松帆浦物語

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
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松帆浦物語

http://uwazura.seesaa.net/article/45777989.html 国文大観


松帆浦物語

遠からぬ世の事にや侍りけむ、四條わたりに、中納言にて右衞門のかみかけたる人なむおはしましける。中將殿とて御子ひとりありて、さうざうしくおぼしけるに、ありありてちご出でき給ひにける。おひさき見えてかたちいとうつくしく物し給ひければ、かぎりなくかしづき給ふほどに、父の卿ははかなくなり給ひぬ。たづきなきやうにておはしましけるに、中將の君らうたき物にして、十ばかりまでぞ有りける。そのうち横河に禅師の房とて、此のをぢになむおはしける。中將に申し給ふ、「このわか君、いたづらにおひ出で給はむよりは山にのぼせて物ならはし給へかし」などよりよりすゝめ申されしかば、横川へぞのぼせられける。大かたの學文にも和歌の道にも心をいれて、筆とる事もたどだどしからす、はかなきすさみごともつぎつぎしく、心ざま人にすぐれたりしかば、一山のもてあそび、ちご童子もむつましきことにおもひしほどに、三年ばかり此の山に送りけるになむ。かゝれば此の母君久しくみぬはかなしとて、折々里へよばせけるに争あるとき禪師申されけるは、「がくもんのかたもさとくかしこき人なり。法師になして父の御跡をもとはせ給へかし」などねんごろにかたらひ申し給へば、「あたらかたちを墨の袖にやつさむも情なく、八重たつ雲にまじりなむも心ぐるし」などのたまひて、うちとけたる答もし給はねばちからなし。かくて後はあやふくや思はれけむ、京にすませむことを中將にも申し給ふに、つれづれのなぐさめにもとや思はれけむ。おなじ心にのたまへば、禪師もいかゞせむとて、なくなく京へぞおくりける。此のちごもよ河にすみつき給ひければ、きびしかりし山水にも名殘多く、あそび伴ひしちごわらはにもはなるゝことなむかなしかりける。みな京ちかきわたりまで送りきてぞなごりをしみける。さて禪師立ち歸りて、とし月手習などして、すみ給ひし所を引きあけて見給へば、いとうつくしき手して障子に書き付けらる、

 「こゝのへにたち歸るとも年をへてなれし深山の月は忘れじ」。これを見て禪師の君よりはじめて、みななきにけり。かくて後は元服して藤侍從とぞ申しける。あげおとりもせず、いよいよ目おどろくばかりのかたちにて物し給ひける。十四になり給ひし春の頃かとよ、もと立ちなれし横川の法師、又京にも優なるをのこあまた來あひて、「北山のさくらいまなむさかりなるよし人申すなり。侍從のきみ見給へかし。伴ひ奉らむ」とくちぐちいへば、深山がくれの色香もことにゆかしき心ちして、俄に思ひたちぬ。道のほども人めつゝましければ、わざとやつしてぞおはしける。わかきどち駒なめてみちすがらながめわたせば、遠き山のはそこはかとなく霞みつゝ、野邊のけしき青みわたり、芝生の中に名もしらぬ花ども、すみれにまじり色々さきて、雲ゐの雲雀姿も見えすさへづりあひたるさまども、いはむかたなし。心ざす山はやゝ深くいる所にて、水のながれ岩のたゝずまひも、うつし繪をみるやうになむおぼえける。うち吹く風にそことなくにほひくるに、人々心あくがれていそぎのぼりつゝみれば、數しらぬ花ども枝もたわむまで開きつゝ、今日こずばと見えたり。山がくれともいはず、都のかたの人と見えてあまたつどひきて、木の本岩がくれの苔にむれゐつゝ、歌よみ酒のみてあそびなどさまざまにぞ見えし。侍從のきみは花にながめいりてゐ給へるに、花よりもこの君に目とゞめたる人あまたありて、したがひありくも物むつかしくおぼえければ、花にはうとからで引き入りたる所もがなと、ねがひもとめつゝゆくに、本堂のかたはらに、院家にやあらむ、ひはだの軒くち忍草所えがほにて、やれたるみすかけたるあり。此のつれたる人のなかにしるたよりありて、こゝにしばしのやどりをかまへたり。たんざくとり出しうち吟じなどしけり。京よりもたせたる、ひわりご、さゝえやうのもの、旅のまかなひはかなくしつゝあそぶに、花の本にてはじめより侍從の君に心をとゞめて見えたる法師、さまかたちよろしき三十ばかりなるありて、此のみすのもとまでしたひきて、花には心をとゞめずして、このきみのおも影にながめ入りたるなりけり。猶みすの内へもかけりこまほしきさまのものむつかしければ、つれたるをのこをいだしていはせけるは、「人にしのぶゆゑありて、かく隱家求めたり。らうさきなり」などあらあらしくさへせいしければ、ちからなきさまにていでぬ。しばしありて十二三ばかりのわらはの美くしくさうぞくなどしたるが、ちひきき花の枝にむすび付けたる物を、あないもいはす、みすのうちへさし入れぬ。取りてみれば、

