鈴木朖

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鈴木朖

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 あきら 國學者

【姓】鈴木【字】叔清【幼名】恆吉【通稱】常介【號】離屋

【生歿】明和元年三月三日、名古屋の西枇杷島に生る。天保八年(二四九七)六月六日名古屋に歿す。享年七十四。

【墓所】名古屋市南久屋町誓願寺【家系】父は山田重藏、鈴木善阿彌の後裔で、本姓鈴木、山田家へ婿入りした人である。四男三女あり、はその三男である。だけが父の本姓鈴木を冒し、他は皆山田氏を稱した。の子は男三人。次男が後を嗣いだ。

【學統】漢學は未詳。國學本居宣長門。

【閲歴】は年少の頃から頗る頴敏、十歳の頃にはよく經史に通じて居たと云ふ(墓誌)。安永七年に、尾張の僧梵韶の編纂した「張城人物志」の丈苑の部に「山田(字叔清、號□□琵琶島)山田常助」とあるのはの事で、時に十五歳である。以て如何に秀才であつたかを知ることが出來る。天明三年尾州藩學、明倫堂が出來、細井平洲が學館總裁に任ぜられた時、彼の學識を知り、推薦しようとしたが、自分の門下生として推薦したいと思ひ、人をして諷せしめたが、はこれを潔しとせず、平洲の意に從はなかつた(墓誌)。は年少の時代から、儒者として既に一家を爲し、宣長(別項)の門へ入つたのは、二十九歳の頃である。その宣長に送つた序に「(中略)少小竊好漢學、鑽研經傳、(中略)尤心醉於仲尼爲人(中略)先生(宣長)之風、頗有似仲尼、而其擧居正得宗、可以標準百世、及見先生、聞其談論、其於漢人、獨與仲尼、亦以其志有所同者也、吾將就先生問古道矣、我於學古也視先生、猶學漢之於仲尼也」(離屋集)と。又、廿七歳の時に記した「馭戎慨言」の序に「仲尼之道、異先生、而其志有同也」と云つて居る。以て宣長に對する態度を知ることが出來る。

而して、儒者たる彼が國語學に志したのは、恐らく「道理ヲ熟《ヨク》知ラント思ハヾ、必事實ヲ精クスべシ、事實ヲクハシクセントナラバ、其レヲ載セタル文字言語ニ通ズべシ、文字言語ニクラク謬リテハ事實精シカラズ、事實精シカラデハ道理必タガヒ誤ルべキナリ」(離屋學訓)との理に依るものと考へられる。國學に志して後も儒學を廢したのではなく、儒學國學兼ね修めて居たのである。彼の父は醫者であつたと云ひ、兄弟も、その子も醫を業としたが、彼だけは醫を卑んで.學に依つて身を立て、三十一二歳の頃から尾州侯に仕へ微祿を得て、傍ら儒學を門生に講じて居た。後、天保四年正月に至り、明倫堂の教授に任ぜられた。時に年七十歳であつた。從來明倫堂では專ら儒學を講じて居たが、この時から國學をも講ずることとなり.彼は「日本書紀」「古今集」等を擔任教授した。かく晩年には學者として得意の地位を得たが、生涯の大部分は不遇に送つた。しかも剛毅堅忍、世に阿らず又世を憚らず、身を奉ずること薄く、よく攝生を重んじて、自ら信ずる道を進んだ。「味噌でのむ一盃酒に毒はなしすゝけたかゝに酌をとらせて」「くたびれて休むがほんの休むにて薄着しなれや風ひかぬもの」等に、その生活の一斑を示してゐる。

【業績】はもと儒者であつて、その方面の著書も少くなく、且つそれらは相當高い價値を有するものである。が學界に於ける業績としては、國語學に於けるものが遙に大である。國語學上の研究は、漢學の知識を母胎としてゐるものであることは、注意すべきである。その國語學め業績として先づ擧ぐべきは、「言語四種論」(別項)に見える國語品詞論である。これ漢學に於ける實辭・虚辭。作用字面・形状・字面等の區別から出たものであつて、缺陷はあるが、國語品詞論としては前人未發の卓見であり、又東條義門(別項)の品詞論に、大きな影響を與へたもので、品詞の研究史上頗る注意すべきものである。

之に次いでは、「雅語言聲考」(別項)及び「希雅」に記されたところの語源の研究である。前者は國語の.後者は支那語の寫聲的起原説を唱へたものであつて、一々の用例には附會と思はれるものがあるが、全體としては頗る卓見で、國語學史上特筆大書すべきものである。因に云ふ。この時代から國語學界の一部に.五十音の一音一音に、音義ありと説く音義説なるものが起り、後に出た音義學者堀秀成(別項)は、音義説に始まつたものであると云つて居る(言靈妙用論)が、言語の寫聲的起原説と音義説とは、似て非なるものである。

第三には「活語斷續譜」(別項)に見える活用の研究である。これは宣長の「御國詞活用抄」(別項)の説を補正したものであるが、活用研究の劃期的名著たる「詞の八衢」(別項)に重大な影響を及ぼした點に於いて、忘るべからざるものである。この他、中古文學の訓詁的研究として、「玉の小櫛補遺」「少女卷抄註」「雅語譯解」等も.また相當注意に値するものである。

【著書】

國語國文に關するもの〕言語四種論(別項)一卷

活語斷續譜(別項)一卷

雅語音聲考(別項)一卷

○希雅一卷(雅語音聲考と合せ、文化十三年刊)

雅語譯解一册(文化四年刊。古今集源氏物語等から單語千三百餘を拔き出し、いろは順に排列して、簡單な口語譯を附した辭書である。因に本書を増補訂正したものに「雅語譯解大成」及び「雅語譯解拾遺」がある

○玉の小櫛補遺一册(文政三年刊)

○少女卷抄註一册(文政十年刊。源氏物語少女卷の一節に、「湖月抄」及び「玉の小櫛」の説と自分の説とを併せ註したものである)


○〔漢學に關するもの〕大學參解一班(文化十年成る)

○論語參解三册(文政三年刊。右二書とも句讀訓點に注意して國語上に誤りのない樣にし、古註を參酌要約したものである)

○讀書點例二册

○改正讀點例一册(天保六年成る)

○讀書説(現存十四卷。名古屋圖書館藏)


○〔雜著〕離屋學訓一冊(文政十一年刊)

○離屋集初篇(同年刊)

○養生要論一册(天保五年成る)

○續養生要論一册(同十一年刊)

○離屋文稿七册(名古屋圖書館藏。以下同じ)

○離屋文草一册

○離屋歌稿六册

O離屋雜綴七册

○離屋雜記一册

○離屋見聞集九册

○離屋隨筆一册

○離屋雜纂六册

○海東異録

【參考】墓碑銘 丹羽勗

鈴木朖 平出鏗二郎(帝國文學二ノ一、二、三)

鈴木離屋 石田元季(國語國文の研究二八號)

○日本教育史資料

〇名古屋市史學藝編     〔龜田〕

http://blog.livedoor.jp/bunkengaku/archives/24975551.html

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