反切

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反切

反切 はんせつ 漢語學・國語學

 【異稱】 翻切・反語・反音又は單に反とも切とも、又日本では「かへし」とも。

 【解説】 支那漢字の音を示すために用ひた方法の一つで、他の二字の音に基いて、その字の音を知らしめるもの。例へば「東」の音(tong)を「徳」(tok)「紅」(hong)の二字を用ひて、「徳紅反」又は「徳紅切」として示す類であって、上の「徳」の字からはその初頭の子音(これを韻字では「聲」又は「紐」といふ)tを探り、下の「紅」の字からは、その韻-ongを採り、これを合せてtongの音を得、これによつて、「東」字の音を示すもの。かやうに反切には必ず二字を要する。上の字は、求むる字と同紐(初頭の子音が同じもの)の字であり、下の字は求むる字と同韻の字である。この上字を父字又は切と云ひ、下字を母字又は韻といふ。この兩字から得た結果を歸納字(歸納音とも)又は鶴字といふ。反切は、單音を示すべき文字なき支那に於て、漢字の音を示す便利な方法として注釋書・辞書等に一般に用ひられ、漢字音の研究には、缺くべからざるものである。我が國にも、古く反切を傳へ、その方法を學んだが、後には五十音圖による所謂假名反の法が出來、更にこれを国語語釋語源説明に適用して、國語研究上の一原則となすに至った。


 【反切法】 〔助紐を用ひる方法〕 反切によって字音をもとめるには、上字(父字)から、その初めの子音の部分(紐)を游離せしめて、これを下字(母字)の韻に結合させなければならない。そのために支那では古く「助紐」を用ひた。助紐漢字の音の初めにあらはれるあらゆる子音の種類(即ち三十六字母)について、各々その子音を有する漢字二字づつを選んで定めたもので、反切の上字の下に、これと同じ子音を有する助紐を附けて連呼し、その子音を游離せしめて下字の韻と結合するに便じたものである。例へば「徳紅反」の場合には、上字「徳」に助紐〔丁巓〕を附けて〔徳丁巓〕(tok-ting-tien)と連呼して、子音tが下字「紅」の韻と結合してtongの音を得るやうにしたのである。かやうにして音を得るのを「三折一律」といふ。助紐に用ひる字は、多少の異説はあるが、大盤定まってゐた。この方法は、支那ではすつと後までも用ひられたのであって、我が國ではこれを唐人反《たうじんがへし》と呼んだ。

 〔韻鏡による法〕 支那音圖である韻鏡に基づくものであって、まづ韻鏡四十三圖(これを四十三轉といふ)の中に、反切の上字及び下字がある圖をもとめ(その字が圖中にない場合には、韻書によって、その字と同音の字で、圖中にあるものをもとめて,これをその字と同樣に取扱ふ)、圖中に於けるその字の位置をたしかめ、上字の圖中に於ける位置と全く同一の位置を、下字のある圖中に求めて、その位置の属する行と下字の存する段との出會ふ位置にある文字を求める。この字の音が即ち求むるところの音である。例へば「徳」は韻鏡第四十二轉舌音第一行、入聲第一段にあり、「紅」は「洪」と同音で「洪」は韻鏡第一轉喉音第三行平聲第一段にある故、「徳」の第四十二轉に於けると同じ位置を第一轉に求むれば、その舌音第一行人聲第一段に「敷」の字がある。この字のある行(舌音第一行)と「洪」のある段との交るところ(即ち第一轉舌音第一行華麗第一段)に「東」の字がある。この「東」の音が求むる字の音である。然るに古書に存する反切に基づいて音を求めるに、最後に求め得た位置に文字が無いことがある。また韻鏡の體製上、求め得た位置にある文字の音が正當なる音でない事がある。その場合には、更に他の位置にもとめなければならない。

かやうにして反切によって音を求むる方法にいろ一の種類が生する。これを反切門法《はんせつもんぱふ》といふ。この門法には講説があって、その數も、その内容も必ずしも一致しない。少いものは三門乃至四門から、多いものは二十門に及び、音和、類隔、互用、往還(又往来とも)、雙聲疊韻、憑切、憑韻、廣通、偏狹、寄聲、寄韻などが普通認められてゐるものである(詳しくは磨光韻鏡翻切門法及び切韻指南等を見よ)。