 「夕がすみ立ち隔つとも花の陰さらぬ心をいとひやはする」と清げなる手して書きたり。「返しし給へ」と此の君にすゝむれど、「はづかし」などいひて、かたはらの人にゆづるを、「情なし」などいひすゝむれば、

 「花に移るながめをおきてたが方にさらぬ心の程をわくらむ」とほのかに書きていだし給へり。これを見てかぎりなくうれしく涙もこぼれ出でにけり。さて此の法師の向後を使にとひければ、ふかくかくしけるをさまざまいはれて、わらはなれば「岩倉のなにがしの坊に、宰相の君といふ人にておはします」といふ。さてこの宰相、おもひのみをしるべにて、尋ねよらむとぞおもひける。さて人々その夜はとゞまりぬ。この院の花ことにおもしろし。紅白枝をまじへたり。半醉半醒すれば、げにあそぶ事三日も事たるまじうおぼえぬれど、京よりむかへの人あまた來ぬれば、かへりみがちにていでぬ。さてかの宰相は、花の本にてみし面影身にそひて、命もたふまじきほどになむ成りにける。ある時たよりをもとめてせうそこしける、「すぎにしをりの花の本にて、みずもあらぬながめより、まだ目にかへりこぬたましひは、いつまで袖の中に留めさせ給はむ。有りしばかりのついでも、又いつかは」などこまやかにかきて、

 「花のひもとくるけしきは見えずとも一夜はゆるせ木の本の山」。返し、

 「木の本を尋ねとふとも數ならぬかきねの花に心とめじな」。かゝることをたよりにて夜な夜なかどにたゝずみ愁苦呻吟しけるを、やうやう哀とや思ひけむ、心とけゆくけしきなれば、しばしば罷りかよひつゝ、後にぞ岩倉なる坊へもともなひなどして、なきゆくまゝに心へだてす。この宰相さはる事などありて、一二日見えぬをりは、あやしう心ぼそきまでなむつれける。さてこのわか君をおもひかけたるλ、こなたかなたより、花につけ紅葉にむすびたるたまづさ、むつかしきまでぞつどひきにける。されど返しよきほどにうちしつゝ、この宰相にわくる心もなくて、三年ばかりも馴れにけり。さてその頃世を御こゝろのまゝにをさめ給ひし、おほきおとゞの御子左大將殿の御まへにて、夏の雨しづかにふりて日ながき頃、、世にあることうちとけつゝ、人々申しけるついでに、此の侍從のかたち心ざま、たぐひ稀なるよし申し出でしかば、心うごかせ給ひて、御せうそこ度々あり。宰相出であひて申しけるは、「仰ごとなむかたじけなく侍り。まゐらまほしきを、此のごろみだりごゝちにわづらひてふしくらし侍り。いさゝかもよろしきひまあらばまゐりなむ。よき樣に申させ給へ」とありしかば、しかじかのよし申す。五六日ありて又御つかひあり。此の度は御文あり。「吹く風のめにみぬとかやのふるごとも、思ひしられぬる心はわき給ふにや。ねぬなはのくるしきよしもおぼつかなく、五月雨のはれまは、心ちもすゞしくなり給ふならむ。おもひ立ち給へかし」などありて、

