富樫広蔭

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
最善の説を記録しているものではありません。変な説も記録しています。
書誌として不完全です。
項目の形に規準はほとんどありません*
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富樫広蔭

ヒロカゲ 廣蔭(富樫)國學者本居春庭の門、紀伊和歌山の人。伊勢桑名に住す。又鬼島氏と稱す。明治六年八月二十四日歿す。年八十一。古事記音義解、萬葉集譯解、五十音義等の著あり。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/kensaku/hagayaiti/haga0874.html

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トガシ ヒロカゲ 富樫廣蔭  國學者、紀州和歌山の人井手某の次男、言幸舎と號し晩年塊老(つちくれのおぢ)と云へり幼より學を好み初め花の屋炭足と云ひて俳諧を詠みしが後大に感する處あり本居大平の門に入りて國學を修め日夜研究して怠らす學業大に進む大平共の才學を愛して終に養子となし家學を繼がしめ姓名な本居庄右衛門長平と稱しまた影友と改めしむ後伊勢松坂なる本居春庭の許に行き其の教を受けたりしが一族の入の渤めにより本居氏を返して曾祖母の家の絶えたるを繼ぎ富樫氏を稱し名を廣蔭と改め依然として松坂に在りて後の鈴の屋に寓し神典歌書及び語學の書等を講究して大に得る處あり是より諸國を遊歴して教授せしかば學徒大に加はる後伊勢桑名なる桑名、中臣兩神社の祠官を兼ね鬼島氏を繼ぎ鬼島土佐守と稱し從五位下に叙せらる後家を子廣睦に譲りてまた富樫氏を稱せり王政維新の後は大垣藩の神社改訂掛となれり廣蔭夙に師春庭を助けて詞の八衢著述を完成せしめしのみならず己れもまた言語學に關する書を著らはし或は講述して師説を補ひ以て斯學に進歩を與へしこと多しと云ふ明治初年歿す年七十、詞八衢捷徑、詞玉緒統括、詞玉緒解縺、言幸舎歌集、六帖題詠、千百入一首、詞玉はなし、助字音義等の著あり(帝國文學)

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/to/to017.html
書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。