国語史資料の連関 このページをアンテナに追加 RSSフィード

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2018-04-04

[]南部弁と津軽弁井伏鱒二「久慈街道」南部弁と津軽弁(井伏鱒二「久慈街道」) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 南部弁と津軽弁(井伏鱒二「久慈街道」) - 国語史資料の連関 南部弁と津軽弁(井伏鱒二「久慈街道」) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

中里さんの話では、南部領には子供の遊戲のうち、「泥棒ごつこ」といふのがあるさうだ。巡査が泥棒をつかまへて、訊問したり後手に縛つたりする眞似をする。その揚合、巡査の役をつとめる子供は必ず津輕辯で喋り、泥棒の役をつとめる子供は南部辯で喋る。これには理由がある。南部藩の者と津輕藩の者は、藩主、侍、百姓、町人に至るまで、昔からお互に反目してゐたといふ。現在でもお互に打ちとけない。だから南部領には、たいてい津輕領出身の巡査を差向けてよこすことになつてゐる。巡査が人民と打ちとけては拙い。買收とか贈賄とか間違ひが起り易い。津輕人と南部人の仲ならその心配がない。だから南部領では、巡査と云へば必ず津輕辯を使ふものときめてゐる。「泥棒ごつこ」の巡査も津輕辯を使ふ。しかし、南部辯には南部辯の味はひがあり、津輕辯には津輕辯の味はひがあり、相互にそれが入り混る訊問應答には、抱腹絶倒させられることがあるさうだ。

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2018-04-03

ズーズー弁尾崎士郎「人生劇場」青春篇「才子佳人を得たり」) ズーズー弁(尾崎士郎「人生劇場」青春篇「才子佳人を得たり」) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - ズーズー弁(尾崎士郎「人生劇場」青春篇「才子佳人を得たり」) - 国語史資料の連関 ズーズー弁(尾崎士郎「人生劇場」青春篇「才子佳人を得たり」) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 この吹岡早雄が、あるときの「文学史」の講義で、雄弁家をもって全校に鳴りひびいた口崎教授を弥次りたおしたという一条はまさに特筆大書すべきものがある。

(口崎教授は雄弁家ではあったが、ズーズー弁で、それ故、彼の言葉にしみついている東北訛のために、バアナード・ショウというべきところを常に「バアナード・ヒョウ」と発音する癖がついている)

「先生!」

(そうさけんで勢いよく立ちあがったのは吹岡早雄である)

「何かね、吹岡君!」

 口崎教授がでっぷりとふとった、血色のいい顔をあげた。このとき、吹岡早雄の長い顎が例によって急速な伸縮作用を起したことはいうまでもあるまい。

「今、バアナード・ヒョウとおっしゃいましたが——?」

「うん、バアナード・ヒョウ」

「そのヒョウですね、そのヒョウというひとは一体何ものですか?」

「何ものですかって、君、——君は文科の学生で『ヒョウ』を知らんのか?」

(口崎教授の眉がピリッとうごいた)

「ハア——」

 彼の顔には人を小馬鹿にしたような表情がうかんだ。

「ヒョウと言いますと?」

 教授はむっつりとした顔をしてすぐにチョークをとった。黒板には、

 Bernard Shaw ——

 という綴文字が大きく書き出されたのである。

「ああ、わかりました、先生!」

(吹岡の顎が、またしても微妙な活動をはじめたのである)

「——ショウですね、バアナード・ショウですね?」

「そうだよ、だから、最初からバアナード・ヒョウだって言ってるじゃないか?」

「それでわかりました、ショウですね」

「ヒョウだよ、——」

会話を此処までみちびいてゆくところに彼の話術があったと言える。そこで、教室中がどっと笑いくずれるのを見て、彼はいかにも安心したような顔をして腰をおろしたのである)

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2018-04-02

佐賀弁尾崎士郎「人生劇場」風雲篇「郷関」) 佐賀弁(尾崎士郎「人生劇場」風雲篇「郷関」) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 佐賀弁(尾崎士郎「人生劇場」風雲篇「郷関」) - 国語史資料の連関 佐賀弁(尾崎士郎「人生劇場」風雲篇「郷関」) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

二十年前に九州から転任してきた生理の教師で、「唇」というあだ名だけは覚えているが、しかし名前は何といったか、実は瓢吉にも思い出せないのである。「唇」というのは老師の口に格別特徴があったわけではなく、あるときの生理の時間で、彼が「唇」について説明した言葉から端を発しているのだ。

「今日は『くちびる』」

 と、当時まだ四十を少し過ぎたばかりの彼は佐賀弁をまるだしにしてやりだした。「この唇が無かというとまま(飯)を喰うとき、ぽろうぽろこぼりうが」

 眼の嶮しい先生で、当人が大真面目だから誰ひとり笑うことができなかった。しかし可笑しいことは可笑しいのである。大体、鼻がないとか耳がないとかいう人間ならすぐかたちを想像することができる。しかし、唇のない人間があるであろうか。むろん唇がなかったら飯粒はみんなこぼれるにちがいない。

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2017-09-30

長谷川伸「身辺語録」(『石瓦混淆』) 長谷川伸「身辺語録」(『石瓦混淆』) - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 長谷川伸「身辺語録」(『石瓦混淆』) - 国語史資料の連関 長谷川伸「身辺語録」(『石瓦混淆』) - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 小説もだが、小説よりもテがコンでいる戯曲の作法を、私はだれからも教わらなかった。教えてくれるような人が近いところに見当らなかったからでもあるが、その日その日の食いかせぎにいそがしくて、先生という人の門をたたく時間などなかったからである。随って今日までの、小説戯曲そのほか私の作品の全部が、"独り勉強"の結果である。これからの作品もまたそうだろう。