 「ほとゝぎす恨みやすらむ待つことをきみにうつせる五月雨の頃」などあり。御返し、

 「五月雨の晴まもあらばきみがあたりなどとはざらむ山時鳥」と聞きて、猶心ちわづらはしきさま、幾度も宰相申して、こもりゐさせたり。、さてつれづれとこもりをらむもいかゞとて、ある時忍びて此の侍從をともなひつゝ、岩くらへ行きしを、かのとのゝ人よくみて、御まへにてしか。かのよしありのまゝに申しければ、「ひごろのみだりごゝちはあらざりし事なりしとていからせ給ふに、「宰相法師が所行なり。にくし」など異口同昔に申し侍りしかば、やがて御使あり。「わづらひ給ふどありしはみないつはりなりけり。忍ぴありきし給ふなるは、かろしめらるゝなるべし」などうらみ給ひて、兄の中將にしかじかのよしねんごろにのたまひしかば、宰相にもいはず、さうぞくひきつくろひ、おなじ車にてぞまゐりける。御門さし入るより玉かゞやきまばゆきまでぞおぼえける。人見えぬかたにてたいめんし給ふ。ともしびほのかに、空だきものくゆりいでゝいとえんなり。此の人のまだかたなりなりし頃、殿上などにてほのみ給ひしこゝちせしは、ことの數にもあらす。まほにも見まほしくおぼえ給へどはぢらひたるさまなれば、心もとなくおぼすほどに、やがて御心とまりて、心につくべきあそぴをし給ひつゝ、かたときさらずあひかたらひたまひける。御心ざしのちかまさりはそふぺけれども、たゞかの宰相のことなむ心にはなるゝ折なく、めでたき御けしきもうれしからず。こゝろのかよひけるにや、つねには夢にぞ見えぬる。さて大將殿、此の法師を深くにくしとおもほせば、ちかき世界に徘徊させじと怒り給ふをもしらで、思ひのもよほしけるにや、猶此の殿のあたりうかゞひありきけるを、口さがなきものゝ御まへにて、さまざま申しければ、あはぢの國へぞおひやらせ給ひける。これを聞くにも侍從はたへがたく、われゆゑとがなき人のうきめをみるらむもかなしく,かの島の浪風をもともにきかばやとぞなげかれける。たがひに一くだりのせうそこもたぶべきやうなければおぼつかなし。かの宰相都をわかるゝとて、いかなるたよりをかもとめけむ、文書きておこせたり。忽びて見ればかきつけたることの葉おほし。

 「ながれ木と身はなりぬとも涙川君によるせの有る世なりせば」。そこはかとなく書きたり。かゝりければこの大將殿の御心もうらめしく、情おくれておもへば、うちとけ奉る事もなし。はてはてはなやましくて玉樓展簟の清風も心につかずすさまじく、ひたぶるにながめがちにておとろへゆけば、かの人を思ふゆゑとはしらせ給はで、物のけにやとて祈りなどせさせ給へどしるしあるべきならねば、おなじさまにわづらひて、よわるやうにものせられしかば、母ぎみかなしみて、さまざま申してまかでさせ侍りぬ。さてかの岩倉にとまりゐたる伊與といふ法師を、忍ぴによぴとりつゝ、床近くさぶらはせて、「宰相の我が身ゆゑとほき島へと聞き給ふれば、かなしくてかく心ちもわづらふなり。そこにいかにまろをうらめしくお思ひ給ふらむ」と涙にむせびつゝのたまへば、聞く心ちいはむかたなくかなしくて、「かくおもはせ給ふこそ世にたぐひなく侍れ。なにかはうらみ奉るべき」などいひり、夜も更け行くに、猶枕のもとに引きよせ、さゝやき給ふやうは、「いかにもして宰相のゐたまへるしまへ、忍びて我をいざなひ給へ。聞えありてつみにあたり侍らば、もろともにその島にて送らむこそねがひかなふ心ちはせめ」とのたまへば、「あはれにかたじけなくはおもひ侍れど、まことにいとけなくおはします御心にてこそかくはのたまへ。かの淡路へわたらせ給ひたらば、かくれも侍らじ。やがて大將どの聞かせ給はゞ猶にくしとてこれよりまさるつみにもあたり侍るべし。御心ざしあらば文かきて給へ。いかにも忍びてもちて罷らむ」といふに、猶同じさまにうち歎きつゝのたまへば、あはれにもふしぎにもおぼえて、つくづくと案じゐたるが、思ふやう、この宰相にわれもおくれて心ならぬ世にながらふるもほいなし。またこの人のかくのたまふもいなみがたし、もとよりをしからぬ身なれば、世に聞えありともいかゞせむ、さらばともなひて、今一たびたいめんせさせ奉らむとおもふ心あり。さてこの法師申し侍るやう、「わが君をたばかり申すべきやうあり。大將殿へも御母うへにも、文書きおかせ給へ。罪なき人を我ゆゑ遠き國へつかはされたる恨めしさ、とにもかくにも世に心もとまり給はれば、身をなげ給ひたるよし申させ給へ。ゆゝしき事なれども、さも侍らばたゞされも侍らじ」などやうだいつきづきしく申せば、嬉しくおほせど、又うち返し「母の歎き給ひて、心ちもわづらひ給はゞいかゞせむなどこれのみぞかなしき」とのたまへば、「それは後に忍ぴて御心ひとつしらせ給はゞ、慰め給ふぺし」などいへば、げにもとおもひつゝ、嬉しかりけり。大将殿よりは、だえずおぼつかながらせ給へど、おなじさまなるこゝちのよし聞えてすぎゆく程に長月にもなりぬ。いとゞ物心ぼそく、ともすれば露にあらそふ涙ふりおつ。ある時中將殿も物まうでし給ひ、人すくなゝる折、忍びて岩倉の伊與法師をめしに遣はしたれば、心をえて、夜にまぎれて來たり。かねて契り定め給ひしやうに、文書きおき物とりしたゝめなどしつゝ、ねたるやうにぞ忍び出で給ひける。此の法師かひがひしきものにて、事とゝのへ乘り物などかまへて、あけぬほどに山崎までぞ來たりける。こゝにしばしやすめて、「常の旅人の行きかふ道は人見とがめぬぺし」とて、あらぬかたの山路にかゝれば、白雲跡をうづみ、青嵐道をす丶めつゝ、行くほどに、此の若君習はぬ旅にいけるこゝちもせで、すまの浦につきぬ。名ある所なれば、海上の月もながめまほしけれど、「人もこそ見とがむれ」など、伊與法師せいしければ、心ならず衣かたしきてねたまひたれど、聞きならはぬ浪の音おどろおどろしく枕に近し。源氏の大將の「心づくしの秋風に」とのたまひしも思ひ知られて、

