国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2018-04-09

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○フシハカセとは節秦の和訓、ハカセを博土とこゝろ得ぬるは誤れり、栢子の転語也。〔割註〕フシハカセトハ、ホトヒヤウシトイフコトナリ。」

塩尻巻之七十八

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2018-04-08

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〇ヒジリとは秀識といふ称にして我国秀才の称なり。聖の字にして夫より僧のごとくのやうになれるは訛れり。

塩尻巻之七十八


〇ヒジリとは秀識といふの称にして我国秀才の称也、聖の字にしてより従v夫、僧の事のやうになれるはあやまれり。

塩尻巻之八十四

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2018-04-07

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〇寺をてらとずるは照蛍の意にや、てらをてるといふ事、言塵集に、宮寺の古語をみやてりといふといへり、此類此書に多し。

塩尻巻之七十二

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2018-04-06

[]【演説島地黙雷【演説】島地黙雷説 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 【演説】島地黙雷説 - 国語史資料の連関 【演説】島地黙雷説 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

演説】エンゼツ 英語のSpeechの訳語がなくて当惑したのを、島地黙雷氏が仏典から取って斯う訳したのが、一般に行なはれるやうになったのである。

小林花眠『新しき用語の泉』(1921)p.123


小林花眠『新しきことばの泉』

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/958744/72

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2018-04-05

[]【忍者】(足立巻一立川文庫の英雄たち』) 【忍者】(足立巻一『立川文庫の英雄たち』) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 【忍者】(足立巻一『立川文庫の英雄たち』) - 国語史資料の連関 【忍者】(足立巻一『立川文庫の英雄たち』) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

すでに別に書いたことだけれど、忍者という言い方が今日のように流布したのは、戦後、それも昭和三十年代以後のことにすぎない。

 正確にいえば、昭和三十一年『週刊新潮』の創刊とともに連載された五味康祐小説『柳生武芸帳』が忍者の語を用い、幕府大目付柳生家が忍者の頭目であったと新解釈する物語を展開させ、同年『東京新聞』連載の柴田錬三郎『剣は知っていた』も風の猿彦という忍者を活躍させた。ついで山田風太郎『甲賀忍法帖』や司馬遼太郎『梟の城』でも忍者の語がもっぼら用いられ、この間『柳生武芸帳』の映画化、テレビ映画隠密剣士』の放映があり、さらに白土三平『忍者武芸帳』、横山光輝『伊賀の影丸』などの劇画により、忍者という名詞は広く一般化したのである。

文庫 p.276-277

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