権田直助

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
最善の説を記録しているものではありません。変な説も記録しています。
書誌として不完全です。
項目の形に規準はほとんどありません*
「検索」ボタンを活用して下さい。 岡島昭浩がやっております。 一部、JSPSの15H01883,18520354などの恩恵を受けております。

権田直助

權田直助 國學者

【號】名越舍

【生歿】文化六年正月、武藏國入間郡毛呂木郷に生れ.明治二十年六月八日相模國大山にて病歿。享年七十九

【墓所】相模國大山町赤松山麓

【閲歴】家は代々醫を業とした。直助は十七歳の時(文政八年)父を失ひ業を繼いだが、十九歳の時(同十年)志を起して江戸に出で、幕府の侍醫野間廣春院について學び.傍ら安積艮齋漢學を受けた。天保元年(二十二歳)郷里へ歸つて醫者になつた。同八年(二十九歳)三月、感ずる所あつて平田篤胤の門に入つて國學を修め、別に眼科・外科・産科等の研究をしてゐた。この間、「神遺方經驗抄」「古醫道経驗略」等醫學に關する著がある。この頃から尊王愛國の志に燃えてゐたが、文久二年(五十四歳)に母が歿したので、斷然志を立て.醫道は門人に委ねて.尊皇討幕のために東奔西走した。

王政復古に及び.明治二年正月、白川神祇伯家の學館を預つて國學を教授し、同年二月刑法官監察使知事に、同年七月大學中博士に任ぜられたが、四年四月故あつて位官返上を命ぜられると同時に職務を免ぜられ、前田侯の邸に一時幽せられた。六年七月縣社阿夫利神社祠官を仰せつけられ、相模國大山町に移住した。爾後神官として漸次昇進し、十七年十月神道本局顧問を命ぜられ、大教正に補せられ、二十年四月には一等學正に補せられた。

明治以後、殊に神官になつてからは神道及び國語學に關する著述が多く.相模の大山に於ては私塾「名越舍」を開いて、國語・國文の講義をした。

著述

國語及び國文に關するもの〕

てにをは品定め 一卷(明治四年夏幽囚せられてゐる時の著で「脚結抄」(別項)に基づいて手爾波を分類して一二の例證を舉げたもの)

詞の經緯圖 一鋪(明治四年成。同七年刊。同八年訂正。同十二年再訂増補)

詞の眞澄鏡 一鋪(明治四年夏成。同七年刊。同八年訂正)

詞の經緯圖 詞の眞澄鏡 解 一卷(明治四年夏成。同七年刊。同八年訂正)

國文學註 二卷(明治十一年成。同十五年刊)

○詞の王緒頭註 七卷(明治六年成)

詞の八衢頭註 二卷(明治十七年成)

詞の通路頭註 三卷(明治十八年成)

○童蒙語學問答 卷一(同上)

語學自在(別項)二卷(同上、刊)

國文句讀考 一卷(明治二十年十月刊)

形状言八衢考 三卷

文典辨疑

體用辭圖解

漢文和讀例

體言分類

用言分類

助辭分類

日本文典辨謬

形状言五種活用圖頭註

○辭格例證

○皇國文規

神道及び雜〕

古傳概略

教書草稿

○魂心氣辨

○靈魂歸着考證

○祭典習禮小言

○葬儀式

○醫道百首

○醫道百種解

○疫門講義

○古醫道經驗略

○くすしの一言

○藥能略

O古醫道脈論

○古醫治則

○古醫道治則講義

○神遺方經驗抄

○刪訂神遺方

○大同類聚方再考

○燈下概言

○温泉日記

○東行日記

○名越廼舍歌文集。

【參考】慶長以来國學者史傳* 逸見仲三郎 〔龜田〕

http://blog.livedoor.jp/bunkengaku/archives/25351991.html

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kensaku/hagayaiti/haga0772.html

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/ko/ko072.html


http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00269468


権田直助翁詳伝

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/781368

PDD図書館獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。

http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm

書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。