じ来る者なるか、これ予が次に説明せんと欲する所の者なり。


清濁音(承前)

清音とは、呼息が声帯の支障を蒙らずして、単純に口内を過ぎて流出するに際し、其一部にて特に支障を蒙むるより生ずるものなり。仮令は両唇にて支障を蒙むる者をP或はF音とし、硬口蓋及び舌端にて支障を蒙むる者をS或はT音とし、軟口蓋及び舌後にて支障を蒙むる者をK音とするが如し。其他CH TS SH音の如き、皆其支障

を蒙むる時の、舌及び口蓋の部位如何に由りて其差を生し来る者とす。音韻学の上にては、過常此等の音を密閉音摩擦音の二種に別つ、即ちPTKの三音は密閉音にして、F S CH TS SH等の音は摩擦音なり。たゞし此等の事を明晰に叙するには、多少解剖図の挿入をも要すべく、かた/\あまりにくた/\しければ、今は総て他日出版せんとする拙著日本音韻学に譲る事とせり。


濁音とは、呼息が豫め声帯の支障を受けて韻的性質を帯び、然る後清音に於けるが如く、ロ内の一部にて再び支障を蒙むるより生ずるものなり。従って濁音の有する騒音的性質は、毫も其清音に於ける者と異ることなしと知るべし。仮令ばBのPに於ける、DのTに於ける、GのKに於ける、ZのSに於けるが如し。


濁音を発するに当り、ウビュラ能く口腔鼻腔間を密閉せざる時には、予輩は所謂鼻濁音なるものを有するに至る。この鼻濁音中にて、普過我国語上に現はるゝ者をWの音とす。其他は梅毒患者にて俗に鼻の障子のぬけしなど、いふ人の言語に、此類の音を多く認むべし。


以上陳述するが如く、清濁音の区別は全く生理的及び物理的に、声帯の作動如何楽音騒音の性質如何等より論究すべきものとす。かくの如くせざる以上は、予輩は到底其本質を甄別し難しと謂はんと欲す。其例証は今日までの国語学者が、如何に此上に一種曖昧の説明を附して、自ら甘ぜざるを得ざりしか悔ても知らるべし。

殊にその好き例はP音の上にあり。今日までの国語学者は、ハ行を以て唇音なりといへり。然れども今日のハヒヘホ等の音は、决して唇音にはあらざるなり。而して実際発音上のBの濁音に対する清音はP音にして、このP音は五十音図製作上の模範たりし悉曇韻学?の上よりいふも、又支那韻学?の上よりいふも共に純粋なる清音の地位に措かれ居るを以て見れは、今は何の疑ふべき処も論ずべき点もなし。然るに何時の頃よりかなりけむ我国にてはこれを半濁音と称するに至りぬ、甚しきに至りては、これを反濁音など書き換ふるに至りぬ。勿論此音が近代の国語上にて、連想上トボケたる、或は野鄙なる事柄を指示するは事実なれども、さりとてそのために溷雑とか紆曲とかいひて、茲に一の別称を与へしとせばこは極めて謂はれなき次第と評せざるべからず。況してハの字に小圏を附するが故に、ハの字に二点を施して示すバの濁音に対して、これを半濁音と称すといふが如き説明を試むる語学者に至りては、予輩は寧ろ小癪にもこざかしくも、アナロヂーの論理を弄する者なり、

と断言するに躊躇せざるべし。猶此上には波行発音考あり、不日公にすべければ一読を賜はらんことを冀望す*1


言語学上より日本語に於ける此清濁音を観察せば、猶ほ他に論ずべき事、研究すべき事多かるべし。仮令ば

一、本濁の事、古代の日本語にて本濁音?を有する語の統計の事。

二、連濁の事、何故に連濁日本語上に現はれ来りしかの事。

三、TS SH CH及び其各濁音日本語に発達し来りし年代の事。

四、G或はNGが、現今の日本語にては如何なる地方にて、区別して発音せられ居るかの事。

五、SHI TSI CHI TI等の濁音は、何処に現存し居るかの事。

六、漢呉音等の支那音上にある清濁音が、如何に日本語に影響せしかの事。

七、清濁音に関する研究の歴史の事。

其他列挙せば猶数多の項目を得べしと信ず。さてはあまりに長引くべければ、今は一先づ第二の観察点に移るべし。


第二 心理学上の観察

予が心理学上の観察と称するものは、清濁音が連想上予輩に一種奇異の感覚を与ふるを研究するにあり。而して此研究に入るには、先づ言語発達の時別には、声音上より三期を画し得べき事を忘るべからず。三期とは即ち、

  第一期 オノマトポエチック時期、即ち初代の人類が万物自然の声音を万物其物の符牒とせし時期。

  第二期 シムボリック時期、別ち第一期に於て普通に用ゐたる幾多の声音の上より一種の音を抽象的に抜萃し来りて、これを使用して複雑に発達しゆく予輩の観念を代表せしむる時期。

