柳田国男「モシ/\」

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柳田国男「モシ/\」

柳田国男

柳田国男『毎日の言葉』のうち


 電話のモシ/\は發明でも制定でも無く、ちやうど都合よく我邦に有った言葉を使って居るのですが、今ではもう其意味がわからず、又どうして斯ういふのかを知らぬ人が多くなりました。作り話かも知れませんが、英語電話を掛けるのにif-ifと謂ったといふ逸話も傳はつて居ります。最近まで實際にこの言葉を使って居たのは交番の諸君、普通はオイ/\といふところを、丁寧な巡査だけがモシ/\といひました。それから商店に物を忘れて、出て來るところを喚び返されるときにも、まだ之を聰いた記憶をもつ人が有るでせう。

 このモシ/\は氣のせく際の重ね言葉で、自然に音が短くなり又響きもよいので、十分の效果が擧がるのですが、通例ゆっくりとした場合にはモウシとたゞ一言で、人は振りかへり又は近よって來ました。これはもう都會では耳にする折が無くなって居るかも知れません。以前は東京でも是が標準語で、私の養母などは父に話しかけるときに、始終このモウシを使ひました。それを現在の奥様たちが、アノだのネエアナタなどに變へて居られるのは、流行かは知りませんが言葉から見ると退歩であり、其爲に又ネエの使用が、うるさいほど多くなりました。しかしとにかくに西洋人のやうに、やたらに主人の名を呼ばぬのが、日本では禮儀であったので、ちやうど似合はしい言葉の備はつて居るのも、又一つのこちらの長處であります。

 このモウシの用途は、今でも地方では中々廣うございます。たとへば人の家を訪ねて入口に誰も居ないときに、家の者の注意をひく言葉東京でならばコンチャなどいふ無意味な掛聲、又は御免下さいだのお許しななどゝいふ代りに、元はモウシといふ者が澤山にありました。三重縣の鳥羽の町でもモウシ、山形縣の米澤地方でも、子供は店へ買ひに来て、

  マオス、半紙一帖おくれ

などゝ謂って居り、其他にも並べきれないほど實例があります。頼みますは元來その家の使用人に、取次の勢を頼みたいといふ意味でありました。召仕も無いほどの家では是も虚禮と感じられます。モノモウといふのは武家用の如く、考へて居る人があるかも知れませんが、農民漁民でも正月の年禮だけにはまだ之を使つて居る土地が方々にあり、又は正月四日の寺年始だけに、住職がさう言って來るといふ處もあります。吉野の西奥の山村などでは、人が途中で行き逢って聲を掛けるときには、平日でもモノモ・ドウレを交換して居たといふことを此頃聴きました。このモノモウの意味が既に到らなくなって、正月に戸の口へ來てモノ/\又はモロ/\などゝいふ村さへあるさうですが、起りは「物申す」であり、モウシは即ちその略形であったことは疑ひがありません。今でも土地によるとゴブサタといふ言葉の代りに、久しく物も申しませんで失禮といふやうなことを、謂って居る人があるのです。

 申すは言ふの謙譲語、「私は言ふ」といふ心持から發したものとしますと、どうしてモウスといはずにモウシとなったらうかゞ問題になるでせう。確かなことは私には言ひきれませんが、之は通常の叙述用と區別する必要もあり、又シと結んだ方が強く相手に響きます。即ち訪問の辞令又人を喚び止めるときの用具として、是だけ別にして置くのが便利だつたのでせう。東北では米澤の買物言葉のやうに、まだはっきりとマオスと發音して居る處もあります。同じ山形縣の村山地方でも、子供が蛙を殺してから其上に車前草《おほばこ》の葉を被せ、生き返らせて見るといふ遊びが、他の多くの府縣と共通にありますが、其折の唱へごとが、こゝのは又變って居ります。話の種にそれを掲げて見ますと、