 〔五十音圖による法〕 我が國では、漢字音假名で表はす故に、假名に基づき、五士音圖を用ひて反切を行ふ法が、古くから用ひられた。これを假名反《かながへし》といふ。即ち五十音圖の中で、上字の最初の假名と同じ行に屬する假名のうち、下字の最初の假名と同じ段にあるものを求めて、これを下字の假名の最初の一字の代りに置けば、求むる音を得るのである。例へば、「徳紅反」は「徳《トク》」の初めの假名トの属する行なるタチツテトの中、「紅《コウ》」の初めの假名コの屬するオ段假名、即ちトをとり、「紅」の音コウのコの代りに入れて、トウの音を得るの類である。但しこの場合にも、その得た音が日本の漢字音にない音となり、又は正しい音とならないことがある。その場合には、得た字音假名に修正を加へて、或は上の二つの假名を再び反切して一字となし(ツワンをタンとする類。これを二重反といふ)、或は、第二の假名を略し(リユンをリンとする類。これを中略反といふ)、或は、同行又は同段の假名にかへ(モンをムンとするなど。これを相通といふ)、或は直音拗音にかへる(シをスヰとし、ズをジュとする類。これを拗音反切といふ)。かやうにして、假名反にもいろくの場合を砥別するに至り、横本《わうほん》の反又は對座反《たいざがへし》、竪末《じゅまつ》又は雙聲反《さうせいがへし》また上下反、紐聲反《ちうせいがへし》又は角行反、二重《にぢゆう》反、中略《ちゅうりゃく》反、即座反、各種の相通拗音反切などいろ/\の名目が出來た。

ローマ字を用ひるもの〕 近くは漢字音ローマ字に寫して、上字の初めの子音の部分と、下字の韻の部分とを合して反切を行ふ法が出來た。「徳紅反」をtok, hongと書いて、上字のtに下字のongを附けてtongの音を得る類である。


 【支那に於ける反切】〔反切の起源〕 訓詁の學が初めて盛んに起つた漢代に於て、難讀の字の音を示すには、これと同じ音又は類似した音の文字を以て、「讀與ー同」又は「讀若ー」と註したが、後漢に至って反切を用ひる事がはじまったらしい。反切の起源については、顏之推の「家訓」に「孫寂然創2爾雅音義1、是漢末人獨知2反語1、至2於魏世1此事大行、」とあるによって、魏の孫炎の「爾雅音義」に初まるとの説が永く行はれたが、近く章炳麟は、孫炎と同時の人で、その論敵であった王肅の「周易音」や、「漢書」(地理志)の應劭(漢末の人)の註に反切がある事を指摘して、反切が漢末に初まる事を説き(章炳麟の「音理論」)、我が國の大矢透博士は。唐初の武玄之の「韻詮」に、「反音例云、服虔始作2反音1、亦不2詰定1、臣謹以2ロ聲1爲v證」(安然の「悉曇藏」所引)とあるを見出し、又「経典釋文」に後漢の鄭衆・許愼・服虔・鄭玄・李巡・樊光などの反切を載せたのを證として、反切が既に後漢に行はれたことを論じた(「韻鏡考」)。その起因については、支那語に於ては、古くから雙聲疊韻の語が多く用ひられ、又二字の語を合呼して生じた語があったのであって、反切の上字が歸字と雙聲をなし、下字が歸字と疊韻をなし、上下の二字を合呼して一字の音とするのは、これと趣を同じくする故に、その根元は支那にあったと考へ得るが、漢代に佛教が渡來して梵語経典漢文に譯することが起り、儒士にして佛法を談ずるものが多く、梵音に通ずるものも少くなかった故、その影響を受けて、反切が次第に世に行はれるに至ったものであらうとする説が有力である。

 〔反切の流布〕 かやうにして漢末に起つた反切は、魏に至って漸く廣く行はれたが、六朝時代に及んでは、詩文の上に音聲韻律の事が重んぜられて、韻書の類が續々あらはれたが、その音を示すには反切が用ひられたらしく、隋の陸法言の「切韻」にも、專ら反切によって發音を示して居り、梁の顧野王の「玉篇」の如き辞書にも唐初の陸徳明の「経典釋文」の如き註釋書にも亦反切を以て字音を註してゐる。又梵字發音を示すにも反切を用ひる事が多かった。かやうにして反切字音を示す最も普通な万法となって、後世までも沿用せられた。

 〔韻學反切〕 唐代に出来た韻學の書である神〓の「五音四聲九弄反紐圖」や、「元和聲韻譜」なども反切の事を載せて居り、宋代以後盛んになった等韻學に於ても等韻學の立場から反切法を説いてゐる。また反切のための助紐(前出)もこの頃から定まったやうである(韻鏡序例に見えてゐる)。宋以後になると、唐代以来の支那語音聲變化の結果として、もと同音であった文字の異音となったものが生じた爲め、古書にある反切文字をその時代の音で讀んで反切を行っても、正しい音が得られす、更に種々の手續で修正を施さなければならない場合が出來、こゝに反切によって正しい音を得るまでの手續の相違を區別する必要が生じて、所謂反切門法(前出)が説かれるやうになった。その門法も初めは音和・類隔の二つ、又はこれに互用・往還を加へた四つなどで、種類が少かったが、後にはその數が多くなって甚だ煩瑣になった。

 〔反切の缺點とその改良案〕 かやうに、反切字音を示す便法として永く用ひられ來つたのであるが、これに用ひる文字不統一で、同一の音が種々の違った文字で書かれること、反切の二字を連續して、上字から韻を捨て、下字から紐(初めの子音)を捨てて、上下の音を結合させるのに困難があることなどの缺點があるために、これに改良を

