東久世通禧

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
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東久世通禧

http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00144677

ヒガシクゼ ミチトミ 東久世通禧  勤王家、七卿の一、東久世通徳の子、天保四年に生る幼名保丸、夙く父を央ひ母の教養を受く九歳にして宮中に出仕し餘暇を以て書を讀む数年間概ね禁中の藏書を讀破せりと云ふ安政文久の際同志の少壮公卿と尊王討幕論を主唱し国事に奔走し之が爲めに幕府の嫌忌を蒙る文久三年八月三條實美等と共に七人京師を脱して長州に入り後筑前に抵り太宰府に流寓する事五年明治元年官軍東征に當り参謀として嘉彰親王に從ひ功あり賞典緑千石を賜はる後神奈川縣知事と爲り尋で開拓長官に進み侍從長に轉ず十年元老院議官に遷り幹事を経て副議長に進む二十一年枢密顧問官に轉じ二十三年始めて帝國議會の開かるるや貴族院副議長たり幾くも無くして枢密院副議長に任ぜらる伯爵に叙し從一位勲一等に至る通禧身を公卿に起して三世に歴仕し能く忠誠を竭す議場整理の術に長じ久しく衆顧問官の畏敬する所と爲る性多能にして詩歌文章を善くし兼ねて書畫に長ず人の之を乞ふものあれば揮毫を惜まず竹亭の書は到る虎に稱揚せらる竹亭は即ち其の雅號なり晩年舌癌を患ひ截開手術を加ふること数回四十五年二月一日東京に薨ず年八十、天皇震悼侍臣をして誄語を傳へしむ曰く皇圖を維新に策して流離艱に處し邊陬の重寄に任じて開拓基を創む献替局に當りて樞府に副と爲り歯勲倶に崇く徳望竝びに茂し忽ち凶聞に接して悼み宸襟に切なり宜しく賻を賜ひて以て弔慰すべしと祭粢料五千圓を賜ふまた天皇皇后より侍臣を以て物を賜ふ越えて一月七日目黒長泉寺に葬る

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/hi/hi002.html

PDD図書館獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。
http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm

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