 「萩風に心づくしの我が穂やむかしにごゆる須磨の浦浪」と獨ごちてすこしうちまどろみたる夢に、此の宰相あさましげにおとろへて、「かく尋ねおはしましたるうれしさは、この世ならでもなどか」などさめざめとなきて、

 「磯枕心づくしのかなしさに波路わけつゝわれも來にけり」といふともなきに「たゞ今淡路へわたる舟なむある」といふ聲に驚きぬ。あはれと思へど、物さわがしければ、出で立ちつゝ舟に乗らむとてしばし汀にやすらふほどに、曉近き月浪の上にすみ渡りて心ぼそし。東船西船つなぎ置きたるにも唯見江心秋月白と樂天の詠ぜしも、かゝるにやとおぼえたり。こぎ行くほどに、岩屋といふ浦につきぬ。まことや都には、侍從の身をなげだる聞えありければ、大將殿あわて騒ぎ給ひつゝ「やうなきすさみわざして人のかたきをもおひ、又あたらさましたる人をも失ひけるよ」と悲み給ひける。世の人もこの殿をよろしとも申さず。母うへは、此の書きおき給ひたる文をかほに引きあてゝ、そのまゝおきもあがり給はず。中將たゞ御子のやうにかしづき給ひしかひもなく見なし給へば、をしうかなしうぞおぼしける。さていはやにとまり給ひて、かの人のあるところはやくとはまはしけれども、つゝましく、あないもしらではいかゞなどためらふ。松ほの浦とやらむにわたらせ給ふよし京にて聞きしかば、まづそのうらを尋ぬるに、繪島が磯のむかひなるよし申すを、若君聞き給ひて、京極中納言の、「やくやもしほの」とながめ給ひしも、此の浦のことにや、身のこがれぬるもことわりぞかしとおもふ。さてその日はこの浦を尋ねて、こゝかしこにやすみつゝ、暮るゝほどに、しぐれあらあらしくふりて、浪の音たかし。海士の家ゐのみにて、いづくをはかりともおぼえぬに、灯のひかりほのかにみゆ。それどしるべにてゆけば、板ぶきの堂あり。「海人の蓬屋にやどらむよりはこゝにこそ」などいひて尋ねよるに、かたはらに小庵あり。立ちよりて見れば、松の葉ふすべて、老僧ひとりむかひゐたるなるぺし。「あない申さむ」といへば、からぴたる聲にて「たぞ」といふ。「これは津の國の方のものなり。四國へわたらむとするに、たよりの舟におくれてまどひ侍るなり。この御堂のかたはらに雨やどりせまほしく侍るな。」などいへば、あやしくやおぼえけむ、たち出でゝ灯明の光に見るに、やつしたれど此の若君をたゞならずや見けむ、「あないとほし」などいひて、庭の内へよぴいれぬ。あはれげにすみなしたり。達摩大師の畫像一幅かけて助老蒲團麻の衾ばかりうちおきたり。暫し物語などしつゝ、かの人の向後とはまほしけれどうちつけなればうちいでず。この若君をつくづくとみて、「怪し。都がたの人にてぞおはすらむ。我むかし都のものなり。はたちばかりの年、人をあやまつ事ありて京にも住みかね侍りしかば、やがてもとゞり切りて、江湖山林にうかれありきつゝ年經侍りけるに、いかなるえにしにか、かゝる漁屋のとなりをしめ、紫鴛白鴎を友としつゝ、三十餘年送り侍りぬる」などかたるもあはれなれば、それをたよりにて、此のながされ人のことをとひければ、「あの松帆の浦にさる人侍りし。この夏むろより此の島へうつり給ひしなり」といふ。「くはしくかたり給へ。聞かまほしきゆゑあり」といへば、「まつほの浦よりこの庵までは常にわたり給ひつゝ、みやこの戀しきなど語り給ひけるが、殿上人の御こととて、明暮戀ひなき給うて、心におもふことをば隔て殘さず語り給ひしなり。そのおもひにや侍りけむ、心ちわづらひ給ひしが、日日におもひ給ひて、この庵へもわたり給はず、つきそひ侍る人も見えねば、あはれに見侍りて日をへだてずまかりあつかひしほどに、つひになくなり給ひぬ。今日七日になむなり給ふ。煙になし侍る事も此の僧し侍りし」とかたるに、きくこゝちものもおぼえず、うつぶし臥して泣きこがれぬ。この僧「いかにいかに、さてはゆかりにてこそおはすらめ」などいひて、我もうちなきけり。やゝありて伊豫法師申しける、「今まではつゝみ侍れども、かの人はや失せ給ひぬる上は、世にはゞかりもなし。これこそ戀ひなき給ひしとのたまふ殿上人よ。かくあやしき山賤になし奉るも道のほどの人めをおもふゆゑなり。さるにてもしかあつかひ給ひて後のことなどまでしたゝめ給ひける御心ざし、ことの葉たるまじ」などいふ。老僧いひけるは、「かの人いまはのとぢめに、心ざしのほど有りがたしとの給ひて、ちひさき法花經念珠などたまはせける」とて取りいでゝみす。平生手なれ給ひしものどもなれば、いよいよ目もくるゝばかりなり。又卷き固めてこまかにしたゝめたる文の上に、「四條殿へ」とて青侍の名かきたるあり。「これも今はのきはに、よきたよりあらば、しかじか尋ね奉れとのたまひし」といふ。「此の文こそ此の御かたへなれ」といへば、「あな嬉し。さらばたしかに奉り侍る」といふとき、開きてみるに、岩倉の人々侍從の君のかたへなるぺし。都を出でしより此の島に住みしありさま、今はのきは近きさまなど書きあつめたる鳥のあとのやうに見ゆ。