びつきもさ、びつきもさ

なぜ死んだ

ゆべなの粕よて今朝死んだ

賢者どな来たから戸をあけろ

 意味は大よそ解るでせうが、ユベナノカスヨテは昨晩の粕に酔って、ビッキモサのビッキは蛙のことであります。モサは申さんもしくは申さうの訛りで無く、寧ろ「申すは」から變ったのかも知れませんが、とにかく人に向って物をいふ合圖でありました。是が岩手縣の方になると今でも村々ではヂィナムシ、バアナムシといふのが、爺婆に物を言ひかける敬語であります。仙臺の城下でも今は既にすたれて居るでせうが、人を喚ぶ言葉にムシ・モサ・ムサ・モシャ・ムシャの五通りあったといふことが、享保五年の仙臺言葉伊呂波寄の中に見えて居ります。即ち浄瑠璃の「もうし勝頼さま」なども、たゞ其變化の一つの形に過ぎなかったことが考へられるのであります。

 電話のモシ/\がこのモウシから生まれる以前、既に物申すを略してたゞモウシとした時代があったのですが、それはいつ頃の事であったか、ちょっとわかりにくいやうです。しかし言葉はこの通り、世々を経て次第に改まるものであり、しかも基くところ無しには、さう安々と生まれるもので無いことだけは、大よそ御認めになってもまちがひはありません。この變化の中にも今一つ、是まで我々が氣づかずに居たことは、元は物をいふ發端にばかり取添へて居たモウシを、いっとなく文句の末に附ける場合が多くなって來たことで、是も東北地方に行くとかなり劃然とそれが聴かれます。相手の名を喚んで婆なムシなどゝ、後から申すを添へるのが始めだったかも知れませんが、しまひにはどんな物言ひにも之を附け、通例対等の間柄に使ふ言葉に、「申す」さへ添へれば敬語になって居るのであります。たとへば、エがエンシとなれば「よろしうございます」になり、コダがコダンスになれば「斯うであります」、キタがキタンシとなれば「來ました」に取られるのであります。その最終の音が紛りに簡略になり、屡シともスとも聞えるのですが、多くはンシとかンスとか謂ひますから、即ち是も亦「申す」の變化だつたことが到るのであります。

 更に他の一方の端の九州南部に行って見ますと、鹿児島などには数多くのイキモス・シモス等々がありまして、土地の人も是が申すであることを知り、文字には申と書いて居ります。然るに一方にマスがあり、それはマヰラスから出たものだといふ説がありまして、このモスまでもそれから變ったやうに、考へる人が現はれました。是には「私は言ふ」の意味の申すならば、ユクモス・スモスで無ければならぬといふ見方も手傳って居るでせうが、是くらゐの言ひかへは永いうちには起るのです。現に標準語でも御知らせ申す・御話申しますなどゝ續けて居り、それを改良して此頃は御見せ致しますだの御見せしますなどにもなって居るのです。今日の敬語のマスなども、本來がマヰラスだけからとは決していへません。久しくこの文句のしまひの申すを使って居りますうちに、つまりは雙方からの影響を半半に受けたのであります。

 それから今一つ、喚びかけのモウシをあまり使はない地方でも、相手に念を押す場合のナアやノウには、よくこのモウシを附けて、さうして相手の人の顔を見ます。あまり頻繁に使ふので耳に立ち都會人にはきらはれ、今では新たなノウアンタ、又はネェアナタに變へてしまひましたが、この方は近頃のことゝ見えて文献には一向見えません。ノンシやナンシを自分の郷里だけの癖だと思って居た人が、屡東京では鉢合せをして居ますが、是も滋賀縣の東南部などのやうに、今以てはっきりとナーモシと謂って居る處があるのです。大阪の女の人たちのユクシ・イヤヽシといふ終りのシなども、或は亦東北のアノス・行クスの「ス」と共に、古くからあった物申すの最後の残形であるのかも知れません。言葉がいひそこなひだ、まちがひだと知る爲には、先づ他ではどうだらうかを、大よそは比べて見なければなりません。縁も交通も無い國の端々が、五個所も七個所も同じまちがひをして居たといふことは先づ無いことです。今日はまだ誰も説明し得る人が無くとも、何かさう變らねばならぬ原因が、國語そのものゝ中に有ったと見るべきであります。

書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。