音韻学

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
最善の説を記録しているものではありません。変な説も記録しています。
書誌として不完全です。
項目の形に規準はほとんどありません*
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音韻学

オンヰンガク  音韻學 [名義]漢字の音、又は韻の事に關したる學、韻は、音の末の響にて、古くは二百七韻に分ち(之を廣韻と云ふ)後に百六韻となす(之を平水韻と云ふ)又之を平聲(三十)上聲(二十九)去聲(三十)入聲〔十七)の四大別になして四聲と稱す韆上代より起りて、雄略天皇の世に卯安那を以て譯語としたるは、韓音を傳へたるならん、推古天皇の世に、鞍作福利を遣隋通事とし、詩統天皇の世に歸化の唐人續守言薩弘恪音博士とせしは、即ち支那北方の音を傳へしにて、漢音と稱せし者なり、而して呉音は、支那南方の音にして、佛法の始めて入りし時、對馬に一比丘尼ありて、此音を以て佛經を傳へたり、故に後世に至りても此音を用ひて、佛書を讀み、是を對馬音とも云ふ、支那と交通盛になりてより、朝廷にて屡々呉音を禁じ、漢音を用ひしめたり、其漢音は今の如くならず、能く四聲清濁を辨じて、支那人と言談することを得る者あり、故に支那通事を漢語師と云ひしなり、又學者にても、漢音を學ばず、字の四聲を辨ぜずして、滕駁の音を用ひたりと云ふ譏な受けし者あり、さて音の爲めに故らに博士を置きしを觀れば、音を學ぶことも容易ならざりしなり、桓武天皇の頃は佛書を讀むにも、漢音を用ひしめしを、後には佛書呉音を用ひ、儒書漢音を用ふることゝなれり、鎌倉以後韻鏡、我邦に入りてより、韻學は之に依る者多く、又其説に深き者もありて、常に之を講ぜり、然れど後奈良天皇の世に始めて之を上木せり、而して其學ぶ所の音に、支那の常時の音にあらず、從來我邦に傳ふる所の漢呉音にして、人の雙名の反切を視て、其吉凶を判する等の事あり、江戸時代音韻の學に用ふる所ば韻鏡の一書のみにして、之を講ずるもの多く、韻鏡家と稱する者多く出でたり、寛永の比僧宥朔始めて韻鏡の註を作りてより、註繹する者數十家にして、吉凶禍福を論ずること益々甚し、延享の比、僧文雄磨光韻鏡を著はし、玉篇廣韻集韻に依りて翻切を註し、附するに漢呉音唐音を以てしたれば、學者多く之を便とせり、當時唐音を學ぶこと盛に行はれて、徂徠春臺の如き皆之を識れり、意に謂ふ、唐音を知らざれば、漢書を讀むべからず、漢文を作るべからずと、文雄は春臺に從ひて文字を問ひし者なり、然れども音和雙聲等の法に依りたれば、頗る學び難かりしを、文政の比太田全齋呉音圖を著はし、我邦の古書と、支那古書と、朝鮮の音と印度字の音とに徴し、五十音に依りて原音音便習音等の別を立てゝより、人多く此説に從ヘり、而して全齋の學は、本居宣長に本づきし者なり(日本教育史)

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/kokusi/0495.html

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