行能卿家傳假名遣

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
最善の説を記録しているものではありません。変な説も記録しています。
書誌として不完全です。
項目の形に規準はほとんどありません*
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行能卿家傳假名遣

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/syomokukaidai/ya/kaidai_ya023.html


 これは「國語學書目解題」に世尊寺行能卿撰かと言つてあるもので、寫本一卷として傳はってゐる。京大國文學研究室本によるとその序は次の通りである。

それかなはこうばふ大しきてうの後我てうのぞくにまなじをおしえ給へども かく事ならざるゆへにまなをやつしてさうにかき さうを又やつしてかなにかき きうしやうかくちうの五いんをいろはにつらねておしえ給ふ しかもいたづらにもつらねたまはず ねはんきやうの四くのげのしよぎやうむじやうぜしやうめつはふしやうめつ/\いじやくめついらくのものこゝろを四十七じの長うたにゑいじておしえ給ふ 其うたにいはくいろはにほへと。ちりぬるを。わがよたれぞつねならむ。うゐのおくやまけふこえて。あさきゆめみじゑひもせず。此うちにいゐをおえゑへのおなじこゑのじ有事はぽんりよのわきまへがたきところなり いづれもかくべつのよう/\につかふべき事をかねてごんじやのしるしおき給へり 此ゆへにかなつかひはみないろはになそらふべき世のすえになりていゑ/\にむつかしくつかひわかてり 我そゆきよしきやうは     そんゑんしんわうより此かただい/\ののうじよみなもつてかくのごとくつかひきたれる物なり かならずしもなんぞおぎのふところ有べからざらなん (「右者東京帝國大學文科大學ノ蔵書ニヨリテ謄寫セル也明治四十四年五月二十日」と奥書のある京都大學國文學研究室本に據る。)

 本書は世尊寺行能卿の子孫の家に傳へられた本と覺しく、その内容は次に掲ける目録に依って知ることが出來よう。

かしらにかくいの事 いろ色等語例 百二十一語

すえにかくいの事 せい精等 十二語

ほをおとつかふ事 いほ廬等 二十六語

            み め

へをめとつかふ事 おひなへし女郎花等 四語

かしらにかくをの事 をと乙等 九語

すえにかくをの事 とを十等 六語

中にかくわの事 ことわざ諺等 六語

うにてひく事 はうふる葬等 八十四語

中にかくゐの事 うくゐす鶯 等二十七語

かしらにかくおの事 おろか愚等 百五語

ふをうとつかふ事 もちふる用等 十三語

ふをむとつかふ事 はうふる葬等 二十五語


中にかくいの事      へいし瓶子等 二十語

はをわとつかふ事 いは岩等 百四語

へをゑとつかふ事 いろへ綺等 百三十語

ちをぢとにごる事 いぢ意地等 三十七語

中にかくをの事 とをし通等 八語

かしらにかくわの事 わに鰐等 三十一語

むをうとつかふ事 むめ梅等 七語

かしらにかくゐの事 ゐる居等 六語

すえにかくゐの事 しきゐ敷唐等 二十五語

ふにてひく事 いふ云等 百三十四語

ふをおとつかふ事 あふぎ扇等 十一語

中にかくえの事 いえる愈等 二十三語


すえにかくえの事  すえ末等 五語

かしらにかくゑの事 ゑふ醉等 二十語

ひをいとつかふ事  いひ飯等 百五十一語

           み め

ひをみとつかふ事  おひなへし女郎花等 三語

につしやうのこゑふの事 いふ邑等 十七語

三じかなの事    にやう鏡等 二十六語

かたかな本じの事  イ伊ロ呂ハ 八等

しをじともにごる事 いじり井尻等 四十語

すえにかくゑの事  いゑ家等 五語

きくいのいにはひをいとつかふ事 へひで剥等 四十七語

よみひごゑいよみふごゑうの事 かひ貝等 六語

二じかなの事    いふ囮等 百七十語

かなじ本じの箏   い以ろ呂路路等

以上本書内容を檢討して之を行阿假名遣に比較してみると次のやうなことが分るのである。

(一)行阿假名遣に扱はれてゐるものは全部こ丶にも扱はれてゐる。

(二)行阿假名遣に扱はれてなくてこ丶に項目として擧げられてゐるものは左の如くである。

へをめとつかふ事         ちをぢとにごる事

しをじともにごる事        きくいのいにはひをいとつかふ事

ひをみとつかふ事         よみひこゑいよみふこゑ・)の事

につしやうのこゑふの事      二じかなの事

三じかなの事           かなじ本じの事

かたかな本じの事

                     み  め

右の中「へをめとつかふ事」「ひをみとつかふ事」は「おひなへし」の例語でも分る様に假名遣の問題ではなくて音韻相通の現象である。次に「ちをぢともにごる事」の中には「いぢ意地」「ろぢ路地」等のやうに連濁現象の例語もあれば、「はち恥」「とち閉」「ふち藤」のやうに本來假名遣問題として扱はれなければならないものもある。「しをじともにごる事」の中には前者同樣、「いじり井尻」「へいじ瓶子」の如き連濁現象の例語もあれば、「にじ虹」「まじはる交」「はじめ初」の如く本來假名遣として區別を必要とする例語もある。

「きくいのいにはひをいとつかふ事」といふのは、「とひて解」「ぬひて拔」等の如く、本來は「ときて」「ぬきて」と「き」と言ふべきものを、音便で「といて」「ぬいて」と發音する。この場合には「い」文字をつかはすに「ひ」文字で書けといふのであつて、今日から考へれば正しい文字遣ではない。勿論「ひ」文字が「い」と發音されることはありうるが、(そのことは「ひをいとつかふ事」に擧げられてゐる)こゝはその逆を用ひたのである。且その例語中には「おほひ蓋」「しひて強」「ほひて干」等の如く、この項に屬すべからざるものさへ入つて居る。

