国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2006-04-14

[]明治一八年六月三〇日「自由燈」社説、朝寝坊氏「東京語の通用明治一八年六月三〇日「[[自由燈]]」社説、朝寝坊氏「[[東京語の通用]]」 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 明治一八年六月三〇日「[[自由燈]]」社説、朝寝坊氏「[[東京語の通用]]」 - 国語史資料の連関 明治一八年六月三〇日「[[自由燈]]」社説、朝寝坊氏「[[東京語の通用]]」 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

山本正秀氏編『近代文体形成史料集成発生編』 昭和五三年 桜楓社 二二四頁による)


扨(さ)て近頃(ちかごろ)は、假名(かな)の會(くゎい)又(また)は羅馬字會(ろうまじくゎい)などいふものが出來(でき)て、和學者(わがくしゃ) や洋學者(やうがくしゃ)の御連中(ごれんぢう)が御騷(おさわ)ぎなされる調子(てうし)に乘地(のりぢ)の彌次馬書生(やじうましょせい)も澤山(たくさん)に飛(と)び出(だ)しますが、愚坊(ぐぼう)も負(ま)けぬ氣(き)で一番(.ばん)何(なに)か語學(ごがく)の議論(ぎろん)を擔(かつ) ぎ出(だ)しますべい。先(ま)づ文字上(もんじゝゃう)の便不便(べんふべん)を吟味(ぎんみ)するより、差(さ)しづめ日常通用(にちじゃうつうよう)の日本語(にほんご)のうちにて、何(いづ)れの地方(ちほう)の言葉(ことば)が廣(ひろ)く通用(つうよう)するであらうと申(まを)さば、愚坊 (ぐばう)は即(すなは)ち東亰語?(とうきゃうご)なりと答(こた)へます。

昔(むか)し諸大名(しょだいみゃう)が參勤交代(さんきんかうたい)の世界(せかい)に、西國(さいこく)の大名(だいみゃう)と東國(とうごく)の大名(だいみゃう)と縁組(えんぐみ)の相談(さうだん)ある節(せつ)には、互(たがひ)の言葉(ことば)が分(わか)らぬので、必(かなら)ず謠本(うたひぼん)の候言葉(.ことば)を使(つか)ふて用(よう)を辨(べん)じたといふ話(はなし)も聞(き)きしことあれども、王政維新(わうせいゐしん) の前(まへ)よりして、久(ひさ)しく封建(ほうけん)の關所(せきしょ)に閉(と)ぢられし國訛(くになま)りの片言葉(かたことば)も、有志(いうし)の交際(かうさい)が盛(さか)んになるに從(したが)ひて、君(きみ)や僕(ぼく)の書生言葉(しょせいことば)となり、其後(そのご)廢藩置縣 (はいはんちけん)となるの後(のち)に至(いた)りては、孰(いづ)れも輦轂(れんこく)の下(もと)へ我(わ)れ先(さ)きにと出掛(でか)けしより、何日(いつ)の間(ま)にか、東亰言葉(とうきゃうことば)を使(つか)ふ樣(やう)になりゆきたるのもならず、昔(むかし)は爲永派(ためながは) の人情本(にんじゃうぼん)にて讀(よ)み覺(おぼ)えし東京言葉(とうきゃうことば)も、今(いま)は傍新聞(ふりがなしんぶん)にて讀(よ)み覺 (おぼ)ゆる十分(.ぶん)の便利(べんり)があるから、生意氣(なまいき)な諸生(しょせい)は未(いま)だ東亰(とうきゃう)へ足踏(あしぶ)みをしない時(とき)よりして自(みづ)から東亰言葉(とうきゃうことば)を使(つか)ふ者(もの)がある位(くらゐ)にて、

