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2005-12-07富士谷御杖『北邊隨筆』経緯

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経緯【五十韻をいふ。亡父つねにかくいはせたるなり。】の本は、悉曇家には阿字なり。おのれおもふに、五十のこゑ、みな口をひらきて後きこゆ。口を閉ぢながらこゑあるは、ンなり。此ンのこゑ、さながら口をひらけばはじめてなり出づるこゑは、宇なり。こゝをもてみれば、他域の言はしらず。わが大御国にしては、五十のこゑの本は宇なる事疑なし。【すべて、風土にしたがひて、同じからざる物なる事、いふも更なれば、音とても、猶他域にたがふ事かならずあるべし。うたがふべからず。】かくいふ所謂は、わが大御国言、すべて下に宇緯の音を踏みたるは、詞の正しきなり。たとへば、おもふといふ詞、布をふみたるが本にて、この布の、おもはぬ、おもひ、おもへ、おもほゆなどかよふは、変通なり。また、みるといふ詞、見らく、みればなどかよふが如く、すべて詞といふ詞、このさだめならぬはなし。これをあはせておもへば、いよ/\宇の音は、諸音の本源たるべしとはおぼしきなり。此ンといふこゑ、音はありて文字なきが故に、牟、迩、美など、音便にしたがひてかり用ひられたり。いはゆる蝉、丹波、難波など、脚結の良牟、計牟などのごとし。万葉集巻一、「三輪山乎然毛隠賀雲谷裳情有南畝可苦佐布倍思哉《ミワヤマヲシカモカクスカクモダニモコヽロアラナンカクサフベシヤ》といふ歌の、畝は、一本に武につくれり。字形の似たるが故に、誤れるなるべし。あやしむべからず。宇治拾遺巻三、「今はむかし、小式部内侍に、定頼中納言ものいひわたりけり。それに又、ときの関白かよひたまひけり。つぼねに入りてふし給ひたりけるを、しらざりけるにや。中納言より来てたゝきけるを、つぼねの人、かくとやいひたりけむ。沓をはきて行きけるが、すこしあゆみのきて、経をはたとうちあげてよみたりけり。二こゑばかりまでは、小式部内侍、きと耳をたつるやうにしければ、この入てふしたまへる人、あやしとおぼしける程に、すこしこゑ遠うなるやうにて、四こゑ五こゑばかり、ゆきもやらでよみたりける時、うといひて、うしろざまにこそふしかへりたれ。このいりふし給へる人、さばかりたへがたう、はづかしかりし事こそなかりしかと、のちにのたまひけるとかや、とある、此うといひてといふ宇は、ンたるべけれど、文字なきが故に、うとはかゝれけん。小式部が心のうちに、定頼黄門のこゑを聞きしりめでゝ、おもはずンといひたりしは、音はありながら、関白殿下にはゞかりたるなり。さればンは、未発既発の間のこゑにて、口をひらけば、やがて宇となる事、この書ざまにておもふべきなり。この考を、わが伯父なりし淇園にかたりたりけるに、ンは、漢土にも文字は、なきにや。爾雅に、臍輪とて、◎かゝる字あるは、ンの字なりといはれき。

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