壬生基修

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
最善の説を記録しているものではありません。変な説も記録しています。
書誌として不完全です。
項目の形に規準はほとんどありません*
「検索」ボタンを活用して下さい。

壬生基修

https://kotobank.jp/word/%E5%A3%AC%E7%94%9F%E5%9F%BA%E4%BF%AE-16889

 ミブ モトナガ 壬生基修  舊公卿、正三位庭田重基の三男、天保六年三月九日を以て京都に生れ後壬生道亢の養子となる嘉永二年十二月元服を加へ昇殿を許され安政四年十一月修理権太夫に任す當時新に外國通交の事起り帝室の式微其の極に達す基修痛く之を憂へ皇運挽回の志を抱き三條實美、姉小路公知等と共に密かに計畫する所あり尊攘論を標榜として幕府に捜夷を薄る文久三年二月朝廷國事掛を置くや撰ばれて其の寄人となり大に朝威を張らんとす偶々廟議一變し同年八月是等過激派は却けられ基修また参朝を停めらる是に於て三條公等六卿と共に私かに長州に赴き為めに官位を止めらる其の後慶應元年正月幕命に依り筑前太宰府に移され具さに難苦を嘗む同三年十月将軍慶喜政権を返上するや十二月歸洛を命ぜられ官位を復せらる翌明治元年正月參與仰付けられ五月三等陸軍將校仰付けらる同六月會津征討の参謀仰付けられ功により賞典緑二百石永世下賜せられ尋で水原縣知事に任じまた東京府知事に任ず八年七月元老院議官に任じ十年一月麝香間祗候仰付けらる十四年七月勲三等旭日中綬章を賜にる十七年七月子爵を授けられ十八年一月再び元老院議官に任じ二十三年七月貴族院議員に當選す同十月元老院廃せられ麝香間祗候仰付けられ二十四年四月勳功に依り伯爵に陞叙せらる二十八年四月平安神宮宮司に任じ三十五年六月貴族院議員に當選選す三十九年三月五日洛西嵯峨字天龍寺畔の別荘に病歿す年七十三病危篤の報天聴に達するや特旨を以て勲位各一等を進め從一位勲一等に叙し瑞寶章を授けらる京都小倉山二尊院に埋葬す

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/mi/mi066.html

* はてなダイアリーキーワード:壬生基修

書籍からの画像で注記のないものは、著者の著作権が切れ、刊行後五十年以上経っているものです。