国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2007-03-11

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古代支那語の入声韻尾P,T,Kは、現代の閩(福州・厦門・汕頭・台湾等)粤(廣州・客家等)系統の諸方言では未だ保存されてゐるが、山西諸方言・南京方言・揚州方言及び呉方言の大部分(常州・蘇州・上海・寧波等)では声門閉鎖音に変化し、北京・開封・漢口・四川・長安等の諸方言では全く消失してゐる。かつて藝文誌上に発表された満田新造博士の論文「中原音韻と南京音」に拠ると、古代支那語の入声韻尾P,T,Kは、元・明頃の北京官話では、既に声門閉鎖音に変化して居り、その後つひに全く消失するに至ったものであるといふ。(もつとも、満田博士御自身は「声門閉鎖音」といふ語を用ゐては居られないが、博士の「無尾入声」と称せられたものは、実際上声門閉鎖音で終る形を指してゐること、疑無い。)これは、まことに穏当な見解であると思ふ。

 然るに、唐朝後半期の吐蕃人がその文字を以て当時の西北支那音を写した例に於ては、入声韻尾は常にp,r(d),g相当の文字で表されてゐる。(舌内入声の韻尾は、最も普通にはrを以て写されてゐるが、稍古い資料にはdを以て写された例も混じてゐる。)そこで、羅常培氏は、このb,r(d),gを以て、古代のp,t,kが次第に弱まって消失して行かうとする過渡状態を示してゐるものと考へ、それから推して、現代諸方言の形への発達の経路を下のやうに考へた。まづ、上古音p,t,kは、廣州・客家・汕頭・厦門等の方言ではそのまま保存せられ、呉方言では声門閉鎖音に変じてゐる。然るに、或方言では、中古に於てこのp,t,kがb,d,gに変じ、更にβ, (r), と弱まり、つひには全く消失するに至った。官話や西北方言は即ち後者に属するものである(「唐五代西北方音」68頁)と。この考えに拠ると、北京官話の如きは、未だかつて声門閉鎖音の状態を経過したことが無いといふことになる。従って、前の満田博士のお説とは相容れないのである。

 ところが、この羅氏説は、それ自身の中に矛盾を含んでゐる。何故なら、羅氏が西北方言の中に数へてゐる所の文水方言や興縣方言は、現今入声の韻尾に声門閉鎖音を持ってゐるからである。これれは、所謂西北方言といふものが系統上成立すると否とを問はず、兎に角官話とはごく近い関係を持った方言である。のみならず、官話の中でさへも、南京官話は入声の韻尾にやはり声門閉鎖音を持ってゐる。これらの状態から考へて見ると、同じ系統に属する北京官話の如きも、古くはやはり入声韻尾には声門閉鎖音を持ってゐたものであり、それが後世消失した結果今の形になったものである、と考へる方が一層穏かなやうである。


昭和十一年四月(「音声学協会会報」第四十一号)

http://uwazura.seesaa.net/article/79295048.html


国語音韻史の研究』では、増補版に収録。