笹月清美「帆足長秋の『古事記伝』稿本の写」

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笹月清美「帆足長秋の『古事記伝』稿本の写」

笹月清美

笹月清美『本居宣長の研究』 「本居宣長の二三の著作について」のうち



古事記傳』がその完成の途上において幾度かの推敲を經た事實は、宣長古事記研究の進展を語るものとして頗る重要である。この事に關しては曾つて村岡典嗣氏がその著『本居宣長』の附録第二において佐佐木信綱所藏の『古事記傳刊行以前稿本の寫』について述べられたが、昭和八年に入つて岡田米夫氏は『校訂/真淵宣長/古事記神代卷』の附録「古事記訓讀の沿革と解題」及び皇學第四號五號及び第二卷第一號に掲載の「古事記傳稿本の基礎的研究」においで、詳細にこの問題を論究された。

 岡田氏によれば氏の調査された未定稿本

  本居家所藏の自筆稿本中・下兩卷

  松坂鈴屋所藏の自筆未定稿本四十四冊

  神宮文庫所藏の蓬莱尚賢手寫稿本十九冊

  同     中川經雅手寫稿本十八冊(この中三册は靜嘉堂文庫所藏)

  同      酒井忠躬奉納の未定稿本二十一冊

  東京三井文庫所藏の稻掛茂穂書寫稿本二册

  京都帝國大學所藏の栗田土滿手冩稿本四十四冊

  佐佐木信綱博士所藏の古事記傳稿本四冊

の八部であつて、それらの稿本はそれ/゛\つぎの四段階すなはち、

  第一稿本 初稿本

  第二稿本 初稿本を修正整理し淨書したもの

  第三稿本 第二稿本に増補訂正の加はつたもの(時期により差がある。)

  第四稿本 版下稿本

のいづれかに該當する。

 さて岡田氏は右の論述において、『古事記傳』の稿本としては肥後國帆足長秋の寫本が七冊現存してゐる筈であるけれども一覽の機を得ないからと言つて、これを略してをられる。こゝにはその帆足長秋の寫本に關していさゝか調査し得た所を記してみようと思ふ。

 帆足長秋(巌密には長秋及び京)書寫の『古事記傳』は現在熊本縣鹿本郡三玉村靈仙の淵上象馬氏が架藏されてゐる。四十四册揃つてゐて、その第二冊の扉に

  古事記傳全部四十四卷、紙員二千九百九十葉

と記した貼紙がある。書寫の體裁は本文が半丁五行行十二字、注文が十行行二十二字の割で、この點板本と全く同じである。

 第一册から第二十三冊に到るものは注文が平假名交り文である。(これは注意されねばならぬ。)その中第一冊から第十七冊に至る神代卷の各册は文化元年の寫で、極めて僅かの誤脱の外、全く板本一致する。『古事記傳』のこの部分が三帙として寛政九年までに刊行されてゐることから考へてもこれらは板本からの寫しであらう。つぎに第十八册以下第二十三册に到るものは享和三年の寫で、その頃既に板本が出來てゐたか否か詳らかでないが、(後述第三十一丗から第四十四册を眞幸所藏の寫本によつて寫し、それに引續いてこの部分を寫してゐるから、恐らく眞幸の持つてゐた本を借りて寫したのであらう。これも後述するやうに、眞幸は享和元年松坂に行った折宣長の本を寫して來たやうであるし、第二十三册は寛政十二年板下本が出來てゐるから、眞幸の本のこの部分はそれからの寫しであったのではあるまいか。それとも既に板本が出來てゐたのであらうか。) いづれにしても精撰本からの寫である。

(中略)

 しかるにそれに比して第二十四冊以下は著しく性質を異にする。書寫の體裁や一丁の行數字數などは板本と同じ行き方であるが、丁數は一致しない。またその注文はすべて片假名交り文である。これは前掲岡田氏の論文によつて明らかなやうに、宣長の『古事記傳稿本における一特質なのである。

(中略)

第二十四册から第三十冊に到る七册は後述するやうに享和元年長秋等が松坂に赴いた際宣長本を寫したものであり、第三十一册以下は肥後において長瀬眞幸の藏本を寫したものなのである。

(以下略)

書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。