国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2003-02-26

[]明治初期の英和辞書類(明治事物起原 第七学術)1 明治初期の英和辞書類(明治事物起原 第七学術)1 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 明治初期の英和辞書類(明治事物起原 第七学術)1 - 国語史資料の連関 明治初期の英和辞書類(明治事物起原 第七学術)1 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 明治以前、明治英和辞書を述べるには、少しく明治以前に遡り、その淵源を窮める必要あり。

 (一)『諳厄利亜《アンジリア》興学小筌』 文化五年八月、英艦フエトン号、長崎港外に投錨し、間もなく去り、奉行松平図書頭、撃攘の機を失したるを愧ぢ自刃せることあり。いはゆる英艦狼藉事件なり。このときこの方は、蘭通事をして交渉せしめしに、言語不通のために、機を逸し、ただ和蘭一国の言語にては、外国の交渉に当たるに足らずとなし、同六年春、まつ長崎の蘭通詞をして、魯語英語を兼修せしめることにせり。

 同年秋、渡来の和蘭人加比丹の副官ヘトルヤンコツク・プロムホフが、英語をよくしたれば、その教授に当て、通詞の子弟六、七輩をして、習学せしめ、本木庄左衛門(諱は正栄、別号蘭汀)をその世話役とせり。庄左衛門は、当時年四十三なりしが、少年子弟とともに、刻苦勉学し、同八年春に至り、英語辞典十巻を著はして、幕府に献ぜり。いはゆる『諳厄利亜興学小筌』にて、初巻に文字発音短語等をあげ、巻ノ四以下、主として会話あるいは作文用短句の対訳をあぐ。

 (二)『諳厄利亜語林大成』 本木正栄が『興学小筌』を著はせる翌文化九年、幕府正栄に命ずるに、英語辞書編纂をもつてせり。正栄ここにおいて、通詞馬場貞歴、末永祥守、楢林高美、吉雄永保等の補助を求め、プロムホフの指導を受け、研鑽刻苦、文化十一年に至りて、『諳厄利亜語林大成』を成せり。巻を分かつこと十五、語を蒐録すること七千余、実に本邦英語辞書の始めなり。

 (三)『英和対訳袖珍辞書』 欧米諸国と通商条約を結び、ことに横浜を貿易地となしてより、急劇に英語の隆興を来し、それにつれて、もつとも必要を感じたるは、英和対訳書なり。ここにおいて、開成所にて、堀達之助、箕作貞一郎(麟祥)等に命じて、英和辞書編纂をもつてし、文久二年これを発行せり。本木氏の『語林大成』が、その基礎となりしことはいふまでもなし。題して、『英和対訳袖珍辞書』といふ。本書は、総て九百五十余頁、特別漉きと思はるる肉厚の雁皮紙の両面に印刷し、製本またかがり綴ぢ、背革の堅牢なる洋式仕立てなり。

 当時にありて、九百五十頁の大冊の印刷は容易の業にてなかりしことは推察に難からず、果たして、新旧時代転換の一異観を留めしを観る。すなはち、半頁の英文は、かつて和蘭国王より貢献せしところの金属活字にて組み、その半頁の和訳は、彫刻整版を用ひ、一頁の中に、活版整版相対せり。

 慶応二年再版の同書は、堀越亀之助、柳河春三等の手にて、不規則動詞の表などを増補せり。このたびは、半頁の英文を、新たに組み成すを不利とせしものか、英文の方をも整版となし、用紙製本とも初版の体裁に倣へり。堀越氏は、後徳川亀之助の名を避け、五郎乙と改名し(蘭語ゴロートは大の意なり。そのゴロートに、五郎乙の字を当てしなり。明治五年また愛国と改名せり)、慶応三年の再版(実は三版)は、和本風の袋頁横本、俗にこれを枕辞書といへり。

 (四)平文の『和英語林集成』 以上あげしは、英和辞書なるが、横浜在留の米国人ドクトル・ヘボン氏の力によりて、始めて和英辞書出版さる。題して、『和英語林集成』といふ。和語ローマ字綴りとせるは、一創意なり。この編纂事業に、岸田吟香の手伝ひしことは、あまりに知れ渡りし話なり。平文氏の本書を成す、その印刷を開成所に諮りしに、浩澣のゆゑをもつて、目途立たず。つひに支那上海に渡りてその出版を完了せり。

慶応丁卯新鐫

美国平文先生編次

和英語林集成

一八六七年  日本横浜梓行