浅草文庫

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浅草文庫

文庫

浅草文庫 文庫解説】同名のものが五つある。

(一)寛永中、紀州侯の藩医板垣卜斎が創設した私有文庫で、浅草観音堂の北裏砂利場なるその邸内に設けられたと云ふ。卜斎は汎く和漢の書を集め(或は医籍を多く蔵すと云ふ)、諸人の縦覧を許したといふが、明暦元年卜斎歿後の文庫消息は不明である。

(ニ)明暦元年の頃、堀田加賀守正盛は浅草諏訪町の北裏たる下屋敷に、大なる土蔵を造り、和漢書數萬巻を蔵して、世に浅草文庫と称したが(武江年表)、建物は寛文元年火災に罹つて焼失した。

(三)その後幕府の御家人木村重助が又浅草にあつて圖書を蔵して、浅草文庫と称したと云はれてゐる。

(四)明治五年、旧大學の和漢書及び旧南校の洋書を以て、文部省博物局に車京書籍館を置き、神田の旧大成殿を假館としたが、同七年に蔵書を浅草蔵前片町なる官庫に移し、獨立して浅草文庫と改称した。しかし同十年建物書籍東京府に引渡して、東京書籍館と称するに及んで、こゝに第四期の浅草文庫は消滅したわけであるが、これは間もなく再び文部省の所轄となり、上野公園に移転した、現在の帝国圖書館の前身である。

(五)大槻如電は、己が文庫を以て前述の官立文庫消滅の後を嗣いで、第五浅草文庫と称した。

【參考】浅草文庫の今昔 竹原清々(書斎一〇)

○ 板坂卜斎の浅草文庫とその蔵書印、附官立浅草文庫の沿革 森潤三郎書物春秋第五號)

○ 浅草文庫の旧地 黒河真道(古蹟二ノ七・八)

浅草文庫 阿部弘蔵(学燈七ノー一)   〔植松〕



新潮日本文学大辞典 植松安

http://blog.livedoor.jp/bunkengaku/archives/26539149.html

浅草文庫の話(日置昌一『話の大事典』

江戸時代のはじめ寛永年中に板坂卜齋という醫者が淺草に開いた浅草文庫民衆的な文庫として嚆矢であるが、間もなく明暦の大火に焼亡してしまつた。のち明治八年十一月十七日に博物館所屬の文庫を浅草御蔵前片町に開いて一般の閲覧《えつらん》を許し之を浅草文庫と稱したが、常時の所藏せる圖書は十四萬五千七百冊であった。

 居眠で圖書に涎《よだれ》のしみがつき 雄介


誌名

東京高等工業学校文藝部の雑誌

『浅草文庫』

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