狩谷棭斎

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
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狩谷棭斎

棭齋 えきさい 漢學者

姓名】舊姓高橋、後狩谷と改む。諱は望之、字は卿雲、通稱は津軽屋三右衞門。

【號】棭齋(棭は和字で、ヤとよむのが正しい*1が、今は世俗の稱に随つた)。蝉翁・六漢老人

【堂號】常閑書院・實事求是書屋

【生歿】安永四年十二月一日江戸に生れ.天保六年(二四九五)閏七月四日江戸に歿す。享年六十一。

【墓所】東京下谷天龍寺

【家系】實父は高橋高敏、狩谷保吉の養子となリ、一男二女があつた。

【閲歴・業績】狩谷氏は三河國刈谷の人で、狩谷(刈谷と同)を以て氏とした。棭齋は少壯の時から律令の研究に志し、「六典」「唐律太平御覽」「通典」等の唐代の書を讀破し、更に漢代の書を研究し、六経を修めてその奥義に通じ、終身漢學を修めた。嘗てその師市野迷庵が、經書は宋儒の解に依るべきであると言つたので、棭齋は二十餘ケ月研究の後、迷庵を訪ひて宋代儒者の説の採り難きことを論じたので、迷庵も途に棭齋の説に服したと云ふ。又棭齋は漢鏡、漢錢、王莽の威斗、中平の雙魚、洗三耳壷を愛藏し、自ら六漢老人と號してゐた。或人が、これだけでは五漢ではないかと問ふと、自分は漢學を修めて居る。これ亦漢代の物で、即ち六漢であると答へたと云ふ。この漢學に於ける深き蘊蓄を傾けて、我が古典の本文考證・注解等を爲し、又古金石文を蒐集して研究した。「和名抄」「靈異記」「日本國見在書目録」「法王帝出説」等の研究は前者に属し、「古京遺文」の如きは後者に属するものである。要するにその學は考證を宗とし、頗る詳密確實であつて、その校訂注解になる諸書は、國語國史等の根本的研究に志す學徒の座右に缺くべからざるものである。

【著書】法王帝説證註一卷(文政四年二月成る)

校本日本靈異記三卷(文化十三年二月記)

日本靈異記攷證三卷(文化四年刊)

日本靈異記校譌一卷

箋注倭名類聚抄二十卷(倭名類聚抄參照)

○諸國採集風土記二卷

延喜式藥録一卷

新撰字鏡分音一卷

扶桑略記校譌三卷

○毎條千金一卷

○本朝度量權衡攷三卷

○錢幤攷遣 (錢は泉とも書く)十卷

日本國見在書目注稿一册

古京遺文一册

説文檢字篇一卷

文教温故批考一卷

轉注説一卷

○京遊筆記一卷(以上日本古典全集所收)。

右の外に

○姓氏録捷覽三卷

○披古遣文四卷

○新校正孔方圖鑑一卷

○石川年足卿墓志攷證質疑一卷等。

【參考】棭齋狩谷先生墓碑銘並序 松崎復(近世名家文集、國學者傳記集成所收)    〔亀田〕

http://blog.livedoor.jp/bunkengaku/archives/25191777.html

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kensaku/hagayaiti/haga1041.html (ヤサイの項)

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/ka/ka163.html

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/kokusi/0695.html


岩波日本古典文学大辞典 梅谷文男

国史大辞典 山本武夫

『狩谷棭斎』

PDD図書館獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。

http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm

*1集韻などにエキにあたる音で載せられている*

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書籍からの画像で注記のないものは、著者の著作権が切れ、刊行後五十年以上経っているものである筈です。