又(また)三菱(みつびし)共同(きょうどう)兩會社(りゃうくゎいしゃ)の汽船(きせん)が毎日(まいにち)の徃復(わうふく)に、ます/\東亰(とうきゃう)の風俗(ふうぞく)を地方(ちはう)へ輸入(しゅにふ)するの便利(べんり)を増(ま)したるなど、是(こ)れ皆(みな)東亰語(とうきゃうご) の津々浦々(つゝうら/\)まで滯(とゞこふ)りなく通用(つうよう)する原因(げんいん)と、オホン、此(こ)の愚坊(ぐばう)が自分免許(じぶんめんきょ)の現在社會學(げんざいしゃくゎいがく)で判決(はんけつ)致(いた)しました。又(また)愚坊(ぐばう)が曾(かつ)て承(うけたまは)る所(ところ)に據(よ)れば流石(さすが)に英語(えいご)は世界中(せかいちう)の開港場(かいかうば)に通用(つうよう)するゆゑ、這囘(こたび)文部省 (もんぶしゃう)にても之(これ)を小學校(せうがくかう)の課程中(くゎていちう)に加(くは)へられたとか申(まを)すこと。然(さ)れば地方(ちはう)の小學校(せうがくかう)にて東亰語(とうきゃうご)を課程(くゎてい)にするまでになくとも、せめて教師達(けうしたち)が、口授(こうじゅ)するにも、話(はな)しするにも成丈(なるたけ)東亰語(とうきゃうご)を用(もち)ひて各地方(かくちはう)の言葉(ことば)をば悉皆(しっかい)東亰語 (とうきゃうご)にしてしまひたいもの。

是(こ)れと申(まを)すも我(わ)が日本(にっぽん)近體(きんたい)の文章(ぶんしゃう)は、言語(げんご)と文字(もんじ)と甚(はなはだ)だしき區別(くべつ)なき西洋文章(せいやうぶんしゃう)に類似(るゐじ)する傾(かたむ)きを持(も)つは諸君(しょくん)の已(すで)に承知(しょうち)せらるゝ所(ところ)なれば、通俗(つうぞく)の文章(ぶんしゃう)を一定(.てい)する爲(た)めには先(ま)づ言葉(ことば)から一定(.てい)し置 (を)かずては成(な)りますまい。抑(そ)も東亰語(とうきゃうご)は一種(.しゅ)活溌(くゎっぱつ)明白(めいはく)の調子(てうし)ありて尤 (もっと)も人(ひと)を感動(かんどう)するの勢力(せいりょく)あれど、中(なか)に就(つ)き下等社會(かとうしゃくゎい)の言葉(ことば)にはチト御免(ごめん)を蒙(かふむ)りたいものもあれば、是等(これら)の訛(なま)りを改正(かいせい)する爲(た)め新(あらた)に東亰語學會(とうきゃうごがくゝゎい)を起(おこ)されては如何(いかゞ)です。斯(か)く申(まを)す愚坊(ぐばう)とて東亰語(とうきゃうご)は未(いま)だ十分(.ぶん)に使(つか)ふことの叶(かな)はぬ上方(かみがた)よりもズート遠國(をんごく)の田印(たじるし)なれど、以上(いじゃう)の意見(いけん)は愚坊(ぐばう)が平生(へいぜい)の實驗(じっけん)を一寸(ちょっと)御參考(ごさんかう)まで述(の)べてをきます。


【参考文献

山本正秀(1965)『近代文体発生の史的研究岩波書店

山本正秀(1978)「わたしの言文一致運動研究史」専修国文22 (越智治雄氏の教示によるとの記事)

松井利彦「書生のことばの展開」国語学 154 (p.54~65)

田中章夫(1983)『東京語 その成立と展開明治書院

田中章夫東京語の時代区分」『国語と国文学』1988.11

真田信治(1987)『標準語の成立事情PHP新書 p95

岡島昭浩(1996)「武家共通語謡曲」『雅俗』3

水原明人江戸語・東京語・標準語講談社現代新書 1994.8

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