施さうとの試みがあらはれた。清の潘耒の「類音」及び李光地等の「音韻闡微」に於ては、上字に支・微・魚・虞・麻・歌の如き母音で終る字を用ひ、下字には影母及び喩母の字(即ち母音、又は母音に近い子音ではじまる字)を用ひて、上下兩字の連續を容易にし、近く黄侃は「音略」に於て、同紐・同韻文字は、各一字を定めて反切の上字下字に用ふべきことを主張した。しかしながら、これ等の改良を以てしても、なほ不便を全く除くことは出來す、殊に反切に用ひられた字の發音が土地により時代によつて一定せず、從って正しい音が得られない故に、現時は字音を示す實用的方法としては反切を用ひず、ローマ字及び假名に倣って、漢字に基づく一種の音字を作って注晋字母名づけ、これを綴り合せて字音を標示する事とした。


 【我が國に於ける反切】 〔反切の輸入と流布〕 太古のことは知り難いが、我が國が隋・唐と交通してその文物を輸入してからは、漢文の経籍を學び、漢譯の佛典を讀み、詩賦をさへ作ったのであるから、當時支那に行はれた反切を知り、これによつて字音をもとめる方法を學んだ事は勿論であって、遂には萬葉假名を以て文字の讀み方を示す場合にまで「反」といふ語を用ひるに至った(萬葉巻十六に「田病者多夫世反」、空海の祕音義に「驀婆句反」とある類)。平安朝の初め、天台眞言の名僧が入唐して、盛んに梵字梵語を傳へたが、その發音は、主として漢字により反切を用ひて説明したので、儒家ばかりでなく、佛家に於ても反切の知識が普及した。當時反切法として「軽重清濁依2上字1平上去入依2下字1」といふ文が行はれた。

 〔五十音日本式反切〕 支那との國交が斷えてからは、漢字音も、漸く日本化した發音が行はるゝやうになったと思はれるが、この時に當って、日本式發音による字音反切に便するがために、五十音圖(別項)が生れたものと推察せられる。さうして堀河天皇の時、悉曇學明覺が、「反音作法」を作り、五十音圖を利用して日本式反切法を

説いてから五十音圖反切に缺くべからざるものとなり、反切に便ずるために、五十音圖の各字の下文は傍らに、拗音を加へるに至った。(「カ(キヤ クワ) キ ク ケ コ 」のやうに。)かやうにして呆に於ける反切は謂はゆる假名反(前出)による事となったのである。その假名反の方法としては、「上父字行v竪、下母字行v横、其隅生2子字1」「横行歸2父字1、竪行歸2母字1其歸生2子字1」といふ口訣まで出來て世に行はれた(耕雲明魏の「倭片假字反切義解」に見えてゐる)。

 〔日本韻學反切〕 鎌倉時代韻鏡が輸入されて、悉曇學信範によってその研究の緒が開かれてから以後、江戸時代に至るまで、韻鏡は我が國に於ける韻學の中心となったが、その結果、「韻鏡序例」に見える音圖による反切法を學び、また韻鏡以後支那にあらはれたこれと同系統韻書類も續々渡來して、種々の反切門法等も講究せられるやうになり、江戸時代には人名等を反切して吉凶を判ずる事まで行はれて、反切韻學の上では最も大切な事となり、韻鏡反切のために存するもののやうにさへ考へらるゝに至った。しかしかやうに韻鏡による反切を學んだとはいふものの、古來の假名反反切の入門又は基礎としてこれと共に行はれて、その反切法の上にも反切門法と同様に、種種の種類が認められるやうになった。

 〔ローマ字反切〕 明治以後、我が國にローマ字の知識が廣まったと共に、西洋人支那語ローマ字で書いたものに接して、ローマ字を以て反切を行ふ事がはじまった。大島正健氏の「翻切要略」の如きは、主としてとの方法によってゐる。

 〔反切国語學〕 反切國語學に及ぼした影響として注目すべきは、五十音圖による反切法が、国語語義又は語源解釋に應用せられたことである。仙覺の「萬葉集註釋」に「みことにされば」を「みことにしあれば」の「し」「あ」を引合せたものと説いてゐる如きも、多分反切から得來つた考と思はれるが、江戸時代に至って、貝原益軒の「日本釋名」には、明かに反語即ち假名反を以て和語を釋く八訣の一つとしてゐる。賀茂眞淵及びその末流の學者は、これを約言名づけて、盛んに語釋の上に應用し、往々濫用の域にまで達した。かやうにして、漢字音を示さんがための人爲的方法であった反切法が、國語語義語源解釋上の一原則として用ひられるに至ったのである。

 【参考】 中國聲韻學概要 張世祿 ○韻鏡考 大失透 ○麿光韻鏡 文雄 ○翻切要略 大島正健 ○韻鏡開奩 自等庵宥朔韻鏡諸鈔大成 馬場信武 ○韻鏡祕事大全 小龜益英 ○切韻考 清陳澧 ○切韻指掌圖 宋司馬光 ○經典正管切韻指南 元劉鑑 ○切字肆考 清張畊

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新潮日本文学大辞典 橋本進吉


『日本百科大辞典』 保科孝一

国史大辞典 馬淵和夫

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