  第三期 アイディヤル時期 即ち声音の特質に斟酌なく、全くこれをば思想を顕表する奴隷的機械として用ゐる時期。


今予の論ずる所は、主として第一第二の時期に属するものにして、第三期の言語にては、寧ろかゝる連想上の主義は珍重せざるものとす。故に一種の極端的論者には、左に掲ぐるが如き語をば、野蛮時代の言語の遺物なりなど評するものあり。さはれ予は茲に言語の優劣を論ずるものにあらざれば、単に事実のみを陳べて、他は凡て諸君の高評に任ぜんと欲す。


予の考ふる処によれば、我国語に於ける清濁音には、左の連想的特質ありと信ず。尤も語の上には、二三或は三四の特質、互に相連合して顕はるゝ事常なりと知るべし。


   清音の連想的特質 濁音の連想的特質

(一)小なる事、    大なる事、

(二)少き事、     多き事、

(三)強き事、     弱き事、

(四)軽き事、     重き事、

(五)鋭き事、     鈍き事、

(六)陰なる事、    陽なる事、

(七)明なる事、    暗なる事、

(八)壮なる事、    老なる事、

(九)速き事、     遅き事、

(十)淋しき事、    騒がしき事、

(十一)有る事、    無き事、

(十二)静なる事、   動く事、

(十三)美しき事、   醜き事、

(十四)優しき事、   ぶしつけなる事、

(十五)賢き事、    愚なる事、

(十六)善き事、    悪き事、

猶ほ考へなば数種を得べし。仮令はチーチャイホソィなどいふ時と、デッカイドエライなどいふ時には、如何程の差あるかを見るべし。トン/\ハタ/\、ホト/\などいへば、如何にも物を軽く寂しく静に優にたゝく事と聞ゆれど、ガラン/\ガタピシ ドン/\ ドサ/\ バタ/\などいへば、何かむさくろしき奴が無器用にもいぎたなく、立ち振舞ふ状を思ひ出づべし。


コーンと鳴り、ゴーンと響く鐘の音、ホンノリ又はホノ/\と明くる暁の空、ボンヤリドンドリと照る春の夜の月、キッパリ、シッカリ、サッパリとした意気な事、グズ/\ グニャ/\としたドヂ、ベラボー、バカ、ブショーモノ、其他父といひヂヾーといび、母といひバヾーといひ、ウツといひブツといひ、フケルといひボケルといふ類ペチャ/\しゃべるオチャッピーに於ける、べチャ/\どなる山神に於ける、或はオホと笑ふ美人、シト/\あゆませたまふ淑女、或はゲタ/\ゲラ/\笑ふ田舎者、ザハ/\ゾハ/\とする浮気娘、切り果すといへば奇麗にあらずや、胴切りにする、プッパナスといへば、きたなくまづくをかしきにあらずや、ありてとあらで、なすとせず、皆此上にいへる連想上の関係と有せざるものなし。

かくの如き例を、思ひ出るまゝ書きゆかば、限りなからむ。しかれども、これを筆にする時は、これを口にする時よりも、其語勢を失ふ事多ければ、煩しき割に読者は其興味を感ぜらるゝこと少からんと信し、他は敢て茲に割愛す。


第三 審美学上の観察

我国にては母韻なり子音なりが、それ/\詩歌の上にて、如何程の力を有するかに注目し、この上の統計をとり、此上に規則を立てんと企てしもの、殆んどなきが如し。况んやまた清濁音の上に於てをや。よし一歩を譲りて、仮りにこれ有りとするも、其説は広く世間の承を経たるものにありざるは論なし。勿論音義説を主張する一派の文法家には、五十音図にかけて一種奇異の解釈を試むるものあれども、それとて歌学の上にまで論及したりしか疑はし。


故に予は今日以後の語学者に対ひ、切にこの上の研究を促さんとするものなり。而してその上に最も幸福なる結果の、一日も早く現はれ来らむことを渇望するものなり。


たとへばゲーテ?がミニヨン?の詩に於ける、

Kennst du es wohl ?

Dahin ! dahin

Moecht' ich mit dir, o mein Geliebter, ziehn!

U(ウ)及びO(オ)の音が、如何に曇りたる、秘密なる、涙もろき感情を予輩に惹起せしめ、またI(イ)の長音が、如何に鋭く、切なる、而して又落着かざる感情を、予輩に惹起せしむるかを見よ。

其他SPR STRの両音が勢強き運動を示し、GRの音が薄黒きこと或は不吉などを示す等、総てこの種の事を独乙にてはクラングマーレラィ(音画)と称し、研究極めて盛んなり。


詩入は声音の有するこの力を、分析的に研究する必要を認めざるべし。然れども詩人たるもの苟もこの力を感得するにあらずんば、よし思想上の美のみは現はし得べしとするも、思想及び言語の和一的美は到底描き出し難からむ。


謹みて清聴を賜はりたるを謝す。

(完)

帝国文学』第一巻

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