国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2004-10-04

演説の始め(石井研堂『明治事物起原』人事部)1,2 演説の始め(石井研堂『明治事物起原』人事部)1,2 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 演説の始め(石井研堂『明治事物起原』人事部)1,2 - 国語史資料の連関 演説の始め(石井研堂『明治事物起原』人事部)1,2 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 (一)演説の熟字は『唐華厳』六ノ二十二に、「一、実理ニ依リテ諸法相ヲ−−ス」とあり、また『法華安楽品』に「能ク衆生ノ為メニ此ヲ−−ス」とあり、『三代実録』にも「春ハ最勝王経ヲ−−シ、秋ハ法華妙典ヲ講吼ス」とあるよしなれば、この二字はもと仏者の常套語なるべし。それを、西洋風のスピーチユとなせるは、徳川幕府瓦解の寸前に、開成所員が西軍の東下に対し、攻勢を取るべきや、また守勢を取るべきやを、会議して決したく、慶応四辰年正月十四日に、これを催したるを祖とし、明治の初期に、福沢氏の一団がこれを研究修練して、普及せしめ、始めて軌道に乗り上げしものなり。

 写本『南華斎新聞集』に、左の一項あり、前記、開成所の会議の模様を、江戸より通信されたる新聞として収録せり。「一同床机にて居並」「演説方」「書取入札」等、幼稚ながら演説会の原始とすべく、旧来の相談または評議よりは新味あり。

(二)(慶応四)辰正月十四日開成所会議席え罷出候処、出席一同床机に而並居候所へ、左之書付出候間書取退行

一条 此度会議之趣意は戮力同心之義を唱へ兵を集め国家を再興するを主とす外、他議不可有

二条 会議に預る者は定日刻限急度出席之事

三条 毎会々中より一人を選人演説方と成べし

四条 各人存寄を申出る時は是を書面に致し演説方に渡すべし

五条 演説方右書面を受取、存分意を熟覧し不容易不審之廉あらば承り正し明細に利解すべし

六条 次に演説方書面を高声に読上げ衆中に出すべし

七条 衆中答説之者は論談すべし、其節演説方へ逢応すべし、返答し難きは説を立て候者え承正すべし、始終説を立たる者と難者と直に応対すべし、左候はゞ演説方其間に居りて双方之意味を貫徹して、成丈一致によせしむべし

八条 双方之意味行違一致し難き節は衆説に従ふべし但し任撰は入札を以て定むべし

九条 衆議に帰する処は私心を屈して之に従ふべし、自己の説行れざるを以て不平を懐き戮力同心の本意を失ふべからず

十条 衆議一定之上は一紙に認め出席人数之姓名を記し政府に呈して裁断を乞ふべし

十一条 政府より下問の廉あらば又右之手続にて答奉るべし

十二条 新聞あらば必会中に吹聴すべし、会中是が為に新聞帳を設け悉く記録し会中は人々観覧の便にすべし

軍機之事は封物に而演説方へ差出し其まゝ、大君え呈候事


       演舌

 此度会議相始候は余之儀に非ず国家危急之場合に付同心唱義皇国之御為徳川氏御再興之義を計候に付御銘々見込之趣何事に寄す御申出被下度会議之上言上仕夫々御採用相成候様仕度なり

 開成所頭取、倉橋但馬守、西尾錦之助、田中哲助、小田切庄三郎、目賀田帯刀、河田相摸守

 同教授職、津田真一郎、神田孝平、林正十郎、加藤仙蔵、柳川春三、渡辺一郎、小林鼎輔、柳合助

  右之趣口達有之候処出席即答之者も無之哉彼是刻限も夕七半時にも相成候に付右にては際限も無之八時迄之刻限相定め候詮無之左候はば左之通りにて直に答有之候様被申聞候

     書取に而 攻歟 守歟 入札

  右に付左之書取相認掛りへ差出引取候而も宜候哉承り候処勝手に引取候而宜旨に付退散

    国家之御大事件に付何等趣意可申上儀無御座候以上

     正月十四日                  何之誰家来

                                 何之誰

 演説の二字の使用 明治元年四月四日、「勅使江戸城に入り五ヶ条の申渡書を橋本柳原両卿より田安中納言へ被相渡、演説左の通り云々」と『太政官日誌』第一一号にあり。また同二年三月二十日の『もしほ草』第三十五編にも「日常生活に関係する要件起れり、これ我々の演説せざるを得ざる所のものにして、即ち日本の通用金銀の事なり云々」とあれども、この二字は、スピーチに関せず。

 明治維新後、学術結社の祖なる明六社社員は、西洋風の演説も討論もなせども、スピーチを演説と訳して使用せる祖なるや否はいまだ明らかならず。

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