柳田国男「コソ/\話」

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柳田国男「コソ/\話」

柳田国男

柳田国男『毎日の言葉』のうち。

柳田国男「モシ/\」から続く


 モウシが公然と、誰に聴かれてもよい言葉の前觸れであるに對して、あまり聴かせたくない所謂ナイショ話のことを、「こそ/\話」といふのはどういふわけであらうか。それはわかりきって居る。こそ/\と話をするからだ、といふ人があるかも知れませんが、その低い話し聲を、どうして又コソ/\と形容し始めたかゞ、實はやつばり不審なのであります。有名な芭蕉翁の俳諧の中に、

   こそ/\と草鞋を作る月夜ざし

といふ句もありますが、是は藁などの軽く擦れる音から出たもので、ちやうど落葉の中をあるく音を、がさ/\と形容するのも似て居ります。人が耳のそばで何かいふ時には、そんな聲は出さないと思ひます。多分は今一つ、別に此方には理由があったのを、後だん/\と融合してしまって、コッソリといふ様な副詞も生まれ、又はコソ/\泥棒、略してコソドロなどゝいふ新語も出来たものでせう。斯んなつまらぬたった一つの言葉でも、氣をつけて見るとやはり面白い歴史が附いて居ります。古い文學では、私語はサヽメコト、又はサヽヤキと謂って居ります。地方にはそれがまだ残って居て、たとへば九州の北部は今でも一般にソヽメキバナシといひ、ソヽメクといふのが其動詞であります。中部地方でも福井市の附近ではソヽヤク、丹波でも元はソヽカフと謂って居りました。私の想像では、サ行即ちSの子音が、どんなに低くても耳につきやすいところから、人が斯ういふ言葉を作り出したので、ソシルといふ動詞なども、やはり最初はS音を氣にする者が、言ひ始めたものと思ひます。コソ/\話の方も同じ系統と言ふことは出來ますが、是にはなほ一つ、新しい心持が加はつて居るやうです。即ち單なるサとかソとかの音が耳立つといふ以上に、特にコソといふ「てにをは」が盛んに使はれる物言ひといふ意味で、いさゝか皆様には御迷惑かも知れませんが、どうも私には御婦人の責任のやうに感じられます。これ迄の国文法の先生たちは、コソもゾも同じ價値、たゞ偶然の使ひわけのやうに教へて居ますけれども、この二つのものは大分感じがちがひ、又口にする人の種類もちがひます。中古に女流文學が流行してから、コソの用法が急に發達した如く、今でも氣をつけて居ると男の人はあまり使はず、又使ふとやゝめゝしくも聰えます。之に反して女性は小さなことにも力を入れて、それこそ、私こそ等を連發しようとします。しかも遠慮がちに小さな聲で、人の顔を遠目に見ながら、何かといふとこの「こそ」を使ふのですから、つまりはコソ/\話の専門家といふことになるので、少なくともこの一つの戲語を考案したのは、それを皮肉つた男たちの所行にちがひありません。地方の類例を比べて見ますと、滋賀縣の東部では私語をモノクソと謂ひ、徳島縣の北部ではモノコソイフといふのがさゝやくことであります。モノは即ち言語ですから、真下に附けたコソは「竊かに」の意味で無く、寧ろそのコソをよく聰く時の感じに近づけんが爲に、わざとコソ/\と二つ重ねたものかも知れません。斯ういふいたづらは男は中々上手です。たとへば山形縣の一部では、女が告げ口をするのを「梨賣る」といふ隠語があります。あの地方の若い女たちは、何か力を入れて物を言ふときに、句の終りにナシといふ語を添へます。それを知って居る人なら、この複合動詞はよくわかり且つ面白いのです。コソ/\話の意味もそれと同様に、いやにコソばかりを耳立たせる話といふことで、それも今日となってはもう過去の遺物であります。前に掲げたモノコソイフの地方には、又ミヽコソといふ語もあります。是をきくと氣がつくのは、東京などでもまだ行はれて居るミヽコスリ、又はアテコスリといふ言葉で、是なども少しも「こする」といふ動作とは伴なはぬのだから、やはりコソ/\話のコソを、動詞にこしらへたのかといふことが考へられます。昔の人は言葉動詞にする技能を、今よりも遙かに多く具へて居りました。たとへば彩色からサイシク、料理からリョウルといふ動詞を作り、決して哲學するだの科學するだのといふやうな、下手なことは言ひませんでした。昔の人ならば、或はテツガカン、クヮガカバヤと謂ったかも知れぬのです。

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