橘正一「ネマルの方言分布」

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橘正一「ネマルの方言分布」

橘正一

『方言と国文学』4



ネマルの方言分布 橘正一

 潁原さんの「ねまる考」*1を見て、ふと、ネマルの方言分布を調べて見やうといふ氣になつた。

 先づ東北地方は、青森、岩手、秋田、宮城、山形の五縣にネマルの語があつて、いづれも、坐るといふ意味に使はれてゐる。所が、福島縣だけは、ネマルといふ言葉を使はない。これに限らず、福島縣は奥羽の他の諸縣にあつて、この縣にだけないと言ふ言葉が多い。つまり福島縣奧羽方言の特色が最も薄いのである。だから、福島方言奧羽方言に屬せしめることには、私は反對の意見を有するものである。

 次に、北陸道は、佐渡にあり、越後にあり、越中にある。石川縣は全部である。福井縣は、越前の方は、福井市を始め、八郡共にあるが、若狹の方には全くない。さて北陸道のネマルも、全部坐るといふ意昧である。

 飛騨吉城郡にも、ネマルといふ言葉はあるが、こゝのネマルは、あぐらをかく事である。坐る方は、別に、ツクバルと言つてゐる。信州の「北安曇郡方言集」に、「ネマレ、寢よ」と出てゐるさうだが、これが、ネマルを寢る意味に使ふ唯一の例である。

 坐る意味のネマルは、意外にも、とび離れて、島根縣に存在する。松江市を始め、仁多郡三成町、簸川郡今市町、岡郡平田町等に使はれてゐる。「茨城縣方言集覽」に、

 ねまる(動)腫物ナドテ云フ 久慈郡

とあるが、これは、多分「腫物がねまつた」などといふとの意味だらう。同郡では、坐るはネシカルと云ふ。九州へ行くと、ネマルは腐敗するといふ意昧に使はれる。九州全體に亘る様である。長崎市には、別に、ネマッタ人といふ使ひ方がある。

 以上はすべて明治以後の用法であるが、次に、徳川時代方言書を見ると、盛岡の服部此右衛門の著「御國通辭」(寛政二年)に

 すわる 居 ねまる

とあり、あぐらかく方は「らくにゐる」とある。庄内の「濱荻」(明治四年)には

 すはるヲ  ねまる

  寢蹲《ねうづくま》るの略語とすれども通せず。庄内のねまりだこはかしこまりだこ也。ねまり角力は居角力也。犬子のねまるはしこりのゐる也。

   合類節用云、蹲踞ネマル

とある。仙臺の「濱荻」(著作年代不明)には

 ねまる 下學集踞ネマル すはる

 ねまりずまふ 踞相撲 ゐすまふ

  (居相撲)

とあり、「仙臺言葉以呂波寄」(享保五年)には

 ねまる  下におる事。

とあり、著者及年代不明の「仙臺方言」には、ネマル――すはること。膝つきてすはること。江戸などにても用ふ。ねることを云ふ所もあり。とある。ネマルのもとの意昧は、百人一首や、初期の浮世繪の美人に見る檬な坐り方ではなかつたかと、柳田國男先生は言つて居られる(民間些事)

【追記】

 最近、辨天丸孝さんが「石の卷辯」を著した。一本を贈られて見ると、ネマルの條に「寢る有樣を云ふ」とある。これに疑問を起して、問ひ合せた所、左の返事を受け取つた。

(第一信) 「ネマル」あまり普通の言葉で、あつさり書いたのですが「めっけらえねぁ樣にねまつてろ」「皆ねまれ/\」等に使ふのです。

(第二信)先々の「ねまる」につき、その後調べましたところ、仙臺の方と同じく「かゞむ」「うづくまる」意味にも使用されてゐることを知りましたので申上げました。石の卷では兩用に使ふことになります。

(第三信)當地方の「ねまる」は夜ねることではありません。又座敷へねる等のことでもありません。やつぱり先申した通り、戸外ヘフキソクに寢る、又腹ばふ意味でせう。「地べたさ ごろ/\て ねまつて ほに」等、戰ごつこで「敵さ めつから(見えるから)皆 ねまれ」も寢る方です。石の卷で生れ育つて來た自分も、かゞむ、うずくまるの方は、あまり知りません。

 以上によつて、石の卷のネマルは、「腹ばふ」と「かゞむ」と兩方の意味がある事がわかつた。さて、この二つの内、さちらが古い使ひ方だらうか? 私は、分布の上から考へて「かゞむ」の方が古い使ひ方で、「腹ばふ」方は、徳川の初期に、關東地方から船で蓮ばれたものと考へる。奧羽のネマルは坐る、又は、かがむ、關東のネマルは腹ばふで、石の卷は兩地方の接屬地帶に當つてゐるために、兩方の意味を合せ持つ事となつたのである。

 「准しさを我が宿にしてねまるなり」の句は、芭蕉が羽後の尾花澤でよんだとの事であるから、念のため、羽後の尾花澤の小學校に聞き合せて見た。その返事に「當地ののネマルは坐る意味です」とあつた。

 熊本縣玉名郡南の關町では、賣殘りの品をネマリモンと云ふ。「商品を寢かす」といふ、その「寢かす」を自動詞にすれば、「寢る」となるから、肥後にも、亦、寢る意味のネマルが昔行はれた痕跡である。物が腐る意味のネマルも、やはり、寢る意味から熟す意味となり、轉じて、腐る意味となつたと考へてよいと思ふ。「麹を寢かす」の寢かすは熟させる意味である。



【ねまる】

書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。