 「くやしきはやがてきゆべきうき身ともしらぬ別れの道芝の露」などやうにぞ侍りける。ありし夜かのすまにての夢も、今は思ひあはせられていとゞ哀なり。つとめて此の僧をしるぺにて、松ほの浦へゆきてまづ此のほど住み給ひし庵のさまをみれば、あさましげによろぼひかたぶきて、松のはしら竹の垣もみなくち行くさまなり。いかでこゝに月日をすぐしたまひけむと思ふも悲し。さてすこし隔たりて松の一むらある所におろそかなる塚あり。しるしの松一もとうゑたるを、「これにぞ侍る」と申せば、たちよりまろぴふしてぞ伊豫法師もなきける。かの王褒が柏樹ならねども、これも涙に枯れやしなましとぞ覺えける。やゝためらひて、此のしるしの木に、若君かきつけ給ひける、

 「おくれじの心もしらで程とほく苔の下にや我をまつらむ」とてやがてこの海に身をなげ給はむとするを、伊與法師とりとめ奉りて申しけるは、「宰相の事いまはいふかひなし。御心ざし侍らば跡をとはせ給へ。御身を失はせ給はゞ罪をこそおほせ給はめ。又御母上の御歎き淺かるぺしやは」などさまざま申しければ、力なくてほいもとげ給はず。「さらばさまをだにかへむ」とのたまふ。「それもあたら御身なりしとせいしけれども、しひて身もなげつべきさまのし給へば、今年十六に成り給ふかたちは、つぼめる花、山のは出づる月のさまし給へる、御ぐしをなくなくそり落して墨の衣にやつしぬるもゆめのやうなり。うらめしきものは此の世なりけりとぞ覺ゆる。伊與法師も墨の袖いとゞ色ふかくなしつゝ、ともなひ奉りて高野山のかたへや行きけむ。後はしらずかし。

書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。