岡島冠山

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
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岡島冠山

クワンザン冠山(岡島)儒。名は璞、字は援之、後玉成と改む。岡太夫と稱す。長崎の人。始め譯士たり。稗史に通ず。享保十三年正月二日歿。年五十五。著、唐話纂要唐譯便覧雅俗類語、華音唐詩選?、通俗水滸傳?、小説讀法?等。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kensaku/hagayaiti/haga0253.html

  ヲカジマ クワンザン 岡島冠山 儒者、名は璞、字は援之、後玉成と改む、冠山はその號、彌太夫と稱す、長崎の人、延寳二年生る。始め譯士を以て萩侯に仕ふ。自ら賎役たるを慙ぢ辭して家居し專ら性理の學を修む。遂に此を以て西海に鳴る。嘗て足利侯戸田忠圃?の聘に應じて江戸に來る。幾くもなく致仕して大阪に至り講説して業とす。又江戸に至リ或は京都に移る。至る所其の華音に精しきを以て從遊するもの衆し。冠山始め稗史小説の學を世に唱へ其説を詳明せり。始めて羅漢中水滸傳校定し國譯を施して世に行ふ。然るに刻成るを見ずして歿す。此學の世に行はれしは冠山に負ふ虜大なり。物徂徠冠山と友とし善し。徂徠象胥冠山に受く。稗史を讀み未だ理會ぜざる所ある毎に必す之を冠山に問へり。享保十三年正月二日京都に歿す。年五十五、冠山の學は宋學を主とせしと雖も必ずしも拘泥せず。曾て曰く宋學は天を知りて人を知らず頗る老荘に類す近時宋學を攻撃するの徒は人を知りて天を知らず稍申韓に近しと。其経史を講ずるや大に他と異なり例を現時目撃する處の事物に取りて煩冗を避け簡單に之を説明せしと云ふ。著す所唐話纂要唐譯便覧雅俗類語唐語便用字海便覧、華音唐詩選?、尺牘便覧?、通俗水滸傳?、通俗元明軍記?、通俗明清軍談?、小説讀法?等あり(先哲叢談諸家人物志、日本近世學者小傳?)

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/O/o012.html

 ◎岡島璞は彌太夫と稱し、援之と字す。後に玉成と改め、號を冠山といへり。長崎の人にして、萩侯足利侯等に仕へ、又京阪の間に性理學を講す。物徂徠と親交す。著書には字海便覧雅俗類語唐譯便覧唐語便用唐話纂要華音唐詩選尺牘便覧通俗水滸傳通俗元明軍記通俗明清軍談小説讀法等あり。享保十三年戊申〔二三八八〕正月二日、京都に歿す、年五十五。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/kokusyokaidai/s2/kokusyo_si017.html

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941611/137

書籍からの画像で注記のないものは、著者の著作権が切れ、刊行後五十年以上経っているものである筈です。