亀井高孝『葦蘆葉の屑籠』

国語史・日本語史周辺(日本文学・日本史・言語学などなど)の覚書です。
最善の説を記録しているものではありません。変な説も記録しています。
書誌として不完全です。
項目の形に規準はほとんどありません*
「検索」ボタンを活用して下さい。 岡島昭浩がやっております。 一部、JSPSの15H01883,18520354などの恩恵を受けております。

亀井高孝『葦蘆葉の屑籠』

亀井高孝

第一 小学佼を卒へるまで

 一 幼時の思出

 二 小学時代のよみもの

 三 明治時代の芝三田界隈

 四 幼な心をいためた苦悩


第二 学窓を卒へるまで

 一 尋中入学のころ

 二 教科書の買歩き

 三 一中の採点法など

 四 一高入試の思出

 五 一高時代寸描

 六 大学の生活

   文科大学の雰囲気

   卒論の周囲


第三 教職員時代・その一

 一 はじめて教壇に立つ

 二 一中の教諭時代

 三 水高の陸運と岡部平太氏

 四 東京女子大学のこと

 五 武蔵高校のこと


第四 教職員時代・その二

 一 一高のこと(イ)

   大部屋の教官室

   幹部制そのほか

   第一高等学校の門標撤去

   縁の下の二大支柱

   年一回だけの教授会議

   森校長の駒場移転、向陵神社に対する断

   三つの不祥事

 二 一高のこと(ロ)

   森校長の退職

   明治大正の交における狩野、新渡戸両校長

   安倍校長の来任

   安倍校長の登場

   軍部の介入を食止める

   晩年の安倍

   部長時代の野球部の思出その他

   「音楽室」に言寄せて

   「ああ玉杯会」から「向陵駒場会」へ


第五 師友の思出

 恩師

  三宅光華先生の憶出

  帰山信順先生

  菊池先生と杉先生

  斎藤先生、教頭就任と辞任

  森校長に寄せる自責

  菊池寿人先生

  杉敏介先生

  岩元禎先生

  菅虎雄先生

 知友

  弔詞(峰尾都治君)

  憶出――魚住影雄を中心として

  野明敏春君の書簡

  山県義雄君の原爆死

  島翁をしのぶ

  柳田国男さんと斎藤励君の遺稿

  山下清を育てた人

  コンスタンチーノフ博士を悼む


第六  鎌倉肩閑後

  鎌倉退閑

  鎌倉市史ができるまでのうらおもて

  退閑直後の上方まうで

  敗戦直後吉野山見たまま

  長崎見物からの連想

  北軽井沢の三十余年


第七 渉書雑篇

 一 グーテンベルク聖書のこと

 二 一高書庫の一隅より

 三 一冊の本 本阿弥行状記と光悦

 四 戦後ささやかな蒐書から


第八 事実と仮構

 日本語日本人、皇室

 青島攻陥とその放棄

 伊達政宗とカリフォルニア

 空想 ロシア日本鎖国政策を捨てさせたら

 滞欧寸見

  月三題

  儀仗兵さまざま

  ランニ・・ード


第九 光太夫余滴

 私と光太夫

 光太夫のあとを北海道に訪れる

 「下呂町文化財」の武川家文書の一暼

 光太夫座像の除幕式

 花系図都鑑とラミング教授

 足利学校本「環海異聞」について

 「魯西亜属国人物之図」について

  「魯西亜属国人物之図」についてH

  「魯西亜属国人物之図」について 村山七郎 四九二


第十 文反古

 一 金婚賀莚小記

 二 伊賀名張の藤聯堂山家

 三 鞍馬天狗の影法師

 四 母の喪

 五 昨今の心境


第十一「「思うこと」抄

 永遠の痛恨

 シベリア東部への夏旅の勧め

 国民の祝日

 死期を得る

 山村雑感

 老人はどこへ行く

 「御」の字乱用

 勝者と敗者

 警官に暖かい目を

 人間国宝の一面

 十一月三日

 広島を訪れて

 二つの"災害予防"

 日本人のふるさと

 中国の旅路のひとくさり

 政治は地方の啓蒙から

あとがき

書籍からの画像で注記のないものは、著作権法上の「引用」の範囲内であるか、著者の著作権が切れて刊行後五十年以上経っているものである筈です。