佐田白茅

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
最善の説を記録しているものではありません。変な説も記録しています。
書誌として不完全です。
項目の形に規準はほとんどありません*
「検索」ボタンを活用して下さい。 岡島昭浩がやっております。 一部、JSPSの15H01883,18520354などの恩恵を受けております。

佐田白茅

http://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00488986

 サダ ハクバウ 佐田白茅 征韓論の首唱者、久留米藩の儒臣にして勤王家眞木和泉守等の先輩なり、夙に尊攘の設を唱へ薩長聯合に斡旋して同志の間に重ぜらる戊辰の役には征東総督の参謀となり維新後太政官に召されて外交事務を管掌せり、會々韓人が両端を持して我に親まざるを憾とし自ら請ふて遣韓使節となり随員森山茂等と共に釜山に赴き同地に於て韓廷の大臣と會見し王政復古の旨を通告し併せて兩國の和親修好を固くせんことを懇論する所ありしも韓廷頑迷にして應ぜざりしかば心中大に決する所あり歸朝の後韓国の速に征討す可きを上奏したり是に於て初めて廟堂に征韓の論起り後破裂して西郷等の辭職となる。白茅亦冠を挂け江藤、西郷等の非命に斃るに及び益々世事を慨し望を世に絶ち文墨を以て友とし十三年頃向島に大來舎を設けて明治詩文と題する雑誌を發行せしが後史談會を起し其幹事となる、人の屡々其功績を旌表せんとて其内意な問ふあるも一切之を謝絶し在朝在野の顕官舊友と交を避けて陋巷に閉居したり四十年十月五日淺草金龍山下瓦町の僑居に於て病歿す年七十六、生前自ら征韓首唱者佐田白茅墓と書して墓碑と爲し菩提寺なる橋場町総泉寺に建てたり大正五年四月十一日正五位を贈らる

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/daijinmei/sa/sa083.html
書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。