斎藤茂吉「三筋町界隈」

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
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斎藤茂吉「三筋町界隈」

斎藤茂吉

 私が東京に來て、連れて來た父がまだ家郷に歸らぬうちから、私は東京語の幾つかを教はつた。醤油のことをムラサキといふ。餅のことをオカチンといふ。雪隱《せつちん》のことをババカリといふ。さういふことを私は素直に受納れて今後東京辯を心掛けようと努めたのであつた。

 私が開成中學校に入學して、その時の漢文日本外史であつたから、當てられると私は苦もなく讀んで除ける。日本外史などは既に郷里で一とほり讀んで來てゐるから、ほかの生徒が難澁してゐるのを見ると寧ろをかしいくらゐであつた。然るに私が日本外史を讀むと皆で一度に笑ふ。先生は磯部武者五郎といふ先生であつたがお腹をかかへて笑ふ。私は何のために笑はれるかちつとも分からぬが、これは私の素讀抑揚頓挫ないモノトーンなものに加ふるに餘り早過ぎて分からぬといふためであつた。爾來四十年いくら東京辯にならうとしても東京辯になり得ず、鼻にかかるずうずう辯で私の生は終はることになる。

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130373/42
書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。