「よみひこゑい よみふこゑうの事」の項には、

 かひ貝    あひ藍     まひ舞

是らをよみなりひをつかふ

 本ノマ・

 かひ海   あい愛   まい毎

  是らをこゑなり いをつかふ

とあり、「よみひこゑい」の場合は音で「ひ」といふものは「い」と書けといふので例に合はせて分るが、「よみふこゑうの事」は「まひ舞」の例以外は項目と合しない。

 「につしやうのこゑふの事」「二じかなの事」「三じかなの事」はすべて字音假名遣の問題で國語假名遣ではない。

 「かなじ本じの事」「かたかな本じの事」は假名字源を示したもので、假名遣のことではない。

(三)行阿假名遣に於ける項目の配列には系統が無かつたが、本書ではすべて「いろは」順に從ってゐる。

(四) 項日の摘出には行阿假名遣に比して著しく分析法が使はれてゐること。たとへば行阿假名遣に單に「を」として擧げられてゐるものを本書では「かしらにかくを」「中にかくを」「すえにかくを」の如く文字の位置によって整理されてゐる。

(五)例語の語彙行阿假名遣と共通のものもあるが、新しい語も可なり多く取り入れられてゐる。

(六)項目の左註として注意すべきものが本書に於て次の三ケ所にある。

1へをゑとつかふ事

 へはふとひにちなむ。たとへばいはふのかなには、いはひ、いはへと云かな有。よは是になぞらへ。

2中にかくえの事

 えはゆにちなむ。たとへばこえてと云かなには、こゆるとかな有。よは是になぞらへ。

3きくいのいにはひをつかふ事

 たとへばとき、とく、説、ほき、はく、吐のかなには、はひて、とひてのかな有。いそぎ、いそぐ、いそひで急。

 これ等はいづれも「祝ひ、祝へ」「越え、越ゆる」「説き、説く」「吐き、吐く」「急ぎ、急ぐ」の如く動詞活用形による假名遣の相違を、それとはなく意味用法の上から認めてゐたものらしい。このことは行阿假名遣に就いても言はれたことである。

(七)項目の中に「ひく事」としたものが、

  うにてひく事 たうとし尊 いれう入 いらう入 はやう早等

  ふにてひく事 いふ云 はふ匐 ゑふ醉 ちかふ誓

 の二條ある。これ等はその例より察すれば、「う」の音、「ふ」の音を長くひくといふことではなくて、

  たうとし トートシ   いれう イリョー  いらう イロー   はやう ハヨー

  いふ ユー      はふ ホー     ゑふ ヨー     ちかふ チゴー

の如く發音することを示して、これと假名文字との關係を示したものと思はれる。

なほ本書の終の部分に「かな遣の事」といふ別章があつて、假名遣に關する注意が述べてある。即ち、

中のえを書事。中をゆとよむはみな中のえを書べし。

 越 消 絶 燃 肥 見 聞 寒

ほををとよむ事。字のこゑをはねてよむは皆ほを書也。

 鹽 顏 薫 白槿 嚴 竿 掩 焔 郡

はしのををかく事。小字の類はいづれも端のをなるべし。

 小舟 小川 小鹽 小嶋 小野 小篠 小倉 小忌袖

はしのへを書事。ひふへと通ふはいづれもはしのへなるべし。

 思ふ ねがふ むくふ いふ つかふ まよふ

中のゐを書事。下のひゞきあまたに通はず唯一檬によむは中のゐなり。

 くれなゐ たましゐ くらゐ よゐ 雲ゐ まどゐ くゐな きゐる よゐ枕 こゐとる

おくのゑを下に書事。

 〓ゑ いゑ うゑもん さゑもん【さへもんならばあやまり也】

はしのいを下にかく事。聲に字の下いとよむははしのい也。

 ひたい らいはい たいない れい ない/\

うの字を書事。下にひゞきあまたによまざるはいづれもうの字なるべし。

 堂塔 信 法師 女房 同道 少々 興立

此類聲によむ字の下をうとよむはみなうの字也。

むの字をうの聲によむは宇のくちをむすびてよむをうとよむ也。これを間のかなといふ。

 埋木 梅 烏羽玉 馬

物を結ふといふ字いづれもはしのを也。

 玉のを 琴琵琶袋のを【大かたこれにて可勘】

尾の字は皆おくのお也。

 尾上 山尾 鷹のお 獸のお

押などといふは端のをなるべし。

 鐘の音 風の音

 みなはしのを也。ばせをは尤はせうとは禁ズ。レをにの花をしをんと禁ズ。りうたんの花尤りんとうの花とは禁ズ。

 女ははしのを 男はおくのおなり

 しろたへ、たへかね【此二つはひふへに通はざれ共はしのへをかく也】

 歸雁などはひふへに通はざれ共、歸るとかなにて書時は中のえ也。奧のゑ字形あしきにより端のへを書也。

 をのれ、をのづから、をのが、をの/\【是はわすれても奥のを書べからず】

 おぼし、おはします【是ははしのを書事誤りなり。おはしますといふ事は御座といふ事也。いづれも御の字はおくのお

 わといふ字は字形に書べし。必下に書事は誤り也。女の文にいわ井と書事口傳

                                 日野資綱

 この別章は行能假名遣とは全く別のものであつて、書寫した人が自分で集めておいたものを、同册として綴ぢ合せたものである。大體の項目が「假名遣近道の事」とほゞ同樣であるのも、行能假名遣本文でないことを示してゐる。

木枝増一『仮名遣研究史』

書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。