 独り勉強のはじめのころやった、ムダ勉強で、今も記憶にあるものの一つに舞台飾りのことがある。後々の舞台飾りの記述とちがい、くろうと用語で書いているので、私などにわかる訳がない。例えば歌舞伎座でやる『|鼠小紋春着雛形《ねずみこもんハルギノひながた》』の大詰、星影梅山、実は泥棒の稲葉幸蔵宅の場の道具飾りが、こう書いてある。

 「本舞台三間の間、常足の二重、向う更紗の暖簾口、上手地袋戸棚明け立て、この上本箱の書割り、下手茶壁、上の方一間の障子家体、二重に唐机、算木ぜい竹易書積み、更紗の蒲団いつものところ、門口下の方、雪の積りし建仁寺垣」

 常足《つねあし》の二重とは何ぞや、向うとは何ぞや、上手《かみて》とは何ぞや、下手《しもて》とは何ぞや、これらを知るためには、芝居小屋で働いているものと知りあいになり、聞いておぽえるのが早い、それでなければその芝居のその場を見て、常足の二重とはあれか、向うとは正面ということか、などと知ることである。私は性癖のいたすところで、知らぬ他人にモノを知るため、下タ手に出るのがひどくきらいであったので、その芝居が出るのを待ちあわせてから知るという方法をとった。時間と手間がかかり、モノによっては月日がかなりたったのにまだわからないことも度々であった。その代り手軽くおぼえたものと違い、手重くおぽえたことは、容易なことでは忘れない。

 もっとも今は芝居に関する辞典類が幾つかあるから、例に引いた道具飾りのどれも、手軽くわかるので、若いころの私のように、ムダ骨を折らないでいいのみか、例に引いた道具飾りの書き方を、今どき書く戯曲作家はいない。その代り「平舞台、廻し部屋の伽、上下塗り骨の障子家体、真中に小屏風立廻し、傍に丸行燈よろしく、流行唄にて道具留まる」などと書いたら、内容がよくても、道具飾りの書き方が災いして、懸賞物なら落選、雑誌投稿なら没になること間違いなしである。

 道具飾りの如きは、昔物語でしかないが、戯曲に出てくる人物の動き、行ない、口から出るセリフ、口から出さないセリフ、等々は、昔物語どころか、今の物語であり、明日以後にずうっと続くものなので、私のおぽえた"独り勉強"の結果を、私どもの勉強の集りで、思い出すに随って、年下の友人たちに写そうとしているのが、勉強の座における私の仕事の一部である。ただしみんなのいう事を聞いていると、拾って収めるべき言葉や話を、ときどき落して置いてくれるので、そういう物は拾わなければ、つぶれて失われるから、私はいただく。もっともこれは勉強の集りのときばかりではない。来訪者の世間話にもそういうことがあり、他人が他人と話している中にもある、それもいただく。

 戦後三年、馬場先門から小川町までの間の電車で、五十近い職人が、江戸の名残りの明治下町言葉で話している、声の抑揚言葉の切りめ、マのとり方、これが素晴らしいので口真似をひそかにして憶え、その晩が更けてから独りでやってみたがくずれがきていてダメであった。しかし、耳の底には残っているのだから、いつか何かでこれを生かして使うつもりである。

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2017-09-29

永井荷風「濹東綺譚」 永井荷風「濹東綺譚」 - 国語史資料の連関 を含むブックマーク はてなブックマーク - 永井荷風「濹東綺譚」 - 国語史資料の連関 永井荷風「濹東綺譚」 - 国語史資料の連関 のブックマークコメント

 わたくしは女の言葉遣いがぞんざいになるに従って、それに適応した調子を取るようにしている。これは身分を隠そうが為の手段ではない。処と人とを問わず、わたくしは現代の人と応接する時には、あたかも外国に行って外国語を操るように、相手と同じ言葉を遣う事にしているからである。「おらが国」と向の人が言ったら此方も「おら」を「わたくし」の代りに使う。説話は少し余事にわたるが、現代人と交際する時、口語を学ぶことは容易であるが文書の往復になると頗る困難を感じる。殊に女の手紙に返書を裁する時「わたし」を「あたし」となし、「けれども」を「けど」となし、又何事につけても、「必然性」だの「重大性」だのと、性の字をつけて見るのも、冗談半分口先で真似をしている時とはちがって、之を筆にする段になると、実に堪難い嫌悪の情を感じなければならない。恋しきは何事につけても還らぬむかしで、あたかもその日、わたくしは虫干をしていた物の中に、柳橋の妓にして、向嶋小梅の里に囲われていた女の古い手紙を見た。手紙には必ず候文を用いなければならなかった時代なので、その頃の女は、硯を引寄せ筆を秉れば、文字を知らなくとも、おのずから候可く候の調子を思出したものらしい。わたくしは人の嗤笑を顧ず、これをここに録したい。

一筆申上まいらせ候。その後は御ぶさた致し候て、何とも申わけ無之御免下されたく候。私事これまでの住居誠に手ぜまに付この中右のところへしき移り候まま御知らせ申上候。まことにまことに申上かね候え共、少々お目もじの上申上たき事御ざ候間、何卒御都合なし下されて、あなた様のよろしき折御立より下されたく幾重にも御待申上候。一日も早く御越しのほど、先ずは御めもじの上にてあらあらかしく。

◯◯より

竹屋の渡しの下にみやこ湯と申す湯屋あり。八百屋でお聞下さい。天気がよろしく候故御都合にて唖々さんもお誘い合され堀切へ参りたくと存候間御しる前からいかがに候や。御たずね申上候。尤もこの御返事御無用にて候。

 文中「ひき移り」を「しき移り」となし、「ひる前」を「しる前」に書き誤っているのは東京下町言葉訛りである。

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