橋本進吉「易林本節用集解説」

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橋本進吉「易林本節用集解説」

橋本進吉

日本古典全集節用集大正十五年三月刊

 「節用集」は室町時代に出來、江戸時代を経て明治にいたるまで宏く世に行はれた通俗字書である。江戸初期以前のものに就いて見るに、すべて伊呂波引イロハビキ》であって、伊呂波以下の諸部にわかった上、更に各部を天地(乾坤)時節(時候)以下の門に分って語を收めたもので、言語から文字(漢字)を索める爲の辭書としては最便利な、最適切な體制を有するものである。その著者については、林宗二(林逸とも云ふ。一四九八年「明應七年」――一五八一年「天正九年」壽八十四)とするもの、其他數説あるが、大概信じ難い。ただ建仁寺の僧とする説のみは眞に近さうである。著作年代も亦未詳であるが、室町中期の作らしくおもはれる。その異本は極めて多く、江戸初期以前のものと認められる寫本の我我の目に觸れたものでも二十種を超え、印本天正十九年の堺版をはじめとして、慶長年中にも既に數版を重ね、その後綾續改版せられて普く世間に流布し、遂に「節用集」の名は伊呂波引通俗辭書意味するまでになった。かやうに永く生命を失はなかった書の常として、絶えず改訂増補が行はれた爲、節用集諸本は、寫本も刊本も、全然同一の本と認むべきものは極めて稀であって、大抵多少内容を異にし、中には伊呂波引を改めて分類體としたものや、種種雑多の附録を加へて大に面目を改めたものもある。

 「易林本節用集」は、節用集の中、最早く印行せられたものの一であって、慶長二年(一五九七年)に易林と云ふ者が改訂を施し蹟を加へたものである。易林はどんな人かわからない。小山田與清などは之を朝山意林庵素心としたけれども、素心の年齢から観れば信じ難い。「易林本節用集」には二種あって、下巻最後の丁の跋文の前の餘白に黒地に白字で「洛陽七條寺内平井勝左衛門休與開板」と出版者の名を刻したものと、全く出版者の名の無いものとがあるが、この二種は一見同版のやうに見えるけれども、實はさうで無く、平井休與の名のある方が原刻で、無い方はやや後に出来た復刻のやうにおもはれる。この易林本の最初の出版者平井休與は本願寺准如上人(一五七七年「天正五年」――一六三〇年「寛永七年」)の俗臣だと云ふ事である。

 「易林本節用集」は慶長二年の版とおもはれるが、それより前の印本としては天正十九年堺版の「節用集」(二冊)がある。その最後の一丁以外は、もっと古い時代の刊刻かと自分は疑って居るが、さうで無くとも現存せる最古の刻本で、自分の見聞の及ぶ所では唯二部だけ傳はつてみたが、一部は震火に滅びて今は一部を存するのみである。「饅頭屋本節用集」は刊年未詳であるが、甚古色があって、「易林本」と前後を爭ふものである。これも世に存するもの稀で、たまたま有っても殘缺本が多い。「易林本」はこれ等に比すればやや多いが、それでも今日では容易に手にする事が出來ない。以上の三つが刊本節用集中最古いものであって、室町時代江戸初期の言語文字を研究するには逸し難い資料である。その中、「饅頭屋本」と「天正十九年本」とは系統上やや近いところがあり、「易林本」は別系統に属する。所收の語は「饅頭屋本」最少く、「天正本」之に次ぎ、「易林本」は最多くして研究上益する所が多い。しかのみならず、「易林本」は當時かなり行はれたと共に、その後に刊行せられた多くの「節用集」の根源となったのであるから、直接間接に江戸時代言語文字の上に影響を及ぼしたであらうと考へられるから、その歴史的價値もまた少くないと云ふ事が出來よう。

 猶、「節用集」一般及その諸本については、上田萬年先生と共著の「古本節用集の研究」(大正五年刊、東京帝國大學文科大學紀要第二)にやや委しく説いて置いたから、参照せられたい。

(大正十五年二月二十日橋本進吉記)

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