村士玉水

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
最善の説を記録しているものではありません。変な説も記録しています。
書誌として不完全です。
項目の形に規準はほとんどありません*
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村士玉水

http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00271008

 スグリ ギヨクスヰ 村士玉水  儒者、名は宗草、通稱行藏、一に一齋と號す。父淡齋*1江戸の人にて備後福山侯の儒官となり山崎氏の學を修む。玉水江戸に居り徂徠學盛行に於て濁り道學を唱へ以て浮華の風を矯正し程朱の學に於て究めざる所なく其の徒の書に於て讀まざるなし。最も性理の學に深く廉ねて禮書と兵學とに精通し其の兵學は長沼流の秘奥を究め殊に實地の應用に於て経験鍛錬至らざるなし。玉水大志あり蓋し王佐の才を以て自ら任ず。故に幕府及び諸侯に仕へず。自ら玉水處士と號す。其の門人には寛政の學制革新に参與し麹溪書院の學組となりたる服部栗齋、程朱の學を精究して之を濟世治國の術に應用し邊鄙治め難きの地に代官となりて大に政績を擧げ人民より生きながら神明の如く尊崇せられたる岡田寒泉等あり。玉水著はす所、李退溪書抄、一齋雄言、一齋経説稿、王水文草、二禮儀略、等十餘部其の大牛は兵書にして岡田寒泉を經て伊勢崎藩老長尾景範?に傳ふ。玉水安永五年正月四日歿す年四十四、駒込竹町大圓寺に葬る(日本及日本人義民號)

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/su/su021.html

ギヨクスヰ 玉水(村士) 福山侯の儒官。淡齋の子。名は宗章、通稱行藏。山岡雪樓に從學して山崎氏の學を祖述す。自ら正大有用の學と稱し、性理を主唱す。安永五年正月四日歿す。年四十四。或は四十八。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kensaku/hagayaiti/haga0190.html
書籍からの画像で注記のないものは、著者の著作権が切れ、刊行後五十年以上経っているものである筈です。