谷崎潤一郎「私の見た大阪及び大阪人」

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
最善の説を記録しているものではありません。変な説も記録しています。
書誌として不完全です。
項目の形に規準はほとんどありません*
「検索」ボタンを活用して下さい。 岡島昭浩がやっております。 一部、JSPSの15H01883,18520354などの恩恵を受けております。

谷崎潤一郎「私の見た大阪及び大阪人」

谷崎潤一郎

「私の見た大阪及び大阪人


 私は、大阪人東京人との肌合いの相違を、何よりも彼らが話す「声」において強く感じる。言葉の相違よりも声の相違の方に東西の差別がハッキリ出ている。将来交通がますます頻繁《ひんばん》になるに従って上方弁東京弁との隔たりは次第になくなるかも知れないが、彼らの咽喉《のど》から発せられる声音《こわね》の相違は、恐らくこの両地方の空気や地質や温度などと関係があるであろうから、容易に消滅しないであろうと考える。

 長らく関西に住んでいる私がたまに東京へ出かけて行って、真っ先に「東京だなあ」という感じを受けるのは、あの、東京人の話すカサカサした、乾涸《ひか》らびたような声である。かくいう私自身の声も多分東京風なのであろうが、始終此方にいて大阪人の話しごえを聞き馴れた耳には、東京人?発音は、ちょうど名物の空《から》ッ風《かぜ》のように、ガサツで、つやがなく、頗《すこぶ》る殺風景に聞える。男の場合にはそれでも歯切れのいい味があるけれども、女がああいう声を出すと、非常に荒《すさ》んだひびきを帯びて、声の主までが肌理《きめ》の粗《あら》いガサツな人間のように思えて来る。

 東京俳優のうちで、菊五郎の芸が(その舞踊を除いては)最も京阪の人に親しみにくく、理解されにくいのは、彼の純江戸風発声法に因る所が多いのではあるまいか。東京で割りに人気のない宗十郎が、上方ではそうでもないらしいのは、確かに彼の声のせいである。

書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。